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ルビー・ザ・キッド Bullet:12


 銀行強盗の大男からもらった最初の紅い拳銃は、七年半前に青い拳銃で黒桃に撃たれて蒸発した。今の拳銃はそのとき一緒に溶けた右手首の断面から生えてきた二代目だ。コルトのピースメーカーとはフォルムが微妙に異なっていて、初代の拳銃よりもポテンシャルがずっと高い。
 その二代目の射撃テストを『ファクト』のベースの地下四階にある実験フロアでやることになり、啓司ライトナーと各セクションのリーダーたちが指揮所に詰める。室内競技場ほどのだだっぴろい空間の端に設置された射撃台の上に僕は立つ。技師たちがデータを採るための端末を僕に取りつけて退避する。
「では始める。まず実弾射撃だ。好きに弾道をコントロールしてくれ」
 技術セクションのリーダーがインカムで言う。僕は頷き、カートの上にある弾丸を拳銃に装填する。
 シュート、とリーダーが指示を出す。
 右腕一本で拳銃を構えて五十メートル先の標的を僕は撃つ。
 初めは弾丸の軌道をほんの少しだけ曲げてやる。途中からはわざと狙いを外し思いきり弾をカーブさせて的の真ん中に当ててやる。三十発目でストップがかかり、振り返ると強化ガラスの向こうで各セクションのリーダーたちが、喜びと畏れの入り混じった顔でしきりに言葉を交わしてる。啓司ライトナーだけが動じてない。腕組みして僕を見すえてる。
 エネルギーラインを撃ち出すテストでは、五メートル四方の鋼鉄の塊がフロアの真ん中に固定される。
「貫通力を観る。中くらいの出力で撃ってくれ」
 テストの開始がコールされる。
 今度は両手で拳銃を構える。撃鉄を起こすと銃全体が薄桃色に光って振動する。シリンダーとバレルの周りの空間が帯電しながらグニャリと歪む。エネルギーをある程度プールしてから僕は紅い拳銃の引き金を引く。直後に桃色の光線が走って鋼鉄のブロックを直撃する。
 やば、
 と思って引き金を戻す。
 ほんのコンマ数秒の照射で鋼鉄の塊はどろどろに溶け落ち、貫通したエネルギーがハイマンガン鋼でできたフロアの壁に大穴を開けている。技術セクションのリーダーが慌ててテストの中止を指示する。
 ぷひゅう、と僕は息を吐く。新しい紅い拳銃のパワーは想像以上に強烈だ。気をつけないと『ファクト』のベースを内側から破壊してしまう。
 指令所を出て近づいてきた啓司ライトナーが隣りに立つ。それを僕は横目で見る。チリチリと殺気を発してる。きっと弟を溶かして殺した力を目の当たりにしたせいだろう。
「以前と変わりなく撃てるようだな───だが、もっと試し撃ちをした方が良さそうだ。適当な場所を見つけておく」
 そう言って啓司が右手を差し出す。拳銃を渡せ、という意味だ。『ファクト』へ来たときから紅い拳銃は武器セクションで管理されてる。僕は拳銃を渡そうとし───違和感を感じて右手を見る。
 動かない。離れない。
 グリップがてのひらにくっついてる。
 え、え、え、と目の前にかざすと、紅い拳銃のフォルムが溶けるように崩れ、血の塊になって手の中に染み込み、あっという間に消えてしまう。
 紅い拳銃が体の中に入ってしまった!
 僕は呆然と啓司を見る。啓司も目を見開いて僕を見てる。
 右手を開いて確かめる。グリップに嵌まってるルビーの結晶が掌の真ん中に顔を出してる───初代の拳銃が体に入っていたとき胸の真ん中に出ていたように。中指を折って触れてみると、結晶の周りから血が滲み出し、固形化して紅い拳銃になる。慌てて僕はグリップを握る。
「・・・何をしたんだ?」
 啓司ライトナーが驚愕の表情で訊く。指揮所の中でセクションリーダーたちも固まってしまってる。
「わからない」
 と僕は答える。
 技師たちの前で何度か試す。血液化させた紅い拳銃を毛細血管から出し入れしてるのだろう、という見たままの仮説が立てられる。もちろん原理なんて分からない。
「まさか───何挺でも紅い拳銃を出せるのか?」
 啓司が言って全員が青ざめ、試してみることになる。
 出ない。出せない。
 わかった、もういい、と啓司が止めて射撃テストは中止され、続きは別日に別場所で行われることになる。
「騙してないな?」
 紅い拳銃を渡せと促しながら啓司が訊いてくる。
 カチンときて僕は答えてやる。
「ああ───だけど、あんたの弟に撃たれた傷口から何十挺も拳銃が生えたし、ロケットランチャーやガトリング砲すら、望めば体から出すことができた。もしまた俺が追いつめられれば、紅い拳銃だってたくさん生えてくるかもな」
「・・・・」
 啓司が拳銃を受け取りながらギラリと瞳を底光りさせる。

