見出し画像

記憶の跡を残す日々に

私は本や映画を観て感じたことを文字に残すのが好きだし、インスタに写真を載せて近況を報告するのも好き。

感情を言語化する機会をもつことで、自分自身も不明瞭な感情を受け入れることができたり、自分の感想に同調や楽しみを覚えてくれる可能性が出てきたりするかもしれないからだ。

「想い出は自分の中だけに留める」という考えを素敵だなと思って、積極的にインスタに写真をあげなくなったことや、考えたことをつらつら書かなくなったこともあるけれど。

基本的に記憶力がカスなので、Filmarksや読書メーター、noteにその時の感情を記していると数年後でも数か月後でも数日後でも自分が楽しめる。

そして今日久しぶりに、記録を残していた過去の私ナイスぅ~!!!という出来事があった。

ふとSNSで流れてきた「コントが始まる」というドラマの動画。そういえばこのドラマ、めちゃくちゃ刺さったわけではなかったけど、途中の3.4話見た時にドラマの構成が面白くとても興奮しことを思い出した。

冒頭の10分あるかないかのコントが、その1話全体の伏線になっているストーリー構成なのだが、たしか当時、このストーリー構成の名称をフォロワーさんに教えてもらったよなという当時の記憶もよみがえってきた。

ところが、その名称をど忘れしてしまった。

前述したとおり、記憶力がカス(というかキャパが少ないのですぐにほかのことで上書きされる)なのだが、忘れたくないことや何かに使えそうなネタはどこかにメモをしているので、すぐ見つかるだろと高をくくっていた。

まずはグーグルで、引っ掛かりそうなワードを調べてみる。「ドラマ構成 伏線 回収」や「ドラマタイトル ドラマ構成 名称」など調べるも引っかからず。

Mytterという独り言専用のSNSを一時期ネタインプット集としてつかっていたので調べる。それらしきワード一切なし。

ついっちゃ~の検索機能を使ってみる。2年前(ドラマ放送当時)も全く同じことをつぶやいている形跡はみつかるも、それらしき名称は見つからず。

iPhoneのメモを一通りみてもなし。

……あれ??!?!!お手上げ!?!?!?!

いや、そんなわけがない。私は絶対ふぉろわにむに教えてもらった記憶はあるし、その時知った知識は私の今後のクリエイティブ人生にきっと何かしら影響してくるレベルのことだったという記憶はあるので絶対どこかに残しているはず!!!!(大滝汗)

必死に思い出してみる。

…と、ひとつ思い当たるワードが浮かび上がる。

そういえば最近メモを整理したときに、削除したワードがある。

その単語は……「クリムキンイーグル」!!!

し、調べろ調べろぉ!!!

両足を外側に開き、背中を氷面すれすれまで倒して滑走する「クリムキンイーグル」

全然チガウッツッツttッツ!!!!解散!

なんでこれをメモしてたのかも忘れてしまい削除した言葉だった。

その後も再度ググったり、グーグルのブクマやついっちゃ~のブクマを見てみたりと頑張るものの見つからず。

八方塞がりになったとき、ふと、Filmarksの存在を思い出す。基本的に映画は感想を残してはいるが、ドラマだしなおかつ一からみた記憶があまりないため残しているか不安ではあったが、これが最後の頼みの綱である。

すると鑑賞済一覧に「コントが始まる」のパッケージ写真が!!!

きたかもしんない…!と思いながらドキドキして開くと、一番上に

「チェーホフの銃」

というワードが。

こ” れ” だ っ つつ つぅつっつ …!!!! 

概要
ストーリーの早い段階で物語に導入された要素について、後段になってからその意味なり重要性を明らかにする文学の技法。この概念は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフに由来している。チェーホフはこの概念を様々な形に展開して、手紙の中で言及していた。

チェーホフの銃は、伏線の手法のひとつと解釈されるが、この概念は「ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけない」という意味であるとも解釈できる[注 1]。チェーホフの銃のルールを守らない作品は、プロットの穴を論じる際に批評家に引用されることになりかねない。

ストーリーの早い段階で物語に導入された要素について、後段になってからその意味なり重要性を明らかにする文学の技法。この概念は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフに由来している。チェーホフはこの概念を様々な形に展開して、手紙の中で言及していた。

weblio辞典

記憶をしっかりと残していた過去の自分を抱きしめてハイタッチしたいし、2024年ベストオブ名誉賞を授けたいし、感謝の手紙を書きたいし、お前は最高のパートナーだよと一晩中アイラブユーを贈り続けたい。

過去の自分大好き。

かつて学んだ言葉の意味合いを、日がたつにつれて違う意味でとらえてしまっていたので当初思い出した内容とは違う意味なのだが、私が当時学んだワードはこれ。

なんだかわからないが、久しぶりにnoteを書くほど感動してしまった。

自分の心の中でカメラのシャッターを切るだとか、感情を心の中で大切に覚えておくだとか。そういう感性が美しく憧れることもあるけれど

やはり私は、思い出したいのに思い出せないそんな夜に、ツールでたどってでも自分の力で思い出したいし、久しぶりに出会えた過去の自分の想い出で楽しくなりたい。

思い出せてよかった。

なんせこれ、湯舟につかりながら悩んでいたことなので、自分の気が済むまで湯舟につかり続けるところだった。

あがってから飲む水の美味いこと、旨いこと。

楽しみながら、記憶の跡を残してきた日々に。水で乾杯。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?