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ルビー・ザ・キッド Bullet:17


 ブルーインパルスが東京上空で三分間の曲技飛行を見せて、黒桃の国家元首就任式が始まる。
 日本という国の神話的な成り立ちから奈良~平安~鎌倉~室町~安土桃山~江戸時代までを駆け抜けるように表現した象徴的なアニメーションや、モーフィングで動きをつけられた江戸末期~明治初期の写真や、明治末期から大正にかけて近代化していく都市部の映像や、異様に不吉でエネルギッシュな昭和の戦前~戦中~敗戦期、焼け野原になった東京が凄まじいスピードで回復していく高度経済成長期、バブルがピークを超えた後の平成の爛熟期と退廃期、大震災と大津波と原発事故の被災映像、国連主要国によって分割統治された混乱期、そして二度目の復興期に入った(ように見えるよう編集された)今々の東京の映像が、オリンピックスタジアム内に設置されたメインビジョンとミストスクリーンに映写され、交響楽団の演奏とともに世界へ向けて配信される。
 渋谷スクランブル・スタジアムの屋上にあるスカイステージで、空に描かれた飛行機雲を他の客たちに混ざって僕は眺める。コーナー部分に設置されてる特設ビジョンに、ステージの壇上でスピーチしている美猟の姿が映し出される。
 黒桃のメインスピーチはこの後だ。
 そろそろ会場へ行かなくちゃ。
 僕はゴーグルサングラスを出してかけ、スタジアムに背を向けてスカイステージの端まで歩く。数人の警備員がこっちを見る。強化ガラスの手前で止まり、中指で右掌のルビーに触れて、シリンダーの部分まで紅い拳銃を出現させる。それから振り返り、息を吸って、大声で叫ぶ。
「全員───その場にしゃがめ!!」
 四十人くらいの客たちがびっくりして僕を見て、小さな子供が面白がって笑い、警備員たちが走ってくる。
 僕は右手を斜め上に向け、エネルギーラインの太さを最大にして火炎放射器のように発射する。ぶおおおお、と炎の舌が空へ向かって盛大に伸びる。警備員を含めた全員が悲鳴を上げてしゃがみ込む。僕は右手を正面に向ける。前にいた人たちが左右に避ける。
 これで助走する道ができた。
 ぎゅきっ、と床を蹴ってダッシュする。
 時速六十キロまで十歩で加速し、十一歩目で踏み切って、僕は消える。べこん、と円形にへこんだ床をその場にいる人たちが見ているとき、彼らの上空五十メートルに僕はいて、自由落下に入りながらジェット噴射するようにエネルギーを撃つ。
 ばん、と僕は宙を跳ね、数百メートルの距離を飛ぶ。
 八年前はビルからビルへとジャンプしたけど、今日は接地しない。十秒ごとに制御噴射しながら二分くらい滑空したところで、本気の噴射を一発撃って、ブルーインパルスの残したコントレイルよりも高い空まで僕は昇る。そうしてそこから垂直降下でスタジアムめがけて落ちていく。
 警備のヘリが僕を見つけて向かってくるけど、垂直に落ちてくる物体に航空機でコンタクトするのは不可能だし、パラシュートもスカイスーツも着けてない人間が落下してきた状況に対して、パイロットはもちろん管制塔も瞬時に対処することはできない。まして五、六百メートルの高さから地上まで、人間が垂直降下している時間なんて二十秒もない。
 僕は両腕を脇につけて一瞬でヘリの前を通過する。
 スタジアムの大屋根がぐんぐん迫る。
 紅い拳銃を真下に向けてエネルギーを噴射する。がつん、と強いGがかかって僕の体は減速し、屋根の上二メートルくらいのところで宙に浮いて停止する。よぉし、と思って気を抜いた瞬間、エネルギー噴射が弱まってしまい、どーん、と大きな音をたてて僕は天板の上に落ちてしまう。
 しまった、と思ってしばらく固まる。
 天板の端までそっと這っていき、顔だけ出してトラックを覗く。
 会場では美猟のスピーチが終わり、入れ違いに黒桃がメインステージへ向かってトラックを歩いている最中だ。交響楽団の伴奏で今の音は紛れてしまったらしい。
 僕は安堵の息をつく───とはいえヘリからは丸見えなので、もたもたしてると連絡を受けたSPが奴を避難させてしまうだろう。
 僕はポーチからイヤホン型トランシーバーを取り出した耳にかけ、スマホの通信アプリを起動し、紅い拳銃を完全に実体化させる。
 眼下で黒桃が演壇に登り、交響楽団の演奏が終わる。
「さあ、やるぞ」
 と、僕は声に出して言う。
 黒桃がスピーチを始めると同時に、
 トランシーバーで放送回線に割り込み、
 反政府組織の復活と、国家元首体制への反対を語って、
 紅い拳銃で黒桃を撃ち殺し、
 観覧席にいる六万人の観客たちを溶かすんだ、
 日本の国と、日本人の未来と、美猟と、僕自身のために───。
 ぎりっ、と紅い拳銃のグリップを握って、僕は大屋根の端に立つ。銃口を壇上の黒桃に向けて、トランシーバーをオンにする。
 黒桃が話し出した直後に、
「お前の・ような・独裁者が・国家元首になる・資格はない!」
 と叫んで、スピーチをジャック───しようとするけど、
 できない。
 あれ。
 声が出ない。
 顎も舌も喉も動かない。
 ぐぐぐぐぐ、と紅い拳銃の狙いがゆっくりと黒桃から外れていく。手首が曲がり、腕が曲がって、銃口が僕の顔を向く。
 何なんだ、これ───体が勝手に!
 僕の右手が僕の額に紅い拳銃をの銃口を押し当てるのを、愕然としながら見ている(ことしかもうできない)。
 ぐい、と腕が突き出されてバレルが頭蓋骨を貫通する。
 そして僕は、誰のものだか分からない脳内世界に連れ込まれる。