 三日後、さらなる『試し撃ち』をするために、僕はハルやハルの所属する戦闘セクションの部隊長や技術セクションの研究者と一緒に、ヘリコプターで東京湾沖の無人島へ連れて行かれる。空母艦載機の発着練習場としてアメリカが日本から買い上げた島で、まだ駐留用の施設と倉庫しか作られてない場所だ。
 適当な場所か、
 と飛沫まじりの潮風に吹かれて滑走路を歩きながら僕は思う。確かにここなら紅い拳銃の射撃訓練にはうってつけだ。気兼ねなしに撃てるのでデータもたくさん取れるだろう。
 今日の紅い拳銃の管理者はハルだ。
 僕が持てるのはテストの時だけで使い終わったらすぐハルに返す。そうしないと部隊長から自動小銃を向けられ警告されて、無視すれば僕は射殺される───通常のライフル弾で僕を殺すことはまずできないと思うけど、そういう段取りになっている。
 カメラや測定器具のセッティングを研究者が終えて、テストが始まる。
 海に向かって数発撃つ。
 加減したつもりが十メートルくらいの水柱が盛大に立ち上がる。
 最大出力を見たいと言われて、水平線よりちょっと下を狙いながら、僕は意識のリミッターを外す。体が内側から爆発して光の塊になるイメージを思い描く。紅い拳銃が薄桃色の光を発して振動する。エネルギーがパンパンに溜まるまでじっくり待って引き金を引く。

