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記憶の落とし物④



※盛大なるフィクションです




私は大樹に身体を持っていかれながら

「ねぇ、待って!ホテルの部屋、鍵かけてないよ!」
と焦りながら言うと、大樹は

「かけなくても平気だよ!」
と言って、私を振り返りながら目を細めて悪戯っぽく笑った。



掴まれていたはずの右手首だけど…

いつの間にか二人で手を繋いで、全力で走っていた。



潮の匂いを仄かに感じながら、目の前で弾む大樹の背中を見つめた。


今日は一日中、殆どの時間大樹の後ろ姿を見ていたかもしれない。

広くて大きくて頼もしい、大樹の背中。





どうして走ってきたのか分からないけど、ハァハァと二人で息を切らして到着したのは、金色の月が水面に浮かぶロイヤルブルーの浜辺だった。

街頭なんて一つもないのに、辺りは月の光だけで十分明るく照らし出され、それとは逆に、漆黒の濃い海がなんだか吸い込まれそうに深くて、少しだけ恐くもなった。



大樹と私はその場で立ち尽くし、しばらくの間その美しい風景に魅了されて動けずにいた。


「あっ!ゴメン!」

と、大樹は急に気がついたように、慌てて握っていた私の手を放し、ゆっくり屈みながら反対の手で持っていたやどかりを、丁寧に砂浜に置いた。


シャリシャリ…と砂の上を滑るやどかりの足音が聞こえそうなくらい、この夜の海は耳に痛い程の静寂に満ちていた。



「ちょっと歩くか」

と、大樹はさっきの照れ臭さを隠すかのようにぶっきらぼうに言って、すぐさま先へ先へと歩を進めた。


私もまた急いで追いかけながら、大樹の後について早足で歩いた。




なりふり構わず東京を飛び出した時には、こんな静かで穏やかな時間を過ごせるなんて、夢にも思ってなかった。

あの時、あのベンチにふいに現れた大樹が、私を色んな所へ導いてくれたからだよね。

ハプニングも色々あったけど、結局全部楽しかったな。




ハーフパンツのポケットにダルそうに両手を突っ込んでスタスタと歩いてゆく大樹。

そのパンツからスラっと伸びた細いふくらはぎに目を落としながら歩いていると、砂の中にキラッと瞬くものを見つけた。


近寄ってそっと砂から取り出すと、それはりん亭に沢山積んであった


『恋貝』


だった。


これ、ちゃんと対になってる。





「ん?何か見つけたのか?」

と、大樹は私の様子に気づいて振り返り、足を止めて一緒にしゃがんでそれを覗き込んだ。


「これ、そんなにすぐ見つかるモンじゃねぇのよ。ついてんじゃん。二枚貝だし欠けもねぇし、綺麗だな」

と、優しい眼差しで貝に視線をやり、それから私の方も見てゆったりと微笑んだ。



「そうなのね。じゃあ、私も裏に自分の名前書いちゃおうかなぁ」

と、恋貝についた砂を払いながら、わざとはしゃいで見せると、




「なぁ…お前さ、明日本当に明石家島へ行くのか…?」




と、大樹はまた食い入るように私の瞳を見て、ストレートに訊いてきた。



返答に困ってしまった自分に、正直戸惑った。

何故だか、自分ではもう決められなくなっていた。



元々往路分の切符しか用意してなかった。

明石家島へ渡って、果ての海へ行くつもりだったから。


居酒屋で大樹が言っていた、カップルで名前を書いた恋貝を投げ入れると永遠の愛が手に入るっていうロマンティックな言い伝えとは、真逆の理由だけれど。




「大樹は、生きてて苦しいって、思ったことないの?」

と、思い切って訊いてみた。



内地からやって来た知らない女が、唐突にこんな事言い出したら怖いだろうな、と思ったよ。

でも大樹は、よっこいしょとその場に胡坐をかいて座り、空を見上げながら、明るい調子で意外なことを口にした。





「俺、生きる意味なんてホントにねぇなって思ってる。
今までも死にてぇって何度も思ったけど、生きる意味ねぇと死ぬ意味もねぇなって思って」




大樹の真っ直ぐな言葉が胸に刺さった。


そして目から鱗が落ちる、ってこういう事を言うんだと思った。


何も考えずに適当に楽しく生きてそうなのに、細部に行き渡る気遣い。

根っから元気にしてるのに、儚げで消えてしまいそうにも見える掴みどころのない佇まい。


その数々の理由の正体が、何となく解った気がした。


大樹が上辺だけじゃない優しさを持っているのは、周りを広く客観的に見ることが出来て、他人の痛みを想像してきちんと考えることが出来るからなのかもしれない。





…いっそ、もう行かないでおこうかな。




ひょんなことから、大樹と楽しくて癒される時間を過ごして、大樹の人間的に大きくて温かい人柄に触れて。


そんな大樹と出会えたからこそ、私に執拗に取り憑いていた身勝手な狂気が、何だかちっぽけで馬鹿馬鹿しいものに思えてきたの。



このまま…

ここに残るって言ったら…



大樹は何て言うかな…?