 真っ暗闇の空間で、紅い炎と向き合っている。
 炎が僕に近寄ってきて人の顔をかたちどる。

『ギリギリで間に合った。
 洗脳の効きが強すぎて、裂け目を作るのに何日もかかった』

 めらめらした炎の揺れに合わせてルビーの声が伝わってくる。
 何が起きてるのか理解できない。
 ルビーの魂が僕の体を乗っ取ったのか?
 そして脳内世界ならぬ魂内こんない世界へ、僕を無理やり連れ込んだ?
 何のために?意味が分からない───早く黒桃を撃たないと!

『混乱して当然だ。今思い出させてやる』

 炎の先端が伸びてきて僕の額の真ん中に触れる。
 脳の奥で何かが焼き切れ、どばっと記憶が溢れ出す。

 八月一日の夜───ガルシアの影が家に入ってきた、あの不気味な明晰夢を見た夜に、僕と美猟は黒桃に洗脳された。僕の後頭部に青い拳銃を突き刺した黒桃は、一週間後に仕掛けるオリンピックスタジアムの自作自演テロで、僕に取らせる行動のシナリオを、一行づつコマンド化して、僕の脳に撃ち込んだ。
「八月八日の国家元首就任式で、君は紅い拳銃を使って、六万人の観客を殺す」
 がちん。
「僕のパレードがスタジアムに到着したら、バイクで家を出発する」
 がちん。
「渋谷ヒカリエにバイクを停めて、スクランブル・スクエアのスカイステージへ、君は昇る」
 がちん。
「特設ビジョンの中継映像で、美猟がスピーチしているのを観たら、スカイステージからジャンプして、スタジアムの上空へ向かう」
 がちん。
「紅い拳銃のエネルギーを噴射して空を飛び、スタジアムの五百メートル手前で千メートルの高空へ上がる。そこから垂直落下をし、ヘリの警備網を突破して、スタジアムの屋根に着地する」
 がちん。
「僕の演説が始まったら、大屋根の端で立ち上がって姿を見せる」
 がちん。
「放送電波をジャックして『お前のような独裁者には、国家元首になる資格はない』と叫んだ後に、以下の内容を演説する」
 がちん。
「自分が反政府組織のリーダーであり、過去のテロはすべて自分がやった、国賊である黒桃を今日ここで抹殺し、黒桃に賛同するすべての非国民を殺し尽くすまでテロは止めない、そうすることで本当の日本が再生されると信じている」
 がちん。
「君の演説が終わる直前に、『黙れ、テロリスト!』と私が叫ぶので、それを合図に、君は私の左側に狙いを外して、紅い拳銃のエネルギーラインを撃つ」
 がちん。
「その後、スタジアムに入っているすべての観客を焼き払う」
 がちん。
「美猟は必ず生かしておく」
 がちん。
「以上のことを行うと同時に、この洗脳はすべて解除され、君は記憶を取り戻す」
 がちん。
 それから、寝室へ行ってぐっすり眠れ、と黒桃は僕に命令した─────。