ちゅん、

 と桃色に輝く光のラインが銃口から飛び出し、スパーッと海面が裂けていく。何キロか離れた海上で炎の塊がぶくんと膨れ、直後に閃光が炸裂して、衝撃波で全員が後ずさる。水蒸気爆発の巨大なキノコ雲がもりもりと立ち上がり、ハルや部隊長や技術者たちが空を見上げて口を開ける。巻き上げられた海水がスコールのように降ってきて、魚が頭や肩に当たる。
「・・・これ、まずいんじゃね?」
 核実験みたいになってる状況をながめて僕はつぶやく。我ながら紅い拳銃のパワーの凄まじさに呆れてしまう。
 小隊長が『ファクト』のベースに連絡して啓司ライトナーの指示を仰ぐ。近隣諸国に誤解されるのは避けたいという判断が下り、大出力テストはまたも中止になって、近距離射撃の実験と訓練のみをすることになる。
 部隊長と研究者たちが標的のボードを岩場に並べて、ハルが紅い拳銃を僕に渡す。一時間ほど撃ち続けて出力を絞る感覚を覚える。標的のボードを溶かさないように撃ち抜きながら、エネルギーラインの長さを調節できるようになったところで昼休憩になる。部隊長と研究者たちと米軍のパイロットはヘリの傍で、僕とハルは岩場に座って、海を見ながらサンドイッチを食べる。
「ミッションの後、どうなるか分かんないから、今のうちに言っとくね」
 モッズコートの襟を合わせてコーヒーを飲みながらハルが言う。
「あんたが眠っている間、あたし何度も考えたの。どうして甲斐美猟みたいな暴力的な女に、あんたが強く惹かれるのか」
 奪うばっかの女だよ、何でそれがわかんないの?
 森タワーの屋上でハルが泣きながら言った言葉───あの時の話の続きかな、だったらちょっと面倒だな、とサンドイッチを咀嚼しつつ僕は思う。
「七年半前、誘拐事件のことで警察の取り調べを受けた後、マリオの両親のことを父さん母さんに訊いてみたの。あんた、小さい頃のこと覚えてないじゃない?その時期に親との関係で、何かあったんじゃないかと思って。でもとぼけて教えてもらえなかった───絶対何か隠してた」
 思ってもいなかった話に僕はきょとんとしてしまう。
 親との関係、か。
 そういえば。
 父親と母親がどんな人間だったか、ハルの家に引き取られる前に、どこでどうして暮らしていたか、僕は全然覚えていないし、これまで一度も過去を知りたい、確かめたいと思ったことがない。
 意識がそこへ行かなかった。
 不思議だな───どうしてだろう?
 白い息を吐いてハルが続ける。
「マリオが小さい時のことを知ってる人はもういないから、確かめることはできないけど───危険な状況に深入りしたり、自分を深く傷つける女にのめり込むように惚れちゃうのって、両親との関係で何かあったせいなんだろうな、って思ってる。例えば、暴力的に扱われることと、愛されて可愛がられることが、混ぜこぜになってるんじゃないかなって」
 混ぜこぜ、か。
 誰かに何度も殴られ蹴られ、痛くて辛くて悲しくて、なのに暖かくて懐かしい───かたちを持たないイメージの感触を、ハルの言葉を聞きながらふいに僕は思い出す。確かR-GUNシステムに組み込まれて眠ってた時に見た夢だ。
 ハルがすっと身を寄せてきて僕の顔を覗き込む。灰色の空と緑色の海が明るい茶色の瞳に映る。
「あたし、マリオのこと好きだった。森タワーの屋上で、好きだったんだって気づいたの」
 静かな声でハルが言う。
 じん、と体の芯が痺れて温かいものが胸に滲む。
 僕は答えない。何も言えない。
 ふ、とハルが穏やかに微笑む。
「だいぶ遠くなっちゃったけど、今もまだその気持ちは消えてない。だからあんたにはずっと生きててほしいし、酷い目や辛い目に、これ以上遭ってほしくない」
 僕は黙ってハルを見つめる。
「アメリカ行ったら、自分自身のために過去を思い出す努力をしてね。申請すればカウンセリングも受けさせてもらえるはずだから」
 海鳥の舞う空を僕は見上げる。
 酷い目や辛い目、か。
 ピンとこない。でもハルの気持ちは伝わってきた。
「ありがとう」
 と僕は言う。
 ハルが透明な表情になり、海に目を向けコーヒーを飲む。

