鹿島神宮と石上神宮

石上神宮の祭神が、高倉下が神武天皇に献上した布都御魂大神だ。
この布都御魂大神は鹿島神宮が被害者でパクられたと社伝にある。
しかしその他に

>社伝ではまた一方で、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、
>石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。

岡山県赤穂市にある石上布都魂神社から
奈良県天理市にある石上神宮に遷(うつ)された。
この社伝では神武天皇は出てこない。

もし高倉下が神武天皇に神剣を献上して、それで大和を平定したならば、
その時は布都御魂大神は石上神宮には、まだ無かったことになる。

そもそも石上神宮も「神宮」と呼んでいたか不明だ。
なぜなら「神=しん(漢音)、じん(呉音)」
「宮=きゅう(漢音)、く・くう(呉音)」で
「神宮=じんぐう」は全部漢語読みだからだ。

漢語読みの神宮(じんぐう)が日本に入って来るまで
石上「神宮」と呼べるはずがない。

※「神宮」の漢字列が中国産と仮定。

もし「石上」が既に存在するならば「石上○…○」と呼んでいたはずだ。
「○…○」には何が入っていたのか?…「やしろ?社?」
香取神宮も鹿島神宮も同様に香取社、鹿嶋社だろう。

なぜ「やしろ」かというと
「や(ya=陸)しろ(shir(o)=土地大地)」だと思うからだ。
なんか自信ないが、shirは3Dだから、これでも良いかな。
shirとは3Dの陸海空の土地大地。そのうちの、陸の部分のya陸+shir土地大地。

神武の東征の時には、奈良盆地湖はあったのだろうか?
2800年前の出来事がホントならば奈良盆地は湖だったはずだ。
んじゃ神武の東征に奈良盆地湖がでてくるだろうか?

神話によると神武天皇は熊野から入ったとあるが、
熊野は今でもすごい森林地帯に見える、ほんとかよ。

たぶん道案内の『kus=くず「国栖、国巣、国(木巣)、国主、国津」』
の神様・達人kurがいないと、神武天皇と言えども迷って遭難したはずだ。
良く聞くよね、山菜採りに行った爺さん婆さんが帰ってこないって。
それと同じだよ、山の中はわからなくなる。

「高倉下=tak-a-kur-ati」だから一人でなく集団だとすると、
鹿島神宮から高倉下という集団が布都御魂大神を持ち出した。

どうやって持ち出したかわからんが、とにかくグルで持ち出した。
盗まれたと言ってないから、集団で甘言を弄したのであろうか。
それで、持ち出したまま返さなかった…こう考えられる。

でも香取神宮と鹿島神宮の利権は海賊行為だ。
その海賊連中を相手に、集団とはいえ甘言を弄して騙せるのかい。
騙してお宝をパクれるか?ワルだよ、相手は、はっきり言って。

それに鹿島神宮と熊野は凄く離れてるけどね。
だから原生林の陸上を行けるはずがない…海上を行ったはずだ。
でも海上を長距離、スイスイ行けるものなの?わからんなあ。

#鹿島神宮 #石上神宮 #布都御魂大神 #神武天皇 #高倉下
#東征 #大和平定 #奈良盆地湖 #やしろ #熊野 #kus

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?