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表現すること生きること


こどもアトリエを自宅の一室からスタートして
約20年、いろんなタイプの子供達と
たくさん交流してまいりました。

今日は私が皆様と共有したい
こどものアートとはいったいなんぞや?
について書いてみたいと思っています。

こどものアートって?


私がこどものアートに求めるのは
アートを通して個人を尊重すること、
自分を大切にする事、表現は楽しい、
アートが好き=自分が好き!と言う気持ち、
もともと一人一人が持っている
クリエイティブな思考を伸ばし、
想像力、創造力を育て、自分を内省し
人生を楽しむ力みたいなこと。
決して技術とかお金ではないですよね?

技術は向上心とともに後から必ずついてくる、
まずは根っこを育てること。
技術より自分を表現できる力が、
将来を生き抜く力に大きく繋がると
私自身も体験してきたから思うんだ!

私も絵は恥ずかしながら
びっくりするほどうまくありません、
だけどアートが大好きだから
ずっと携わっていたいと思って続けてきた。
これはきっと根っこが図太く育っていて
なかなか枯れにくいというのが
あるのかなあと思っています。
花は咲かずとも根っこは枯れない…
という感じでしょうか。

先日書いた記事で
ルッキズムの話題を書きましたが
決して私はクオリティ重視ではなく
どちらかというと反対の
こどもらしい作品、完成するまでに
いろんなストーリーが展開されていく絵、
想いやメッセージが詰まった作品、
障がいを持つ人が描くなんとも
唯一無二の作品、
そう言うアート作品を私は好みます。

アトリエでは、
夢だけではなく、子供達が少しでも
生きやすかったり豊かな心や思考を
習慣づける事に重きを置いています。
こどものうちからお金や仕事を意識して
作品作りに取り組むような事は
やりたくありません。
それは芸術家にとっては大人でも地獄、
芸術家なら自分の作りたい物を
作りたいに決まっています。

アートの良さは正解がないこと、
一人一人の面白さを一番面白がれるのが
ズバリ、アートだと思っています。
(特にこどもの発想は面白いですよね)

自分が表現した事を肯定される事は、
自分を大切にする事(命、人生)にも
大きく繋がります。
と言うわけで私は「表現する事、生きる事」
生きる事自体がアートであり、
全てがアートに繋がると思っています!

長ったらしくなりましたが、
私にとってこのアトリエは
シンプルでありかつ壮大な、
迷走しながらではありますが、
涙あり笑いありの長編映画!
卒業していくこども達が
将来どういう人生を歩んでいくのかを
見届けるまでのストーリーです。

とはいえ
表現ってなんだろう・・・?

表現と一言で言っても人それぞれ
捉え方が違うかもしれませんので
ここで共有していきたいと思います。

例えばの①


言葉がまだ話せない子や、
語彙力が少ない子供は
言葉で自分の気持ちを上手に
伝える事ができませんので、
怒ったり笑ったり泣いたりで
無意識ながら自分を表現します。
芸術の考え方の根本で、
作品は誰かに見てもらうことで
作品として成立すると言う考え方があります。
作品を作って人に見せる→作品を人が見る→
見た人が作品の意図を読む、考察する
そして初めて作品が完成する
と言う事らしいのですが、
先ほどの話を芸術に置き換えると、
子供が感情を表現する→
それを見て気持を読む、
考察する=芸術、表現活動が成り立つ
こどもの感情を考察や読み取ると言う事で
こどもの肯定感を育てます。

常に子供は芸術活動(そこを伸ばす)をしていて、
私たちは鑑賞している側であり
その感情を否定する事はその子を
否定することになり、
鑑賞する側にも芸術性が必要となります。
と言うわけでアートで子育てと言う概念で
自己流ですが自分の哲学を持って
私は子育てをしてきました。

アートに正解がないように、
子育てにも正解はないし
一人一人、遺伝子も環境も住んでる場所も
親の職業もぜーんぶ違うわけだから、
一人一人に合わせてのプログラムを
親が作ることも子育ての醍醐味であり、
アートは子育てに使えるとても良いツールだと
思っています。