 黒桃暗殺の日が確定し、『ファクト』の全員がブリーフィングルームに集められて説明を受ける。
決行日ザ・デイは二月十四日、黒桃と甲斐都知事との結婚記念日だ」
 スクリーンの前に立って啓司ライトナーが話し出す。
「この日の十七時から二十四時間、富士近郊にある一棟貸しのホテルでターゲットは妻と一夜を過ごす。省庁や都の職員は、このスケジュールを知らされてない。R-GUNシステムで自作自演のテロ行為を始めて以降、護衛を減らしてターゲットが都市部を離れるのは初めてだ。このチャンスに『RtKルビー・ザ・キッド』を投入して電撃的に命を奪う」
 ホテルの全景がスクリーンに映され、内部構造図が3Dで展開される。
「シュートは午前二時。戦闘部隊がホテルの職員とSPの護衛をガスで眠らせ、ドローンで空輸した『RtK』をターゲットの寝室へ投下する。速やかに処理を終えた『RtK』を輸送部隊が回収し、別場所に配置したヘリに乗せて横田基地へ撤収する。ガスの注入から撤収までの所要時間は七分だ」
 ムチャクチャ乱暴な作戦だな───と僕は驚き呆れてしまう。
 でも、紅い拳銃を使って至近距離で撃つことでしか殺せないなら、こうするしかないかもしれない。
「都知事はその時、寝室にいるのか?」
 と手を上げて僕は質問する。先輩は絶対に傷つけられない。
「いない。突入の五分前に離れのバスルームへ避難している。母屋以外を壊さなければ彼女が傷つくことはない」
 そっか、ならいい。
 僕は頷く。
「『RtK』を誰にも見られずターゲットの部屋へ送り込むこと、最速で横田基地へ移送することが、戦闘部隊と輸送部隊のミッションだ。『RtK』は確実にターゲットを処理すること、都知事には接触しないこと。遂行できない場合は命を奪う」
 淡々とした声で啓司が言う。
 ハルが振り向いて僕を見る。『ファクト』の全員が僕を見る。
 ハッ、と声に出して僕は笑う。
「あんたらに僕を殺せるのか」
「殺せるとも」
 啓司ライトナーが微笑んで答えてコンソールを操作する。金属製の黒いリングがスクリーンに映し出される。
「『RtK』にはこのブレスレットを着けてもらう。血液を数秒で破壊する薬剤が入っていて遠隔操作で圧力注射器が作動する。ミッション中の君の行動はすべてモニタリングされている。逃げたり都知事に会おうとしたら私が注射器を起動させる。それで息の根が止まらなければ遠距離からスナイパーがとどめを刺す。ブレスレットはアメリカ本土へ移送されるまで外さない」
 なるほど───考えたな、と僕は本気で感心する。
 体内にある時の紅い拳銃は血になって全身を巡っているし、体の外にある時も僕と深くつながってる。どちらの状態でも血液を壊せば拳銃の力は無力化できる。
 心配そうな顔をするハルに、大丈夫、と目で言ってから、僕は啓司ライトナーに向かって言う。
「僕と都知事を、いつどこで会わせるのか、ここではっきり聞かせてくれ」
 これをずっと聞きたかった。
 言質を取るタイミングを待っていたのだ。
「言えない。ミッション終了まで明らかにできない」
 やっぱりな。思ったとおりだ。
 僕は啓司の顔を見すえ、前に言われた言葉を返す。
「騙してないよな?会わせない、なんてことは絶対ないな?」
 啓司の顔から笑みが消えて黒曜石の瞳がぎらりと光る。その殺気を僕は弾き返す。ブリーフィングルーム全体の空気がビリッと緊迫する。
「必ず会わせる。嘘はつかない」
 深みのある声で啓司が答える。
「・・・分かった。約束守れよ」
 と僕は言う。それで全員の緊張が緩む。
 それから部隊別に当日の段取りが説明されて、ハルが僕を回収する車両のドライバーに指名される。最後にミッションの終了を持って『ファクト』が解体されることが告げられるけれど、僕以外は誰も驚かない。知らされていなかったのはどうやら僕だけだったらしい。まあお客さんだし、R-GUNシステムだったし、仕方ないか───と、みんなと一緒にブリーフィングルームを出てエレベーターへ向かいながら思う。
 僕がアメリカへ運ばれると同時にここはもぬけの殻になるのか。
 ふた月そこらしかいなかったけど、そう考えるとちょっと寂しい。武市先生は大使館に残るんだろうけど、他の人たちはどうするのかな。ハルはどこへ行くんだろう。
 地下一階の居住区でエレベーターを降りて廊下を歩きながら苦笑する。
 どこへ行って、どうなるのか、一番分からないのは僕なのだ。

