大好きな彼氏がうつ病だった話
突然だが、私の彼氏はとっても優しい。
私が休日に「カラオケとカフェに行きたい」と言うと、「どっち先にする?」と聞き返してくれる。
お互いにSwitchを持ってるのに、「あつ森本体セットが欲しい!」と言ったら、「じゃあ、俺の方(別の限定版)を売ろうか」という具合だ。
そんな彼は、うつ病の治療中だ。とはいえ、特別なことはない。いたって普通の生活を送っている。
彼氏がうつ病だと話すと、たいていの人に「いつわかったの?」と聞かれる。これに関して端的に述べるのは非常に難しいので、今回記録がてら書いてみることにした。
タイトルにあるとおり、うつ病とわかったのは付き合った後だ。早い段階で休職歴を聞いていたので、メンタルに不調があったことは察していた。
後にわかった情報も含めると、原因は会社の上司によるパワハラで、通勤中倒れたのをきっかけに半年間休職。その間自立支援医療を受け、出会う数ヵ月前に復職していた。
付き合ってからも数回受診をしていたが、薬を飲んでいる姿を見かけたことはなく、ある日「もう治ったって!」と、嬉々と報告されたことを覚えている。
しかし、付き合って数ヵ月経っても、彼は自分の家に私が来ることを嫌がった。
最初は不思議に思ったが、どうやら「(部屋が汚くて)人を呼べる状態じゃない」ということらしい。
しばらくそのままの状態が続いたが、ついに年末、「一緒に大掃除しよう!」という名目で押しかけた。
今思えば、この日をきっかけに、私は一種の“覚悟”を決めることになった気がする。
想像を絶する汚部屋
「病気になってから、片付けができなくなった」と話してくれた彼の部屋は、私が訪ねる前に45L×10袋ほどのゴミが処分されたようだが、それでもなお、惨状と表すのに足る状態だった。
床やベットの下には無数の洋服と紙類が散乱し、PCデスクの上はホコリだらけでベタベタ。さらに薬を飲んだ後のシートや飴の袋、干からびた大量の米粒などが散らばっていた。
それよりも、机や家電にこびり付いたシミ(手垢?)が強烈で、1年足らずの間にどうしたらこんな状態になるのか、まったく想像つかなかった。
とはいえ、さらにゴミを捨て、紙類を仕分け洋服をたたむだけでもそれなりに片付いた(シミも磨けば取れた)ので、自分でもかなり頑張ったのだろう。
出てきて印象的だったものたち。
・無数の黒いプラスチックハンガー
・ニキビ化粧品4種類(開封・未開封)各10本前後
・エアダスター(開封・未開封)10本ほど
・通販で届いたままのSwitchソフト
・期限切れの処方箋2枚(後にもう1枚見つかる)
どうやら、散らかっている部屋ではどこに何があるか探せず、なくす度に追加購入していたようだ(ゲームソフトは重複購入)。あまりにあらゆるところから同じものが出てくるので、途中から「これは笑わせにきてんのか?」 とすら思った。
このとき見つけた処方箋が、うつ病と確信する要素となり、後に本人の口からも語られることとなる。
片付け・掃除は明け方までかかり、なんとか2時間ほど眠れた。
会社と決別するまで、あと半年
うつ病の既往が明らかになったところで、私の心境に大きな変化はなかった。新卒で休職なんて、珍しい話じゃない。ただ、会社は辞めたほうがいいだろうなとは思っていた。
部屋も片付いたのでお互いの家を行き来するようになり、一緒にいる時間が増えた。
しかしその辺りから、ささいなことでケンカした後、彼が大げさにふさぎこんでしまうことに気付いた。
同時期に勤務地が異動になったのも相まって、体調は悪化。聞くところによると、「休職の原因となった人が直属の上司になった」と言うのだ。
私は、復職から1年と経たず異動させたことや、パワハラ上司がのうのうと管理職に就いていることに会社への不信感を覚えた。
「一緒に仕事するわけじゃないから……」と迷う彼に、「じゃあ、2人きりで面談することになっても耐えられるの?」と聞いてしまった。
「無理」と即答した彼が産業医面談を受けるためには、休職の影響で残りわずかだった有休をなぜか使わねばならず、さらに追い詰められることになってしまう。