例えばの②


以前、私は障がいのある子供達の
アートクラスをいくつか持っていました。
お絵描きがとても好きな車椅子の女の子が
いましたが足が悪く、言葉も話せませんでした。

手もかなり不自由で筆を持つことも指を自由に
動かす事もできなかったのですが
手に絵の具をつけてあげると
画用紙にペタペタと
色を載せることはできました。

デッサンを描くと言うことや、
こちらが技術を教えると言う事は
できないかもしれませんが、
カラフルな生き物がポンポン弾んだような
なんとも愛らしいその絵は
とても芸術的でしたし、
女の子もとても楽しそうに描いていましたので、
この子にとって自分を表現できる方法が
見つかってよかったなと心から思いました。

言葉や体が不自由だと、
自分を表現する方法が一気に狭くなりますが
作品だけでなくその作品の
背景にあるもの全てがアートであり、
個人の環境、状況を「表現する」と
言うことになります。
その後そのクラスは施設の都合で
なくなってしまったのですが
あの子の表現方法までもがひとつ
なくなってしまったのではないかと
ずっと心の片隅に今も残っています。
資本主義社会ですから売れなければ
アートではないと言う考えもありますが、
その考えは私にはあまりなく
子供の頃から仕事を意識したアートは
させたくないと言うのが根本的にあります。
お金のことを考えて作る作品の魅力はまた
別のところにあるものです。

作品を売るのは大人でも難しいのだから
子供のうちはそんな事一切考えないで
好きに自由にのびのびと、
車椅子の女の子のように
アートをただただ楽しんでもらいたい
と言う気持ちです。

例えばの③


精神疾患や心が病んだ人の絵を
見たことがありますか?

あのゴッホさんも統合失調症だったと
言われていますよね!
耳を切ったのもその病気のせいだったとか。
ゴッホ作品が怖いという人も多いですが、
私は大大大好きです。

観てわかるものや
わからないものがありますが、
心(精神)と言う見えない世界を
アウトプットしている絵には
なぜか独特な世界観があり魅力があります。
みんながみてみたい物だからです!

以前私もこどもの絵の危険なサインを
独学ですが勉強していて
とても参考になりました。

現代芸術の代表でもある岡本太郎の怒りに
満ち溢れるエネルギー的な絵や
石田徹也さん(大好き)の
観るものに強いメッセージを与える絵には
技術はもちろん生い立ちや背景も含めると
ものすごい表現力と生きる意味や力を感じます。


感情や感覚は目には見えませんが
それを見える化する事はできますし、
味を色にしたり、
風を味で表現したり、
表現においてその組み合わせは
無限大で想像力を掻き立てられますね。

くまは実際喋りませんが
くまさんという擬人化された
キャラクターは実際にはいないけど
表現上では喋りますし、
干支の辰年だけ実際にはいませんが
あれは作物を育てるための
大きな川を龍で例えている
とも言われていますね!
実際には川は龍ではありませんが
そう言う比喩としての表現も
めちゃくちゃオシャレで
センスがありますよね!

見えない物をアウトプットして描くのは
見える物を描くよりとても
むずかしいんですよね。
ゴッホのひまわりや
フェルメールの真珠の耳飾りの少女は
3歳の子でも上手に描けますが
見えないものになったとたん
同じ子が描いてもよくわからない
絵になってしまったりします。

何が上手で何が下手か
何が良くて何が悪いか
何が魅力的で何が魅力的ではないか
大人や見る側の価値観だけで
決して判断できないほど
アートは奥が深くて面白いんです。
表面だけをみてみてください、
その時点でその作品は面白くもなんともない
わけのわからないただの物体と化します。

今日は思いつく物をみっつほど
見繕って書いてみましたが文章下手なので
うまく伝わっているか心配です。

こどもの作品に
何を求めたらいいかわからない
と言う方も多いと思います。
例えばこどもの頃にいくら上手く
かけたとしても大きくなったら
あっという間に埋もれます。
それよりも自分の作りたい物を表現する力を
気持ちよくのびのび伸ばしてあげた方が
発想力や想像力が育ち
創造ある未来に繋がると私は思っています。
こども達にも伝わっていたらいいなあー

本日は以上です、
最後までお読み頂き
ありがとうございました!

これだけでももう可愛い!


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