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#28.キルギス語はコロナで冬眠中ということにしよう

トルコからある機関を通して学術発表のため、某大学に派遣されてきた中央アジアの研究者の発表会に顔を出したことがある。その発表後、エコツーリズムについて発表したキルギスの発表者に冗談で「旅行にきた外国人の女性は誘拐されることはないのか」と質問した。

するととなりにいたタジク人の発表者が怪訝な顔をした。それを見たキルギスの発表者はトルコ語でそのタジク人の発表者に「誘拐婚」を説明し始めた。そのタジク人はキルギスの「誘拐結婚」について知らないようだった。

ところで、この「説明」というのはあくまで私の推測だ。キルギスの誘拐結婚は"アラ・カチュー(kyz. ала качуу)"といい、面白いことにトルコ語でもキルギス語の単語に若干似た"kaçırmak"のような似た単語を使う。キルギスの研究者がその単語を繰り返し使っていたので「ははあ、タジク人の人は誘拐婚についてあまり知らなかったわけだな」と想像したわけである。

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「キルギス語」と聞いてすぐにピンとくる人はあまりいないと思う。キルギス語はその名前の通り、キルギス人が話す言語で中央アジアのキルギスの言語だ。また、キルギス人が伝統的に住む地域としてはキルギス以外にも隣国のウズベキスタンや中国が挙げられる。特に中央アジアの一部の民族は中国にも暮らしており、キルギス人は中国の五十五民族のうちの一角を構成している。

そのキルギス人のキルギス語だが、トルコ語と同じテュルク語族を構成する言語の一つだ。テュルク語族はいくつかの語族に分かれており、「カルルク」、「キプチャク」、「オグズ」の代表的な三グループに加え、独立した「オグール」と「シベリア・テュルク」という二つの、言葉のグループ「語群」から構成されている。

面白いのはオグズグループに属しているトルコ語はアナトリア半島やバルカン半島を中心にしゃべられているが、遠く離れた中国に住むサラール人がしゃべるサラール語もトルコ語と同じオグズグループに属する。つまり言語的に極めて関係が近い兄弟言語なのである。地理的に遠く隔てられている別言語がここまで近い関係性を持ったまま現代まで残っていることは珍しいことではないだろうか。

とはいえ、テュルク諸語にカテゴライズされている言語は多かれ少なかれ文法が極めて近く、一つの言語をある程度勉強すると他のテュルク語でもなんとなく、どういえばいいのか類推がつく時がある。そもそも言語間の距離が近いのだ。

そして、語彙も似通っている。現代に散在しているテュルク諸語は一つのご先祖様が派生したものと考えられ、基本となる語彙は言語が違っていても、そっくりだったり、微妙に違う程度のものも多く見られる。

さらにオグールとシベリア・テュルク語群以外の多くの民族はイスラム教を受け入れた結果、多くのペルシャ語やアラビア語の語彙が流入している。そのため、言語が違っても同じ単語を同じ意味で変わらず用いていることがある。

そういったことから、テュルク語のうちの一つでも知っていれば他のテュルク語に出会った時、自分の知っているテュルク語の知識が役に立つ機会が多いのだ。キルギス語も例外ではない。

ただし、キルギス語が属している「キプチャク」語群は「カルルク」、「キプチャク」、「オグズ」の三グループの中で音の違いが顕著なグループだろうと思っている。

特にトルコ語、ウズベク語、キルギス語を比べるとトルコ語やウズベク語の「や」の音で始まる単語がキルギス語になると「じゃ」の音に変化していることが印象に残る。

例えば:

🇹🇷Yazmak, iyi, kötü オグズ
🇺🇿Yozmaq, yaxshi, yomon カルルク
🇰🇬Jazuu(жазуу), jakshy(жакшы), jaman(жаман) キプチャク

このように見るとキルギス語と語彙が似通っているのはトルコ語よりも、国がとなりのウズベク語だという印象がある。そして、それと比べて音が規則的に対称になっていることがわかる。

個人的にキルギス語に最初びっくりしたのは「はい」にあたる言葉が"ооба"だったことだ。「いいえ」に対してはテュルク語で広くみられる「ない」という言葉と同一の"жок"を使う一方で、同じキプチャク語群のカザフ語の"iya(ия)"やアゼルバイジャン語の"bəli"、トルコ語の"evet"などにも似ても似つかない単語を使っていたことだった。まるでファミコンの頃のあるRPGのラスボスの叫び声のような単語で、驚きを通り越して笑ってしまったりする。

キルギス語は世界的にみてもメジャーな言語ではない。少なくとも英語であっても「これだ!」と勧められる教科書があるわけではない。ユーラシアセンターから出版されている『キルギス語入門』は今や市場在庫に依存するだけで、影も形もないレアな教科書になっている。唯一、店舗に在庫があるのを見かけるのが『キルギス語会話』だ。店舗に在庫があるのは、「文法も何も知らない状態で会話集に手を出したところでどうにもならない」という理由で誰も買わないだけで、入門書を探す隠れキルギス語ファンは、実際多いと信じている。多分。

したがって、どうしてもキルギス語を勉強する際に有力な媒介言語としてロシア語の教科書などが第一選択肢に入らざるを得ない。ただ、ロシア語でキルギス語を勉強しようとする人は少ないし、また日本ではなかなか適切な教科書が手に入りやすい言語でもない。アプリを探してみてもいいものがない。入門環境が整っていないという点で日本でキルギス語を勉強し始めること自体が難しいのだ。とはいえ、それはキルギス語だけに言えることではなく、中央アジアの諸言語全体的に言えることなのだが...

そんなキルギス語ではあるが、以前スピーチコンテストが日本で開催される、というニュースが耳に入ったときは驚いたものである。なんでこんなにマイナーな言語のスピーチコンテストなんかが開催されるのかと思ったわけだ。しかもすでに二〇一四年と二〇一七年と二回開催されているが、それ以降は今のところない。二〇一七年は日本とキルギスの国交二五周年記念行事として開催されたようだ。

第二回 日本人 キルギス語スピーチコンテスト...

Posted by 在日キルギス共和国大使館 on Friday, November 10, 2017

『ベレケの村』さんのホームページがその時の様子を写真付で載せているので、ご覧いただくとイメージは湧きやすいだろう。

私たちにとってキルギス語はマイナー言語であるが、大使館が予算を割いて、言語の教育や啓発に力を注いでくれることはマイナー言語の学習者にとってありがたいことである。そう考えると、スピーチコンテンストや言語関係のイベントを定期的に開催していたと考えると、トルクメン語、ウズベク語、カザフ語、タジク語、キルギス語のような、中央アジアの諸言語を話す大使館の中ではキルギス語が一番実績があるような気がしないでもない。

しかしながら、コロナウィルスが感染拡大している状況下ではなかなかキルギス語のイベントなどを開催するのは難しいだろうし、キルギスに行くことすら叶わない。

その点で来春開校予定の東京外国語大学のオープンキャンパスのキルギス語コースの開講予定は一つの楽しみになるのではないだろうか。

しかし、語学の一番の楽しみは対面で現地の人と喋ったり辛くも頑張って意思疎通をすることのように感じている。したがって、キルギス語も含めてあらゆるマイナー言語のイベントはコロナ禍が去った後に夢を託すことになるのではないだろうか。書を捨てマイナー言語の旅に出られるのはまだ先になりそうだ。春のイベントを待ち、キルギス語はコロナで冬眠中ということにしよう。

草々

写真:

ID 59154136 © Hoang Bao Nguyen | Dreamstime.com




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