このまま明日の朝になったら、私はどうしたらいいんだろう。

もうすぐ、大樹とお別れしなくちゃいけないのかな。




あれ…

私…

この世に

ここに




大樹に




未練が出来てしまったじゃない





グルグルと考えを巡らせていたら、突然向かいから大樹の逞しい腕が伸びてきて、私の身体を強く包み込んだ。


驚いて息を殺してそのままでいると、しばらく沈黙していた大樹が、絞り出すような声で、戸惑いながら私の耳元に囁いた。






「…お前が行くなら、俺も一緒に行く。一人で行くな。」






ぶわっと目の前の景色が緩んだ。




俺も一緒に行く。




何て心強いんだろう。



大樹の言葉が嬉しくて胸に沁みて、思わず泣きそうになった。


ぎこちない抱擁ながらも、大樹の熱い体温と速い胸の鼓動が伝わってくるのを感じた。




私も大樹も「生きてる」んだと、自分の中の本能が言っていた。



涙が零れそうなのを見られたくなくて、私も自然に大樹をぎゅっと抱き締め返したら、大樹の身体が明らかに震えたのでこちらが逆にびっくりした。



緊張してるの…?

チャラそうにみせておいて、実はこういうの慣れてないのかな。



「は、早く帰って寝ないとな!寝坊なんかしてまた船乗れないと困るから!」

と、大樹は焦って言い放ち、すばやく私から身体を離した。



「う、うん、そうだね」

私も大樹の背中に回していた両手を、慌てて引っ込めた。



少し風が出てきたのか、ザザ、ザザ、と滑らかなさざ波が、私たちの間で揺れていた。



しかしまだ何となく気まずい空気が漂う中、沈黙を切り裂くように大樹が


「ついでに一緒に果ての海に行って、この貝投げ入れっか!」

とふざけた様子で強く言い、


「う、えっと、いや、まぁどっちでも良いけど」

と、結果しどろもどろな弱気な声色になっていて、私は思わずぷっと吹き出した。




「何だよ!!」

とムキになって声を荒らげる大樹。

夜でも判るくらい耳が真っ赤になった彼を見たら、可愛らしくておかしくて笑ってしまった。




大樹は、天性の勘のいい人だと思う。


きっと、私と最初に会った時から感じていたのかもしれない。












***











部屋に戻ってシャワーを浴び、ベッドに座ってひと息ついた。


今日一日、本当に色んな事があったなぁ…


色んな大樹を、見れた。


ずっとずっと、大樹と居た。


何だかさっきから、ずっと大樹の事を考えてる。





サイドテーブルに置いてある、今夜拾った恋貝に目をやった。

淡いピンク色で、部屋のライトを受けて薄らと控え目に光っている。



明日、本当に明石家島に行くかどうかは別にして、翌朝港に行けば、大樹が居る。


大樹が私を待っていてくれる。


その事実だけで、この夜を安心して乗り越えられる気がした。






私は、無意識にペンを取っていた。



ねぇ…


本当に、一緒に果ての海に行ってくれるの…?













***













ビュービューという音で目は覚めたが、とても清々しい朝だった。


すごく久しぶりに、よく眠れたな。


でも今日はかなり風が強いみたい。


船…出航できるのかな?






支度をして船着場へ向かうと、港は昨日に比べてかなり賑わっていた。

これから乗船する人や、それを見送る人達も沢山いた。



すると、派手な格好の背の高い人が遠くから大きく手を振ってくれていた。




りんたろー店長さんだ。




私の姿を見つけると、店長さんは小走りで寄ってきてくれて、

「おはよう!ホテルでゆっくり出来た?」

と、ニコニコと爽やかな笑顔で尋ねてくれた。


「はい。昨夜はありがとうございました。」

「そう!なら良かった。ところでかねちは?」

「…お店に仕込みしながら泊まるって言ってましたけど…」

「え?そうなの?家には帰ってこなかったよ?アイツまた寝坊かなぁ」







波を掻き分けて、1艘の定期船が荒々しく港に着いた。


荷物を積み込む人、船内まで入って別れを惜しむ人、窓越しに手を振り合う人。


それぞれの旅立ちがあった。






そして




その船を見送っても




どれだけ待っても





大樹は、港に来なかった。








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