「どうして・・・なぜ、あんなことができたんだ・・・奴は美猟のコマンドで、深く洗脳されてたはずなのに!」
 されたことをすべて思い出し、怒りに震えながら僕は言う。

『ガルシアが途中で洗脳を解いた。俺が今、お前にやったように』

 ルビーの言葉に僕は絶句する。
 ガルシアの亡霊とルビーの魂には、そんなことができるのか。だから黒桃にはあんなに余裕があったんだ。それができることをガルシアから、奴は事前に知っていたんだ!
「何が───この洗脳は私に利する、だ」
 憤りで体がわなわなと震える。

『今から紅い拳銃を抜く。スタジアムからすぐ立ち去れ』

 いやだ、と僕は首を振る。
「黒桃を撃ち殺して、蒸発させる」

『お前の洗脳が解かれることを、ガルシアと黒桃は想定してる。
お前がこの場を去ることでしか、奴らのプランは崩せない』

 ああ、くそ。
 確かに───そうだ。
 すべてのパターンを想定して黒桃とガルシアはシナリオを書いてる。素材としての僕がいなくなることでしか、すべてのバリエーションを無効にできない───。
 僕は目を閉じる。深く息を吸って、吐く。
「・・・分かった。すぐスタジアムから離れる」
 炎の中でルビーの顔が頷く。

『呪いのバトンになるんじゃないぞ』

 ずぽっ、と紅い拳銃のバレルが僕の額から引き抜かれる。

 頭上でヘリのプロペラ音が鳴ってる、大屋根のプレートが日差しに光ってる、交響楽団の演奏の残響がまだスタジアムに残ってる───。
 脳内空間に入ってからコンマ数秒後の物理現実世界に僕は戻る。
 眼下の特設ステージの演壇に立つ黒桃の姿が目に入ったとたん、白熱した怒りがふたたび僕の腹を焼く。右手に握った紅い拳銃がかちかち震えて発光し出す。
 駄目だ───撃つな、逃げるんだ!
 殺意をぎゅっと押し殺して、紅い拳銃を体内に戻す。
 右の掌に残しておいたバレルの先からエネルギーを噴射してジャンプしようとした瞬間に、黒桃が僕の方を見る。
 ふ、
 と黒桃が口の端で笑い、斜めに目線を送る。
 その目線の先───政府関係者が控えている右側の座列を僕は見る。美猟が僕を見上げてる。
 右手を首に添えている。
 ぐぐっと視野をズームする。そして思わず息を呑む。
 極小サイズの折りたたみナイフを頸動脈に押し当てている。

『動くな。そこに立っていろ』

 ガルシアの亡霊の声が頭の中で響く。
 ぎりっ、と僕は歯噛みする。
 黒桃め、ガルシアめ───。
 僕の洗脳が解けたときの保険に、美猟にもコマンドを打ち込んでいたのか!
 立ち去ることを僕は諦め、言われた通り大屋根の端に立つ。観客席や中継のカメラからそれで体が丸見えになる。
 黒桃が小さく頷いて右手の掌を裏返してみせる。僕や視野をさらにズームする。真ん中に血の玊が浮き出して、青いトリガーが現れる。
 奴も青い拳銃を体の中に入れている。
 そこで拳銃を出す気か?
 僕を撃つのか?
 しかし黒桃は青い拳銃の本体を出現させず、中指を折り曲げてトリガーに引っかけ、そのままカチリと引き絞る。
 え?
 何だ?
 何をした?
 いぶかる僕の遥か頭上で、強烈な振動波の反応が起きる。
 反射的に僕は空を見る。
 高々度に、ぽつん、と半透明の機影。
 ドローンか?
 と思った刹那、その機影の腹がぱっと光る。

