2017 山梨大学 医学部 看護学科 一般入試(前期) 小論文 模範解答

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小論文I

自分の身に起こった出来事を自己責任という相のもとで捉えるとは、その出来事を、他人が原因で生じたとか、単なる偶然と見なすのではなく、自分の言動によって引き起こされた結果であると捉えたうえで、その出来事に対応することである。ここには、自分こそがその出来事に率先して対処するべきである、という規範的な態度が含まれる。
 筆者の批判は、何事につけ他人の言葉をうのみにし、他人任せにする態度に向けられている。この態度が批判されるのは、そのような態度によって、必ずや人は自分の健康や子供の教育などに関して怠惰で無責任になるという理由による。
 しかし、他人の判断に従うという決断をしたのはほかならぬ自分であり、決断もひとつの行為である以上、その決断の結果を自己責任として引き受けることも可能であり、必ずしも筆者の言うような無責任が帰結するわけではない。たとえば子供の教育をすべて学校任せにしても、その後に起こった出来事(子供の学力が伸びないなど)を、学校に任せきりにした自分の責任だと見なすことはありうる。
 したがって、自己責任の問題は、ある出来事の原因を自分だと見なすか否かという視点の取り方の問題であって、その出来事に対する知的態度の有無ではない。このように、自己責任は、知的な研鑽や努力といった美徳と無関係であるので、生きるうえでそれほど重要なものではないと思われる。(576字)


小論文II

調査結果からは、日本の高校生には、学んだことをきっかけにしてさらなる学びを能動的におこなう姿勢が欠如しているという点が読み取れる。このことは、「問題意識を持ち、聞いたり調べたりする」や「勉強したものを実際に応用してみる」、「教わったことをほかの方法でもやってみる」といった項目において日本の割合が非常に低く、さらに同項目において四ヶ国中最下位であることに示されている。
 生きる力を養うには、教わったことを覚えるだけでは意味がない。試験でよい成績をとるためではなく、生きていくうえで活用し応用していくための基礎を身につけるという姿勢で学ぶことが重要である。そのような姿勢の獲得には、勉強の目的を直近の試験結果という近視眼的な目標から解放し、学校の勉強がそれ自体で完結するものではなく、さまざまな事柄に応用可能であることを実感する必要があるだろう。(371字)


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