相談の結果、元いた現場に戻る(ただし、あと1ヵ月は我慢)ことになったが、その間にも、ひどいときは毎週ケンカをしていた。
今だからわかるのだが、ケンカになった原因の解決策を探る私に対し、彼は“怒るのをやめてほしい一心”で対処していたため、話はいっこうにまとまらなかった。
ケンカ自体は寝ると収まり、次の日彼は「もういいよ。大丈夫」と言うのだが、決まって持続する頭痛を訴えた。
夜中に突然飛び起きて、汗びっしょりで「すごく怖い夢を見た……」という日もあった。
私はこの頃、「彼氏 うつ病」などのキーワードで何度かGoogle検索した記憶がある。セミナーで聞いた虐待を受けた子供の話が、なぜか彼氏と重なった。
突然のXデー
私はどちらかというとタフなメンタルを持っているので、うつ病の気持ちを想像することしかできない。
「どうしたらいいの?」と聞いたら、彼は私に「怒らないでほしい」と言った。私も「怒らないようにしなきゃ」と思った。
でも、仕事以外の時間をほとんど共に過ごす中で、ずっと機嫌良くいるなんて無理だった。菩薩じゃあるまいし。
彼に対して怒っていなくたって、イライラしたり不機嫌になったりする。でも、彼はそれを全部「(自分に対して)怒っている」ように受け取ってしまうのだ。
それがわかるまでは、ケンカになる度「次からは気を付けるね」と謝って、しばらくして結局同じことを繰り返してしまう。「自分のせいで、このままダメになってしまうのだろうか……」と何度も頭をよぎった。
―そんなある日。いつものようにケンカをして、彼は「疲れた」と先に寝てしまった。
部屋がひとつなので明かりを落としたが、私はなんだか眠れず、「どうしたもんか……」と、ベッドの端に頭をのせ、考えをめぐらせていた。
しばらくすると突然、「うわぁ!!!」という声がした。何かと思って顔を上げると、こちらを向いた彼氏が悲鳴をあげて飛び上がった。
本気で怯えている表情だった。(もともとビビりでよく大きい声を出すが、あの顔は後にも先にもこの1回しか見たことがない)
私は何が起こったのかわからず呆然としていると、彼が「(パワハラをした)上司の顔が見えた……」と。
この出来事がかなりショッキングだった私は、「一人で対処できる状況ではない」ということを悟ったのだった。
判断に迷った私が起こした行動
うつ病治療で大切なのは、この3つ。
1. 十分な休養(休職・睡眠など)
2. 環境調節(原因から距離を置くなど)
3. 薬物治療・精神療法(通院など)
そして、治るまでは少なくとも2年程度かかる。だから、言ってしまえば完治していないことはわかっていた。
でも、目の前にいるのは自分と対等な一人の人間だ。治療の継続は、彼の意思なくしてはできない。
第三者の助けが必要なのは明確だったが、病院に行くべきか、行くなら前通ってたところから変えるべきか、それともカウンセリングを受けるべきか、わからなかった。
しかも、こんな状況でも彼は病院に行くのを嫌がったのだ。再び産業医面談を受ける(有休日数の)余裕も残されていなかった。
そんなとき、私の勤務先の産業医面談があったので、藁にもすがる思いで申し込んだ。
産業医と話したことがなかった私は、なんとなく「無難なことを言われるかな……」と思っていたのだが、予想に反し、先生はとても親身に話を聞いてくれた。
そして、「この先結婚を考えているなら、今の彼じゃなくてもいいんじゃない?」と言われた。「最近は、がんでもすぐには死なない。でも、うつ病はあっという間に(自殺などで)死んじゃうのよ。私があなたの親だったら、彼との結婚は薦められない」と。
一見ショックを受けそうな言葉だが、私はこれを聞いて、どこかほっとしていた。「自分は医療者だから、病気を受け入れなきゃいけない」などと思い込んでいたのだ。心にのしかかっていた重みが、少し和らいだ気がした。
付き合って半年経つか経たないかの中、この先結婚するかどうかなんてわからない。でも、私に彼と別れる選択肢はなかった。
先生は、私の意思を尊重し、3つの病院(精神科)を紹介してくれた。彼が以前通っていた病院は心療内科だ。
私の行動は多分、間違っていなかったと思う。いざというときは、この病院に行けば大丈夫と、その後の支えになった。