ぶぼおおおおおおおおぉ。

 凄まじい轟音とともにエネルギーの太い柱が僕の真横に出現し、大屋根を貫通して観客席に突き刺さる。千人くらいの人間が、座席や床や鉄骨のフレームやコンクリートの基礎とともに、一瞬で溶けて蒸発する。
 輻射熱に炙られながら、僕はその場で僕は凍りつく。
 光の柱はそれだけでは消えず、スタジアムの観客席を舐めるようにすばやく移動しながら、特設ステージの黒桃へと向かい、けれど演壇を絶妙に外して、ステージ左側に列席していた財界人や芸能人たちを直撃する。爆発的に水蒸気が吹き上がってトラックと客席が見えなくなる。凄まじい熱気と耐え難い臭いが津波のように押しよせてきて、僕は意識が飛びそうになる。
 反対側の観客席から渦巻くように悲鳴が上がり、風が流れ込んで視界が晴れると、それが絶叫と怒号に変わる。袖口で鼻と口を押さえ、溶けて歪んだ大屋根の端から僕はスタジアムを覗き込む。そして全体の状況が分かると同時に、ううううううと呻きながら吐いてしまう。
 スタジアム左側の観客席がえぐられるように二段目まで無くなって、そこに穿たれた巨大な穴に煮えたぎる液体金属のプールを作ってしまってる。一段目の観客席のと三段目の観客席にいた人たちは、強烈な熱線と熱風に焼かれて座ったまま炭化してしまっており、そのエリアを取り巻くようにして、有毒ガスを吸い込んで絶命した状態でボイルされた人たちの死体が積み重なるように倒れてる。スタジアムの左サイドにいた三万人の観客は、光の柱に舐められて全滅したと言っていい。生き延びることができたのはきっと千人もいないだろう。
 特設ステージの左側の座列も完全に燃え尽きてしまってて、その跡にできた深い穴から黒煙と炎が吹き出してる。
 スタジアム右側の観客席にいて無傷だった三万人の観客たちが、パニックを起こして非常口へ殺到し、将棋倒しになったり、トラックへ落ちたり、ガスを吸ってばたばた倒れたりしている。
 口元の吐瀉物を拭いながらそれらの光景を僕は見つめる。 
 頭が、全然、回らない。
 何をすべきか、分からない。

『ここから立ち去れ』 

 ルビーの声が聞こえる。
 ああ───そうだ。
 ここにいちゃいけない。
 そう考えると同時に美猟のことを思い出して、僕は背筋が冷たくなる。特設ステージの右側をぐぐっとズームして探しまくる。
 SPたちに周囲を守られ移動している集団がある。政治家や財界人たちだろう。その中に美猟の姿がある。ステージ裏の非常口へ向かって一生懸命走ってる。
 生きてた!
 怪我もしていない!
 僕は安堵のため息をつく。
 今はSPに任せよう、と思い切って立ち上がる。
 旋回するヘリの群れを見上げて、抜けやすそうな空域を見つけ、右手から拳銃のバレルを出しつつ大屋根の上を助走する。ほぼ垂直にジャンプして紅い拳銃を噴射させ、五百メートル上空へ一気に昇り、左腕に拳銃のバレルを突き刺し、ヒカリエの地下駐車場に瞬間移動で自分を飛ばす。
 VMAXのすぐ横に現れて着地する。
 駐車場の中はとても静かで空調の音しか聞こえない。座り込んで、車体にもたれ、深呼吸して目を閉じる。呼気と吸気を繰り返して乱れた心を鎮めていく。
 僕が撃ったわけじゃないし、僕が殺したわけでもない。
 でも、僕が撃って殺したことに、必ずされてしまうだろう。
 液体金属のプールに浮かんだ大量の人体の残骸を思い出し、再び吐き気が込み上げてきて僕は口元と胸を押さえる。
「お疲れさま」
 奥の暗がりから声がする。
 足音が近づいてくる。現れた人影を僕は睨む。
 来るかもな、とは思ってた。ここにバイクを停めるように洗脳したのはこいつだし、青い拳銃の瞬間移動でどこへだって飛べるんだから。
「何人殺したんだ───黒桃」
「二万五千人くらいかな」
 涼しげな声で言いながら、黒桃が照明の輪の中に立つ。あの地獄のど真ん中にいたのに顔もスーツも汚れてない。
「いつからここにいた?」
「狙撃の直後」
「・・・」
 撃った瞬間に逃げたのか!
 右手から紅い拳銃を出して黒桃の心臓に狙いをつける。
「無理だ。君には殺せない」
 穏やかな声で黒桃が言う。
「・・・体の中に入ったままの青い拳銃の引き金を引いて、ドローンからエネルギーラインを発射したよな?一体どういうシステムなんだ?」
 撃鉄を上げながら僕は訊く。
「ドローンに設置した発射装置に、体内で撃ち出したエネルギーラインを瞬間移動して増幅させた。R-GUNシステムの運用中に準備していた次世代プランを、青い拳銃に転用してペンタゴンと共同開発したんだ。B-GUNブルー・ガンシステムと仮称している───初めての実射テストだったが、想定を上回る威力だった」
 すらすらと満足そうに黒桃が語る。
 ああ、これか、と僕は思う。
 アメリカの国家安全保障担当補佐官に黒桃が示した有用なプラン、ホワイトハウスがこの男をバックアップすることに決めた理由───新しい大量破壊兵器の共同開発と、その運用だ。
「なるほどな・・・それで啓司ライトナーと組んだわけか?自分を暗殺しようとした相手と」
 黒桃が頷く。こともなげに。
「今では彼が現場レベルにおけるアメリカ側の窓口だ。今後は私と彼の二人で、日本とアメリカ共通の敵である史上最凶のテロリストとして、君をプロデュースしていくことになる。楽しみにしていてくれたまえ」
 きゅっきゅっきゅ、と言い終えて笑う。
「・・・・・」
 胸の真ん中の深いところに真っ黒な点がぽつんと生まれ、それが急速に膨れ上がって心と体を侵していく。殺意が強い毒であることを生まれて初めて僕は知る。

