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人工言語の中に『ソルレソル』という言語があります。これは非常に音楽的な人工言語で、「音階のドレミファソラシドで会話しよう」という非常に奇怪な発想で作られた「言語」でした。絶対音感を持っていれば楽なのでしょうが、生憎とも私は音楽の際はないわけです。そのため、今ソルレソルの学習は「こんな言語にも人間はチャレンジしたんだな」程度の認識のまま、勉強を完全に放置しています。

しかしながら、「音楽的に会話しよう」という発想が自然言語に元からないわけではありません。私たちの話す日本語や沖縄語には少なくとも音の高低があるわけですし、音楽的言語という考え方自体は私たちの身近にあるものです。

その最も代表的な例がお隣の中国のいわゆる「中国語(普通話)」でしょう。中国語を勉強し始めた人は必ず声調、「四声」に大抵はつまづくことかと思います。

1.中国語の四声
①高く平らに発音...一声
②中音域から高音域に上昇...二声
③中音域から低音域に下降し、その後やや上昇...三声
④高音域から中音域に下降...四声

これだけでも「中国語って難しいなぁ」と思う方もいるのではないでしょうか。

とはいえ、中国で話される言語のうち、声調が四つしかないというのは少ない方だと思います。私も一体、中国語であるいは世界の言葉で最も声調の多い言葉はなんなのかはわかりません。

仮としてここでは声調とそのバリエーションを含めて、トーンと呼びます。Giorgio(2020)の論文によると、少なくとも台山語の方言(Ng Yap)にはトーンのバリエーションを含めて、10種類のトーンがあるとされています(1)。

最大で10種類もあるのかと思うと、中国語の標準語や広東語の声調の勉強がとても楽に感じませんか?

広東語の声調

昔、ベルリンで暮らしていたとき、日本語に興味を持つ人たちとの会合「スタムティッシュ」で二人の中国人とドイツ人の友達の紹介で知り合いました。一人の出身地は忘れてしまいましたが、もう一人は香港だったはずです。

そこで当時、中国の言葉の事情はよく知らなかったので、「中国語には方言はあるの?」という話題から、「じゃあドイツ語のXXは君らの土地の言葉で何というの?」という質問をすると、両者から似ても似つかない回答が飛び出してきます。そして、肝心なことに香港人の友達の言葉はもう一人の中国人の友達には理解できなかったことが印象に残っています。

『ニューエクスプレスプラス 広東語』によると、広東語の声調は六声あります。これはベトナム語の声調の数と一緒ですが、声調の番号と発音の仕方は異なっています。

広東語は音を「高く発音する」、「低く発音する」というパターンが高い音階や低い音階にもあります。一方でベトナム語は『ベトナム語が1週間でいとも簡単に話せるようになる本』(2)によると:

ã「のどの緊張を伴ってやや上昇し、一瞬のどを閉じた後で急に上昇する」
ạ「のどの緊張を伴って始まり、急に降下し、のどを閉じたままで終わる」

...などの声調が多いのがベトナム語の声調の特徴です。

ただし、興味深いことに広東語とベトナム語の声調のうち、3つは似た声調ではないかと考えます(平坦な発音、急に上昇する、低く下がるという点で)。

広東語の声調の方は割と音楽的でかつシンプルな声調が多いです。ベトナム語は音の上げ下げも見受けられますが、のどを締めたり、緊張を解いたりと、広東語の声調と比べて幾分かトリッキーです。

iphoneのピアノアプリを片手にオンラインでネイティブの発音の音を聞いていると、あくまで私の聴覚によりますが、広東語の声調はざっくりとレからソの高低?があるように感じます。下記は平ら(平坦に発音)・上昇・下降に分類した広東語の声調のパターンです。

1.平らに発音するタイプ
①高く平らに発音... 一声 ソ
②中音域で平らに発音... 三声 ミ
③最も低く平らに発音... 六声 レ

次は下降・上昇するタイプです。

2.上昇するタイプ
①中音域から高音域に上昇 二声 ミ→ソ
②低音域から中音域まで上昇 五声 レ→ミ
3.下降するタイプ
①低音域から少し下がる 四声 レ→ドに向かってやや下がる

上記の6パターンが広東語の基本的な声調のようです(3)。

漢字の読み方について

中国語や広東語の発音の仕方は私たちが慣れ親しんでいる言語のそれとは隔たりがあります。ですが、漢字に関しては広東語のほうが伝統的な書き方を用いているので、多少心的な距離が近いように感じます。

