2017 佐賀大学 医学部 看護学科 一般入試(前期) 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」


 この作品における「わたし」は、周囲との人間関係に悩んでいるようだ。「セトモノ」とは、自分の考えを変えず、他人の意見に耳を傾けない頑固な態度を表している。「わたし」はそのような態度で他人と付き合ってしまうので、他人と衝突し、その結果どちらか(あるいは両方とも)が傷つくことになる。こうした状況に対して、どちらかが他人の言葉を素直に受け入れる「やわらかいこころ」を持つことができれば、周囲との軋轢も和らぎ、傷つけあうことは少なくなるだろう。しかし、この詩からは、そのような態度をとることができない自分の未熟さへの無念、また他人にそのような態度を求めてしまうみずからの傲慢さへの自戒といった気持ちを読み取ることができ、「わたし」はそうした気持ちを抱いてこの作品を書いたと考えられる。 
 この作品を読んだうえで、これから看護職に就こうとする私は、患者の方々とどのような関係を築くか、また病院のさまざまなスタッフとどのような関係を築くかが重要であると考える。看護職という仕事を継続していくには、自分がただ「やわらかく」あるだけでは不十分だと思われる。来院した人や入院患者からの要望をすべて受け入れるわけにはいかないし、それはスタッフとの関係においても同じことである。とはいえ、自分の都合や病院側の論理を押しつけてばかりでは、患者の方々に不快な気持ちを覚えさせ、無用なトラブルが生じる原因になるだろう。また、スタッフとのあいだでも衝突や不和が生じ、結果として提供する医療の質が低下することにもなりかねない。そうであれば、必要なことは、「やわらかいこころ」と「セトモノ」を時と場合に応じて使い分けることだと思われる。その際に重要なことは、自分が直面する状況が、相手の要望に沿わなくても、あえて自分の主張をとおすべきとき(セトモノになるとき)なのか、それとも、相手の気持ちに寄り添い、それを尊重するべきとき(やわらかくなるとき)なのかを、的確に判断する力である。こうした判断力があってこそ、周囲とふさわしい関係を築くことができ、看護職として果たすべき役割を全うすることにつながるだろう。(883字)

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