こいつは、毒だ。

 最初に黒桃と遭った時にルビーの魂がそう言った。
 本当だった。猛毒だ。
 二月十四日に富士山麓のホテルで溶かしておくべきだったんだ。
 ───いや。
 引き金にかけた指に力が入る。
 今、殺しても全然良い。
 バレルが薄桃色に発光し始め、かちかちとシリンダーが振動する。
 へらり、と黒桃がうすら笑う。
「草彅マリオが僕を殺したり、君の洗脳を解こうとしたら、自殺しろ、というコマンドを、美猟の頭に撃ち込んである」
 あ。
 ナイフを喉元に当てている美猟の姿が蘇る。
「このコマンドは解除できない───一生続く洗脳だ」
 がちゃん、と足元で音がする。
 紅い拳銃が床に落ちてる。落としてしまった。
 何てことだ。
 黒桃がちらりと腕時計を見る。
「ではこれで失礼する。帰ってゆっくり休んでくれ。二、三日は状況を動かさない。美猟と過ごす最後の時間をたっぷり味わってくれたまえ」
 そう言って黒桃が右手から青い拳銃のバレルを出し、合掌するように左手に刺す。プラズマが走って姿が消える。
 ひとりになる。
 静かになる。
 VMAXのシートに僕はもたれる。
 救急車とパトカーのサイレンの音が地上から微かに聞こえてくる。