 ミッション当日は雪になる。
 河口湖周辺はかなり積もってて、計画の全体に再チェックがかけられ、車両に対策が施される。
 午後にハルが運転する車で二ヶ月ぶりに外へ出る。メキシコのピラミッドの形をした『ファクト』のベースが遠ざかる。ここへはもう戻らないのか、とバックミラーを見ながら思う。晴海大橋を渡って月島を抜ける。雪化粧された銀座の街が窓の外を流れていく。途中で車を乗り換えて青梅街道を西へ走り、横田基地のゲートをくぐって飛行場の倉庫前で降ろされる。自動小銃の安全装置を外した二人の米兵が僕らを迎える。
 ハルが車から降り、僕の左手に黒いブレスレットをはめ、起動スイッチをオンにする。それから紅い拳銃を挿したホルスターを手渡し、
「じゃあね」
 と言ってハグしてくる。
 僕もハルを軽く抱く。
 僕はハルにさよならを言わない。
 去っていく車を見送っているとはらはらと雪が降ってくる。兵士たちに促されてドローンのところへ僕は向かう。
 倉庫の中で整備されてる銀色のステルス・ドローンの機体は十メートルくらいの大きさで、資料で見たより美しい。
「This bird's name is Pegasus. She'll fly with you in her belly.」
 米兵の一人が翼の尖端を叩きながら僕に言う。
 ペガサスと名付けられたその機体は、ロボット兵器として高機能すぎ、パイロットの職分を脅かすという理由で開発が中止されたプロトタイプだ。このミッションのために本土から取り寄せ、人を運べるように改良させたと啓司ライトナーが言っていた。
 こいつの腹に抱かれて僕は夜空を運ばれる。
 よろしくな、とペガサスの機首に右手を当てて僕は言う。
 それから防寒素材で作られたパイロットスーツを着せられ、バイザーがモニターになってるヘルメットの動作テストをし、レーションで食事をとった後、待機スペースで仮眠しろと指示される。
 監視の兵士に見張られながら寝袋に入って僕は眠る。
 そしてルビーの夢を見る。

 大きな湖のほとりにルビーと並んで座っている。
 とても澄んだ湖で青々とした夏草に囲まれてる。遠くに黒々とした山脈があってその上を雲が流れてる。傾いた午後の太陽が世界を金色に染めている。僕はうっとりと目を閉じ、目を開く。
 湖の上に鏡がある。
 そこに僕が映っている。
 鏡の中の僕の顔は激しい怒りに歪んでる。
 『誕生日おめでとう』
 ルビーが晴れやかな顔で笑う。
 誕生日?
 ぐ、ぐ、ぐ、と横を向いてルビーを見る。
 『暴力の終わりが始まる───お前の中に咲く花に従え』
 ルビーが紅い拳銃を抜いて撃つ。
 湖の上の鏡が砕け散る。
 僕の首の横が急激に膨らみ、びちっ、と裂けて血が吹き出す。
 メキメキと裂け目をこじ開けて、怒りに満ちた僕が出てくる。
 古い皮のように脱ぎ捨てられて、血塗れの僕を、僕は見上げる。

「Hey, get up. Time to enter the coffin.」
 と兵士に言われて目を覚まし、ぶるっ、と僕は身震いする。
 すっかり夜になっている。外の雪は降り止んでいる。照明で照らされているペガサスは完全にセッティングが終わってる。
「I'll be ready soon.」
 と僕は言い、寝袋から出てヘルメットを被り、ホルスターから紅い拳銃を抜いて右の掌から体の中に入れる。見ていた兵士がびっくりして自動小銃をだらんと下げる。
 さあ行くぞ。
 僕は立ち上がる。

