摂食障害が辛すぎて心療内科を受診するまで

私は今年の3月から通っている大学の学生相談室に毎週行ってカウンセリングを受けている。
受けてみようと思ったきっかけは春休みに非嘔吐過食が悪化しこれまでにないほどに生活が崩壊し、体重も増加して心身共に疲弊してしまったからだ。
今までから非嘔吐過食はあったが、あったとしても週に1~2回程度で次の日にはしっかり切り替えられていたから体重もすこししたら元に戻っていたしそこまで生活に支障をきたすことはなかったのだ。
それが2月からの春休みに入った途端大学に行かなくなって家にいる時間が増えたことで悪化したのだ。これまでとは比べようのない過食衝動に困惑した。日に日に増えていく体重。そのストレスからか毎日体全身に蕁麻疹ができるようになって辛さは倍増した。

そこで耐えられなくなった私はネットで調べた摂食障害専門のコールセンターをいくつか利用した。しかしそこはどれも利用者が多く短時間しか利用することができなかったし、なにより通話料金がかさんだためしばらくしてやめた。
そうなると最後に残されたのは大学の相談室のみだった。
以前にも利用しようとしたことはあったがなんとなく億劫で使用できなかったのだが、この時はかなり切羽詰まっていたからかそんなこと気にせずにすぐに予約を入れた。
この時は対面相談はなく電話相談のみだったが、話していくうちにボロボロと涙があふれて止まらなかった。自分は孤独だったのだと思う。

春休みは大学がなかったし、かといって遊ぶような友達もろくにいないし昼間や家族も誰もいない家にずっといるだけでは退屈だった。
ましてや非嘔吐過食のことなど家族に相談できるわけもなかったから相談室のカウンセラーに聞いてもらえただけでもかなり心が救われたのだった。
もしもこれを読んでいる人で同じように何かに悩んでいるがどこにも話せずにいるという人はぜひこういうものを利用してほしいと思う。
それから春休みの間、週に1回程度のペースで相談室の電話相談を利用した。利用していくうちに心療内科の受診を進められるようになった。
自分自身も以前から受診を考えたことはあったが未成年の受診は保護者の同伴か承諾書が必要であったため断念していた。
しかし、4月に成人年齢引き下げによって20歳になる前に受診できるのではという助言のもと、病院をいくつか探したがどこも成人年齢引き下げとは関係なく20歳にならないと保護者の同意が必要ということで断られてしまった。
それをカウンセラーに伝えると、5月の誕生日がきて20歳になるのをまとうということになった。
しかし、5月あたりから大学が対面授業中心になったり部活に入ったことによって少しではあったが生活が充実し始めたことで一時的に摂食障害の症状は落ち着いていた。そのため誕生日がきても心療内科を受診することはなく、相談室を利用することもなくなった。

しかし、7月に入って定期試験が近づき始めたことと少しずつ大学生活のストレスがたまり始めたからか非嘔吐過食がぶり返し始めた。
また相談室利用しようとしても抑うつで家から出られず相談室に行けなかった。(このころは対面相談になった)

なんとかやっと相談室を利用できたのは定期試験初日でもう7月もほぼ終わりの頃だった。久しぶりに今までのことを話したらまた涙が止まらなくなってもっと早く来るべきだったと後悔した。
定期試験が終わったら少しは良くなるのではないかという結論に至ってその時は終了した。

定期試験さえ終わればと思っていたが、やっと定期試験が終わって夏休みに入ったのだがなぜか非嘔吐過食は悪化するばかりだった。
夏休み前に買ったばかりのデニムが2週間で履けなくなった。
辛くてたまらなかった。以前までは過食したらその後は過活動があったがもうこのころは動く気力もなくひたすら寝ていた。風呂や着替え、歯磨きなど身の回りのことすらできなくなっていた。

とうとうしんどすぎてついに心療内科の受診を決心した。
緊張しながら病院に入ると長い問診票を書かされ、診察室では丁寧すぎるくらいに話を聞いてもらった。話を聞くだけでなく血液検査なんかもした。

その結果、診断名として摂食障害、醜形恐怖症、複雑性PTSDと告げられた。
そしてこれらによって抑うつ状態になっていることも告げられた。
摂食障害はまだしも後の二つは思ってもいなかったからかなり驚いた。
まあ思い返してみれば高校生の頃から自分の容姿が嫌いでたまらなかったし、毎日楽しくて仕方なかった中学時代と比較して抑うつ状態になっていたなあと思った。

そしてその後も何回か通っていくうちにとうとう母に心療内科を受診していることを告げることができた。
母からはどうしてもっと早くいってくれなかったのかと言われたが、正直ここまでつらい思いをしていたのにどうして誰も気づいてくれなかったのかという思いの方が強かった。

その次の診察では母も同伴することになり、主治医から病状の説明などいろいろ話してくれた。正直この場から早く消えてしまいたいとさえ思ったが、自分で母に告げることは困難だからありがたかった。

病院から勧められた提携先のカウンセリングも利用したがなんだか商売っ気のある感じが受け付けられず1回きりでやめてしまった。
それを聞いた母に大学の相談室を勧められたが、もうすでに半年くらい前から利用していることを告げると驚いていた。いや、驚いている場合ではないだろうと思ってしまったが、、、。

心療内科を受診していることは母と自分だけの秘密だったから他の家族がいるときにこの話をすることは一切なかった。
それが一層病状について母と話す機会を奪うきっかけでもあった。

続く。(多分)

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