嵐・病原菌・僕

 母親が医療従事者だから、コロナに関心はあったが、僕の周りに罹患者は出ず、恐怖は感じていなかった。歌は好きだったけれど、車で流れた曲は古かったし、あとは中学でボカロにハマった程度だった。嵐の歌で通して歌えるのは『世界にひとつだけの花』ぐらいだろうか。もっとも、小学校で合唱したから覚えているだけで、この曲でまず浮かぶのは、とあるtwitterアカウントの「ほとんどの人は花屋の店先に並ばない花なんだから」という言葉だった。

 嵐について、言えることがあるとすれば、先の紅白歌合戦での彼らの姿ぐらいだろうか。無観客での活動休止は想定していなかっただろう、涙ぐむ姿は際立って見えたが、その歌とダンスは見事だった。『happiness』のサビは知っていたから、頭で歌詞を重ねながら、彼らの生き生きとした姿に心を動かされていた。

 感動と同時にコロナで亡くなった人を想像した。生と共に死を感じていた。それらは対置されるものではなく、一続きのものであった。届かない歌声を思い、鎮まった人を思った。最初の歌で流れた、コロナに対応する医療従事者の姿が思い出された。

 表舞台から姿を消す彼らと、この世界から去る彼らは、最後の最後で対峙できなかった。奇しくも、僕は彼らの活動休止を目の当たりにした。彼らに向ける言葉は見つからず、それでも、言葉だけが溢れて。

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