「駒としてマリオはプランに組み込まれてるだろうし、
黒桃の生贄として屠られてしまう恐れすらある」

 床に転がった紅い拳銃を見ながら、武市先生に言われた言葉を、ぼんやりと僕は思い出す。

 地上に出ると渋谷駅周辺は交通規制の嵐になってて、目と鼻の先の松濤につくまで三十分もかかってしまう。
 家の前はとても静かで、道なりに人の姿もない。
 VMAXをガレージに入れ、ヘルメットを持って家に上がり、焼け焦げた臭いが染みついた服を全部脱いでゴミ袋に詰め、裸になってバスルームへ行ってシャワーで汚れを洗い落とす。石鹸とシャンプーをどれだけ使っても人の焼けた臭いが落ちない。
 下着を着けてキッチンへ行ってミネラルウォーターのボトルを取り出し、リビングのソファでテレビを見る。報道管制が敷かれているらしく、どのチャンネルもスタジアムのロングショットの映像になってる。行方不明者・安否不明者は二万七千人超えており、死亡が確認された人たちの名前が画面下にテロップで流れていく。黒桃の緊急会見が一時間後にあるらしく、そこまでのつなぎでアナウンサーとキャスターが情報量のない会話を交わしている。
 門の外に車が止まった気がして、玄関に行ってみると、ドアに持たれて美猟が立っている。惨劇の空気を体に纏い、くたくたに疲れ切ってはいるけど、瞳の光はしっかりしている。どこにも怪我はしていない。
「おかえり」
 玄関に降りて抱き寄せる。
「・・・入院して休養するよう言われたけど、酸素吸入だけで帰ってきた」
 と美猟がつぶやく。声にもしっかり芯がある。
「無事で良かった」
 心の底からそう言って、しばらく美猟の髪を撫でる。
 僕と同じように全ての服をゴミ袋の中に脱ぎ捨ててから、たっぷり二時間バスルームに籠もって綺麗になって出てきた美猟に、レモネードを作って飲ませてやる。一息で飲み干す姿を見ながら、大丈夫そうだ、と思って安心する。
 記者会見が始まったのでソファに座って二人で観る。
 日本の国旗を背中にしょって演壇に立つ黒桃の姿が映る。しばらく沈黙してから顔を上げて話し出す。
「・・・我が国初の国家元首の就任式会場で、未曾有の大惨事が起こってしまったことに対して、深い悲しみと憤りを、私はいま抱いている」
 そう述べていったん言葉を切り、カメラの向こうにいるすべての国民をじっと見据えて、奴は言う。
「これは偶発的なガス爆発や火災ではなく、潜伏中の反政府組織が起こした、計画的なテロ犯罪だ」
 美猟が僕の顔を見る。
 芝居が始まった、と僕は思う。
「そう断言できる材料を、すでに政府は手に入れており、現在精査と解析の最終段階に入っている。遅くとも三日後には、この大殺戮の詳細をくまなく伝える記者会見を開くので、国民は軽挙妄動を慎み、それまで待っていてほしい。また、次のテロの発生を防ぐために、現在警察が総力を上げて捜査と警戒に当たっている。都民は心を落ち着けて、各所の交通と通信の規制指示に従ってほしい」
 感情を抑えた深い声でそれだけのことを語ってから、今回のテロで命を落とした人々に哀悼の意を表して、黒桃の緊急会見は終わる。特別報道番組にカメラが戻され、スタジオに詰めていた有識者たちが、恐怖と驚きに引きつった表情で会見の内容をフォローする。
 美猟が僕を見つめて言う。
「・・・武市先生の言ったとおりになったね」
 僕は頷く。
「昼間、スタジアムにいたんでしょ?」
 僕は頷く。
「起きたこと全部、教えてくれる?」
 僕は頷き、すべてを話す。
 ガルシアが黒桃の洗脳を解いて、黒桃が青い拳銃を盗み出して、その時に僕らは洗脳されて、僕はテロを起こしかけて、寸前でルビーの魂が洗脳を解いてくれたけど、それに気づいた黒桃が、ドローンを使った青い拳銃のリモート射撃でテロを実行して、僕が黒桃を殺したり、美猟の洗脳を解こうとすると、美猟は自殺するように洗脳されていることを。
「・・・ふうん・・・」
 美猟が小さく唸って、とても静かな声で訊く。
「その洗脳を解くことはできるの?」
 僕は激しく胸を打たれる。
 あれだけの惨事に巻き込まれ、心身に強烈なショックを受け、洗脳されてることまで知ったというのに、メンタルが全然揺らいでない。
 凄い女だ、
 と改めて思い、その顔に見惚れながら僕は言う。
「分からない。ルビーの魂にまだ確かめてない」
 一生ものの洗脳だと言われたことを僕は美猟に伝えない。ブラフの可能性がまだ十分残ってる。
 美猟が黙る。沈黙が流れる。死亡した人の名前と住所を報道番組のアナウンサーが読み上げる声だけが響く。やがて顔を上げて美猟が言う。
「・・・マリオが初めてこの家に来た日、黒桃の洗脳を解かない理由を、わたしが話したの、覚えてる?」
 もちろん覚えてる。
「光も影も、暴力も愛も、一緒くたにして燃やし切るには、そうすることが必要だから。独裁者になった黒桃は、僕たち二人の人生を輝かせてくれる───だったよな?」
「うん。彼は期待に答えてくれた。最高の舞台を用意してくれた。洗脳によって封印された二つ以外の、あらゆることがわたしたちにはできる」
 毅然とした顔で美猟が言う。
「考えましょう。そして動きましょう───最悪の状況を書き換えて、裏返してチャンスにするために」
「美猟がかけた洗脳を、ガルシアと黒桃が利用したように?」
「そう」
 美猟が頷く。瞳が底光りしている。生き抜こうとする魂がむき出しになった顔つきが美しい。

『ブランカ以上に、ブランカだ』

 ルビーの声が頭の中で響き、体の中で血になっている紅い拳銃の撃鉄が、ガチャリ、と上がる。
「・・・わかった」
 狂おしく胸を高鳴らせながら僕は言う。
「二人で罠を噛み破ろう」


(続く)

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