説得の壁
Xデー以降、会社を辞めてほしいという気持ちはますます大きくなっていた。しかし、転職活動は体力と精神力を使うし、何より有休が必要だ。次の補充まではあと3ヵ月もあった。
ちなみに、病院の話はなかなか言い出せなかった一方で、転職の話はしょっちゅう打診していた。最終的に「私と仕事どっちが大事なの!」とか「辞めないなら別れる!」とまで言ったかもしれない。
本気で、ただただ会社を辞めてほしかった。
常套句でかわしていた彼も、私のしつこさに観念したのか、だんだん考えてくれるようになった。
病院の話はというと、ある夜、落ち着いて話せるタイミングを見計らって、「お願いがあるんだけど」と切り出した気がする。
多少もったいぶってから、「病院に行ってほしいの」とストレートに伝えた。彼は、私が真剣だったので、少し驚いていた。
意外にもあっさり病院に行くことを承諾した彼は、「実は、もうかなりしんどかった。正直、ほっとしてる」と、心境を吐露した。
ほかにもたびたびそういう場面があったが、彼は一度意地を張ってしまうと、ゆるめるタイミングを失ってしまうタチらしい。
にしても、説得には本当に時間がかかった……。
通院、異動、引越し、異動、転職
ついに、ここで再び「うつ病」の診断が下されることになった。
選んだ病院の先生とは相性がよかったらしく、状況は目に見えて好転。
もちろん、落ち込む時期はあったものの、だんだんお互いにメンタルが崩れるときのパターンと対処法がわかってきて、ケンカが泥沼化する回数は激減した。
その間、彼氏は元の現場に戻る予定がなぜか違う現場に飛ばされ(そこも最悪だった)、そんな中なんとか引越しを乗り越え、ようやく元の比較的平和な現場に戻してもらい、有休を手に入れ転職活動を始めるという、怒涛の数ヵ月を過ごした。
余談だが、彼にはちょっと抜けたとこがあり、これから辞める予定なのに会社の中の人に転職の相談をしたり、残飯を詰めたタッパーのお弁当を同僚に自慢したりする(恥ずかしい)。
ある日、「俺の家にあった白い荷造りひも、あれで死のうと思ったんだよね。怖くてできなかったけど……」と言われたときは、心底抜けててよかったと思った。(あのひもの強度なら、相当に頑張らないと死ねないだろう)
途中転院もしたのだが、紹介状には「彼女(私)がうつ病の原因」と書かれたり(!?)と、珍エピソードはまだまだある。
今回は、“うつ病とわかるまで”の話なので簡潔にまとめたが、その後の話はまたどこかで詳しく書けたらと思う。
今の話を少しだけ……
あの頃の嵐のような毎日が夢だったみたいに、今はとても平穏な日々だ。
彼の名誉のために言うが、今の家はとても綺麗に保たれている。(ポイポイ星人だけど)
そして今、私はイライラを我慢してはいない。ただ、すぐ感情を出すのではなく、まず「私は不機嫌です!」とわかるようサインを出している。
そうすると彼は、「どうしたの?」と話を聞く体制を作ってくれる。彼は共感力がとても高いのだ。
逆に、感情を表すのが苦手だった彼がちゃんと自分の気持ちを表したときは、それがどんな内容であろうと私は全力で受け止め、賞賛した。
そうすることで、だんだん素直になり、メンタルがあやしいときは先読みできるようになった。かなりのリスクを回避できていると思う。
と、ここまでの書きぶりは、もしかしたら私が彼のことを一方的に支えているように感じるかもしれないが、実際は私も彼に多々支えられて生きている。
これから乗り越えなきゃいけないこともたくさんあるだろうが、この人と一緒に生きていきたいと思えるのは、とても幸せなことだと思う。
パートナーや家族がうつ病でも、それは必ずしも悲観的なことではないはずだ。
もし、この記録が同じ境遇に悩む誰かの光になれたら、それ以上に嬉しいことはない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。またどこかで。
2021.5.7追記
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