 百五十メートルの低空を飛行するステルスドローン・ペガサスの腹に吊り下げられた突入ポッドの中で、僕は腹ばいに横たわってる。バイザーに表示されるデュアルモニターの中を、夜空と地上の両方の景色が滑るように流れていく。雲間に満月に近い月が出ていて、雪に覆われた丹沢の山あいに人家の灯りがまばらに光る。
 もうすぐ黒桃と撃ち合うというのに僕は恐怖を感じてない。頭は冴えて心は落ち着き体はとてもリラックスしている。それでいて血がたぎる体感があって鼓動がどんどん早くなる。きっと血液になって全身を巡っている紅い拳銃が、近づいてくる青い拳銃を察知して反応してるんだろう。
「アルファ配置完了」
「ガンマ配置完了」
「了解。G放出」
「G放出」
 戦闘部隊や輸送部隊が交信している音声が流れる。
「『RtK』ポッド射出まで300」
 『ファクト』ベースのオペレーターが僕に言う。
「『RtK』了解」
 と返事する。
 五分後にペガサスから切り離されて僕はホテルへ撃ち込まれる。
 バイザーモニターに黒桃がいるホテルの寝室の3Dマップと、ポッドの突入角度を表示し、競技前のアスリートみたいに五分後の自分をイメージする。

 突入の直前に右手から紅い拳銃を出しておく───突入の衝撃に備えて耐える───ポッドの動きが止まる前にハッチを開けて黒桃を撃つ───場合によってはポッドの中から装甲ごしに射撃する───角度は右横百十度───ベッドまでの距離は五メートル───エネルギーラインの長さは十メートル───絞り込んで一瞬で蒸発させる───ハルの車で離脱する。

