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(ことばよりみち)カーボ・ヴェルデ・クレオール語

購入されていない方も多いと思うが、しばらく前に『カーボ・ヴェルデ・クレオール語への誘い』という本が出版されました。私は確か、京都駅前のイオンのところの大きな本屋さんで買ったと思います。

カーボ・ヴェルデはアフリカ大陸の大西洋沖に浮かぶ島国。私も行ったことがありませんが、この『カーボ・ヴェルデ・クレオール語への誘い』を読むだけで、この国の人々がどれだけ素晴らしい精神文化をお持ちなのか、カーボ・ヴェルデ・クレオール語の勉強を通して体験することができるでしょう。

カーボ・ヴェルデ・クレオール語はポルトガル語から派生したクレオール語だとされています。

クレオール語とは、異なる言語を話す人々が意思疎通を図るために作り上げた共通の言葉が世代を超えて引き継がれ、人間の母語になったものです。コミュニケーションのためだけだった言語があらゆる領域で使われるようになったということです。

例えば先日投稿したものの例でいうと、台湾の「ニホンゴ」があげられます。

また、言語の根源的な問いに関しては、以前紹介したBBCの動画の記事をご参考にしてください。この世で最もあたらしい言語「ニカラグア手話」についてです。

カーボ・ヴェルデの言葉もこのようなバックグラウンドを持った言語の一つです。また、この言葉はポルトガル語から派生した言語であるため、ほかのロマンス語系の言葉から派生したクレオール語とも似たような語彙を用いていることもあります。

ただ、この本を読む限りですが、面白い点があります。例えばキュラソーなどで喋られているパピアメント語というクレオール語があります。パピアメント語はどちらかというと、分析的な性格を持つクレオール語です。つまり、単語が変化せず、単語一つ一つが独立し、それぞれ文法的な機能を担う言葉だということです。

例えば日本語で「私は歌った」というとします。この場合、「歌う」という用言が「歌った」という形に変化しています。

パピアメント語の場合は"mi a kanta"となります。"mi"は私、"a"が「過去」を表しています。そして”kanta"は動詞の「歌う」です。これにより、「私は歌った」と表現します。

個人的なイメージですが、クレオール語はコミュニケーションをするために発達した言葉なので、文法がシンプルで、例外処理もあんまりないと思っています。パピアメント語の場合は時制が動詞になく、上記のように"a"や”ta"、あるいは"lo"のようなパーツを置くだけで、時間を豊富に表現できるのです。そしてそれはパピアメント語だけでなく、例えばハイチ語のような、ほかのクレオール語にもある特徴です。

しかしながら、この『カーボ・ヴェルデ・クレオール語への誘い』によれば、カーボ・ヴェルデ・クレオール語の動詞はいささか分析的な傾向は他と比べて低くなるようです。例えば上記同様に、カーボ・ヴェルデ・クレオール語"kánta(歌う)"という動詞を比べてみると、この言語がほかのクレオール語と少し異なる性格を持っていることが明らかになります。

N kánta (私は歌う)
N kántaba (私は歌った)
N kántadu (私は歌われる)
N kántada (私は歌われた)

このように、この二語だけで見れば、パピアメント語に近いというよりは、動詞の形が変わる日本語に近い性格を持つクレオール語だということができるでしょう。

とても不思議な言語だと思います。もし書店で見かけたら是非、手にとって読んでみてくださいね。

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