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生まれながらの才能、その才能の事をどうもギフトと言うらしい

それはギフトなのか⁉️
そうなのか⁉️
そうじゃないのか⁉️

昨日は朝早くから出発(お仕事)
帰宅してからは家事、
かなりの時間立ちっぱなしで腰がやばい。
歯も痛いのに昨晩から妄想を現実にするべく
お金の計算ばかりしている…

夢とかないし妄想日記でもなく現実的な目の前の妄想…
どうせうまくいかない、
今までもずっとそうだったからそう思いがちな私
(何を成功とするのか)

でも自分の幸せって何かを
この年になってやっと
少し理解できるようになってきた。

アメリカで言う「ギフテッド」
(生まれながらのそれぞれの才能)は
(努力も含めて才能)
ただの偶然持って生まれた才能
でしかない…という定義

それは原理的に
○固有のものであるはずがない
○私物化していいはずがない
○たまたま持って生まれた才能なのだから
才能をまわりに分配する義務がある
○自分だけで独り占めしてはいけない
○天から与えられた才能なのだから
それは公共のために使うもの
○分け与えたくさんの人のために使え

という教えがあるらしい。
逆に全て自分のものなんだから
私物化するべきだ、という
思想の人たちもいるそうなのだが主流は
公共のために使うべきという
思想の人が多いらしい。

自分に与えられた才能、
だれにでもひとりひとりに与えられた
何かしらの才能が必ずある
自分ではそう思ってなくても…

世間から見ると
ひとりひとりの才能は
天からもらったギフトなのかもしれん
論点が外れるかもしれんが
私が天から頂いたギフトで考えると
まあまあこどもの扱いは上手やし好きやし、
こどもの心に入るのは楽しい。
(あえて自分で言わせて)
アートはかなり残念な感じ…
アートの才能がないのは自分でもわかっている

でも私が必要なこどもたち(大人も)
おるんやったら私はこのギフトをぜひ
まわりにプレゼントしてまわりたいと思う


うまくいかなくともやるべきか
それともやめるべきか
私が親だったらなんていうか
こどもだったらなんていうか
それが私にとって幸せなのか
もっとやるべき事があるのか
人生も体力も残り少なくなってきた
リスクはある …

だけどこれからを
どう生きるか、この命をどう使いたいか
しっかり考えたい。



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