 実質一分のアクションだ。
「甲斐美猟がこのミッションで何か企んでることを忘れないでね。生きてアメリカで暮らしてる自分の姿を思い描いて」
 昨日スマホに送られてきた武市先生のメッセージを思い出しながら、左手首のブレスレットを僕は見て、この中の毒に殺されていない自分の姿を思い描く。
 アメリカの西部の一軒家、街のすぐ外に広がる荒野、荒い岩肌と真っ青な空と白い雲と乾いた風。そこで僕は生きている。ペンタゴンから派遣された監視役の人間以外は、誰も訪ねてこない日々を暮らしてる。何をして過ごそう、ああそうだ、絵を描くのがいい。先輩目当てで入った美術部ではまともに作品を仕上げたことないけど、一人きりで荒野で暮らすんだったら、きっといっぱい描けるだろう。毎日毎日風景を描いて、週イチで自画像を、月イチで監視役のエージェントの肖像画を描こう。オキーフみたいに荒れ地と花と骨の組み合わせも描いてみよう。飽きたら抽象画を描くのもいいな、荒野の岩肌に壁画も描きたい。けっこう楽しくなりそうだ。夜もぐっすり眠れるだろう。そしてある日、エージェントに連れられて美猟先輩がやってくる、ひと月かふた月に一度のペースで日本から先輩が通ってくる─────。
 ふふ、と僕は笑う。
 こんなに甘くて都合の良い未来が、アメリカで待ってるわけがない。
 でもいい。ペンタゴンと啓司と先輩が僕に対してどんなカードを伏せていたって構わない。
 全員の描いた絵に乗せられてやる。全員の嘘を信じて動く。
 殺しの道具になり切ることでふさわしい未来が拓けるのだと、ブリーフィングルーム横のベランダで、どうしたいか自分に尋ねたとき、閃くように分かったのだ。
 だから僕はここでは先輩には会わない。別棟にいる彼女を探さない。
 会うべき場所はここじゃない、そういう覚悟で突入する───そう思いながら先輩が寝室に仕込んだサーマルカメラの映像をチェックする。キングサイズのベッドでシーツを被って黒桃がひとりで眠ってる。
 先輩はいない。予定通りだ。
「『RtK』射出まで60秒」
 オペレーターの声が響く。雪に覆われた森の向こうにホテルの屋根が見えてくる。
「G放出終了。イレギュラーなし」
「アルファ、オーケイ」
「ガンマ、オーケイ」
 戦闘部隊から交信が来る。別館にいる職員と黒桃の護衛はガスで全員眠らされた。すべて計画どおり。トラブルはない。
「『RtK』射出まで10秒」
 ポッドの射出システムが起動してバイザーにカウントダウンが表示される。ホテルの本館が急速に近づく。大きく息を吸って吐く。照準システムが寝室の窓をロックする。カウントダウンがゼロになる。
「『RtK』射出」
 ごうん、
 とポッドが切り離される。
 風を裂いて滑るように僕はホテルへ落ちていく。
 右手に意識を集中する。紅い拳銃が三秒で物質化する。象牙のグリップを握りしめる。バイザーに窓が大写しになる。ガラスを破ってカーテンを裂いて寝室の床にポッドが刺さる。僕はハッチを操作する。床を割りながら突き進んで壁に当たってポッドが止まる。ハッチが開いて弾け飛ぶ。上半身を乗り出して紅い拳銃を構える。
 粉塵の向こうのベッドの中で黒桃の体は動かない。
 強烈な違和感に襲われて僕は引き金から指を外す───この状況で起きないのは変だ。
「『RtK』」
 啓司ライトナーからコールが来る。
「ターゲットが動かない。確認する」
 交信を返してポッドの外へ僕は出る。
 銃口を向けてベッドへ近づく。
 心が激しく動揺する。呼吸が乱れるのを抑えられない。
 ベッドの脇で掛布団の膨らみを見下ろす。
「撃て」
 と啓司が言う。ヘルメットに装着されてるカメラの映像を見てるんだろう。
「確認不要。溶かして殺せ」
 殺しの道具、と僕は思う。
 道具になり切れ。引き金を引け。
 頭の位置へと銃口を向ける。紅い拳銃が薄桃色に発光して振動し始める。
 激しい拒絶感が腹の底から突き上げてくる。
「Shoot him!」
 啓司が鋭く叫ぶ。
 僕の右手が引き金を引く。同時に動いた僕の左手が撃鉄の間に親指を噛ませる。ばちっ、と撃鉄が親指を叩く。エネルギーラインは発射されない。
 拳銃の発光が弱まっていく。
 どきどきどきどき、ばくばくばくばく。
 まさか、まさか、そんなことが。
 体が震えて顔が火照って心臓が口から飛び出しそうだ。
 掛け布団に拳銃のバレルを差し込んで跳ね上げる。
 あぁ、と僕の口から吐息と呻きが一緒に漏れる。
 黒いファーコートに青いセーターと白いパンツ姿の美猟先輩が、青い拳銃を右手に握ってベッドに横たわっている。
「ミッション中止。撤収しろ」
 啓司ライトナーの声が聞こえる。
 返事ができない。動けない。
 先輩がゆっくりと体を起こす。黒く大きく艷やかな瞳が、陶器のように白い頬が、薄桃色の口唇が、七年半ぶりに再会した最愛の人が、ベッドから降りて僕に近づく。
「『RtK』、撤収だ!」
 啓司が叫ぶ。
「マリオ」
 と美猟先輩が言う。
 だめだ───死ぬ、と僕は思う。
 衛星からの遠隔操作でブレスレットの圧力注射器が作動し、全身の血液が破壊されると同時に、スナイパーがライフルで僕を撃ち抜く。
 アメリカの荒野で始まるはずだった新しい生活が遠ざかる。明日の自分がかき消される。今度こそ本当に僕が終わる。
 ちゅいん、
 と鋭い音がして、目の前で水色の光が閃く。
 黒いブレスレットが手首から外れて落ちて床の上でどろどろに溶ける。青い拳銃を使われたことを僕はゆっくりと理解する。
 先輩が小首をかしげて青い拳銃をベッドに置く。両手で紅い拳銃の撃鉄を緩めて僕の左手の親指を外す。ストラップを外してヘルメットを脱がせる。膝立ちになって顔を近づけ、僕の頬に手を当ててささやく。
「会いたかった」
 僕はぽろぽろと涙を流す。
 床に置かれたヘルメットのスピーカーからハルと啓司の声が一緒に聞こえる。
「逃げてマリオ!そこから離れて!」
「オメガワン、『RtK』を狙撃しろ」
「オメガワン了解」
 とスナイパーが答える。
 ライフル弾が来る、と目で伝える。
 分かってる、と先輩が微笑む。
 ベッドの上から青い拳銃を取って、僕の額にずぶりと突き刺す。


(続く)

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