ところで、中国語を勉強してみると感じることですが、今の中国語の普通話(標準語)の漢字の読み方は日本語の漢字の読み方とそっくりではありません。似ているものもありますが、大抵は全く異なる読み方をしており、発音から何の漢字を読み上げているのか当てるのは難しいと思います。同じ文字を使っていると言えども、勉強する際は同じ文字を使う、違う読み方をする言語というような姿勢で、改まった形で机に向かう方がいいと考えます。

現代の中国の漢字は簡略化された「簡体字」を用いています。また香港や台湾などで、広東語はその簡略化された文字のベースとなった、より伝統的な「繁体字」を用いたりと、漢字圏の文字文化も多様です。

日本語との関わり合い

その漢字圏において、振り返ってみると、日本語の書記体系ほど複雑な言語はそうそうないと思わせてくれます。特に漢字のシステムが複雑で、一つの漢字に複数の音があることもざらです。

まず大和言葉由来の「訓読み」と中国大陸から輸入された読み方の「音読み」に区分されます。そして、「音読み」には主に下記の四種類の歴史的な区別があります。「呉音」、「漢音」、「宗音」、「唐音」ですね。しかしながら、中国大陸の漢字の読み方は日本語が上記の四つの読み方を体得した時から時間が経っていますので、大きく変化してしまっています。

例えば沖森の『日本語全史』によれば、呉音は...

六世紀頃に百済を経由して輸入され、主として六朝時代末期の五世紀頃の長江下流域に行われていた中国南方音を反映するものである。
No.302/6335 5%(kindle比率)

とのことですが、音韻が変化してしまっており、古い中国語と強い繋がりがあるはずの現代日本語の「呉音」は現代の中国語諸方言の読み方とそっくりではなくなってしまっています。

ただし、100%日本語の音読みの知識が役に立たないわけではありません。すべての漢字の読み方の対応性を比較したわけではありませんが、「呉音」や「漢音」の訓み方にそっくりな読み方をする現代の中国語や広東語の単語と、偶然遭遇することはあります。

例えば日本語に「電脳」という単語があります。これは前者の「電」が「呉音」で、「脳」が「漢音」に属しています。異なる時代に入ってきた漢字を組み合わせた造語だと思われます。この「電」は広く呉音的な読み方が言葉の境を突き抜けて、共有されている漢字だと思います。

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沖森の話を前提とすると、古事記が成立している8世紀頃にはすでに日本で「呉音」が用いられていたと考えられます。「電」といえば、古事記では神様の名前に使われます。例えば「建御雷之男神」のようにタケミカヅチの名前で登場します(3)。この頃から、もしかしたら当時の関西の知識人は電は「デン」と読んでいたのかもしれません。

中国大陸の話になりますと、「電脳」は簡体字で「电脑」、繁体字で「電腦」となります。中国語では"diànnǎo"、広東語では"din6 nou5"と発音します(広東語の数字は声調の分類番号です)。簡体字で見るとなんだろうと思いますが、繁体字でみると日本語の「電脳かな?」と推測できることでしょう。

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実のところ、日本語、中国語、広東語で共通する漢字の読み方を比べるということは、とても生物学的な作業といえましょう。というのも、ある一つの種が、三つの言語、中国語、日本語、そして広東語のように、異なる環境でどのように進化したかを確認する作業になるのですから。とても知識欲がそそられる作業だと思いませんか。

広東語を学ぶことは、異なる文化との出会いでもあり、同じ文字の異なる進化の結果を確認することにもつながるのではないかと考えます。

オススメ

私自身が中国とその近辺の言語に強くないというところもありますので、自信はそれほどあるわけではありません。今回、広東語について紹介するため、参照したのが主に下記の二冊になります。

広東語はある意味、お隣の言葉と言えますが、教材はそこまで多くないのが現実です。従って、まずニューエクスプレスシリーズが一番身近な教材となると考えます。その次にコストパフォーマンスで言うと、東進の『いちばんはじめの広東語単語』が1,500円と高くなくておすすめです。単語集ですが、音読みの違いなどを確認するには手頃で便利かと。

『新・広東語レッスン』はニューエクスプレスをもう少し言語学的に濃くしたような印象を受けましたので、手軽に始めたいか、かっちり勉強したいかで最初買う本が分かれるのではないでしょうか。


参考

(1)Giorgio, Orlandi(2020) "On the classification of the Ng Yap dialects: some thoughts on the subgrouping of Sinitic languages", De Gruyter:https://www.degruyter.com/view/journals/jlr/17/1-2/article-p128.xml (2020/6/17閲覧)

(2)欧米・アジア語学センター (著), 寺戸ホア (その他)『CD BOOK ベトナム語が1週間でいとも簡単に話せるようになる本』明日香出版社 (2020)

(3)太安万侶 『古事記上』柏悦堂(1870)、国会図書館所蔵 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772088/1

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