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ルビー・ザ・キッド Bullet:19


 僕らが打ち込んだ洗脳のコマンドが日本の国民に効いてくる。
 警視庁に拘束された美猟のことを特集したテレビ番組に対して、「甲斐都知事に限って」「信じられない」「テロリストと決まったわけじゃない」というコメントが視聴者から大量につけられ、美猟を擁護するかのように複数のテレビ番組や動画サイトでストックホルム症候群が特集される。
 そして警視庁公安部が、規定の拘束期限が切れると同時にあっさり美猟を釈放する。揃えた証拠の信憑性の薄さを自分たちでわざわざ立証し、検察に送検することは不可能だと決めてしまう。この前代未聞の行動を警視庁や警察庁の幹部たちも黙認し、元首の面目を潰さないための方便を粛々しゅくしゅくと整える。スタジアムテロの重要参考人から単なる参考人になった美猟は、警視庁に二日泊まっただけで護衛つきで家に帰され、甲斐グループが用意していた弁護士チームは働くことなく解散となる。
 その翌日に国営放送が美猟へのインタビュー取材をし、三日後に特別番組として放映する。番組が始まって数分のまだ美猟が喋っていない段階で、瞬間最高視聴率が八十パーセントを超えてしまう。
 あなたはテロリストですか、
 という番組のホストの質問に、穏やかな声で美猟が答える。
「私はテロリストではありませんし、テロリストを援助もしていません。重要参考人にされたことは公安捜査本部の誤認です───でもそれは仕方のないことでした。今回当局が入手した証拠物件のほとんどが、テロ組織によって偽装された精巧なフェイク情報でした。私だけでなく平井耀ヒライ・アカル氏に関する情報もそうでした。警視庁公安部の方々が大変優秀だったため、取り調べの時点でそのことに気がつき、間違いを認めてくれました。今回の一件が、スタジアムの大虐殺とセットで行われた情報テロであることを、近いうちに内閣府がアナウンスしてくれるでしょう───」
 その後、一時間に渡って美猟は語る───草彅マリオ容疑者とは誘拐事件後一度も会っておらず、ストックホルム症候群にはなりようがないこと、大切な友人である平井氏と草彅容疑者は別人であること、彼は新進気鋭の画家であり、その活動を半年前から個人的に支援していること、夫である黒桃元首とは、互いに激務が続いたせいで夫婦として疎遠になってしまい、近々自分から離婚を申し出るつもりでいたことを。
 このインタビューの内容に寄り添うようにして公安が捜査方針を修正し、警視庁の上層部が内閣府への上申書を作成する。さらにテレビのキー局連合と国営放送が、平井耀のインタビュー番組を制作することを決定し、現在行方の分からなくなっている耀アカル=僕を探し始める。
 一連のこの展開を、アメリカ・ユタ州のゲストハウスのリビングのテレビで見ていた僕は、黒桃とペンタゴンの両方が様子見モードに入ったこと、姿を見せても襲われないフェーズに移ったことを知り、松濤の家へ瞬間移動で戻り、メディアの人間が尾行できるよう電車を使って成田へ向かい、飛行機で改めてアメリカ入りして、ロサンゼルス経由でラスベガスへ向かう。マッカラン空港で国営放送と民放の両方のスタッフからコンタクトされ、独占取材を申し込まれる。ロケ地をユタのゲストハウスとその周辺に限定すること、自分の経歴と家族については触れないことを条件に出すと、両社ともにそれを呑んだので、いっそ合同取材にするのはどうかと提案する。スタッフがそれぞれの本社へ電話し、上層部同士が話し合って合意する。ベガスのホテルで契約を交わして撮影隊と一緒にユタへ向かう。
 初日のインタビューはゲストハウスのリビングの中で撮影される。『甲斐都知事との出会いのストーリー』を僕は話す。
「草彅マリオとそっくりなのは偶然で、血縁でも何でもありません。でも似ていたことが彼女とつきあうきっかけになったんです」
 ネットで販売していた油絵を美猟が買ってくれたこと。HPのプロフィール写真を見て彼女が自分に興味を持ち、呼び出されて一緒に食事をしたこと。絵だけではなかなか食えないと話すと、彼女の方からパトロンになりたいと申し出てくれたこと。何度かデートを重ねるうちに男女の関係になったこと。あまりに住む世界が違いすぎるため自分の方に戸惑いがあり、それを正直に伝えると、元首とは近いうちに離婚する、わたしの家で同棲すれば格差はなくなると誘われて、松濤の家に引っ越したこと。
「つまり───都知事とは愛人関係ということですか?」
 民放のディレクターの質問に、はい、とはっきり僕は答えて、テロリストとそのパトロンという二人のイメージを完全に払拭してしまう。
 二日目は荒れ地のテーブル台地メサの上で、三日目はハウスのアトリエの中で、絵を描くところを数時間撮影してインタビューは終了し、一週間後というありえない速さで番組がオンエアされてしまう。放送中から平井耀のHPに数百万件のアクセスが集中してサーバをダウンさせてしまう。復旧してすぐ数千件のメールがメッセージボックスを埋め尽くす。僕はそれらを放っておく。SNSも一切見ない。
 次の日から美猟と僕のインタビュー映像を解説するための番組が、テレビとネットの動画サイトで大量に配信され始め、新聞と雑誌が二人の関係を不倫スキャンダルとして扱い出す。そのタイミングでようやく元首の発言に修正が入ること(つまりは美猟が無実であったこと)を、定例会見で官房長官がもごもごと報告する。
 黒桃本人は出てこない。ずっと沈黙を守ってる。
 美猟も久しぶりに登庁した朝のぶらさがり会見で、
「私から話すべきことは話しました、あとは元首の会見を待って下さい」
 と簡潔にコメントしてしばらく黙る。
 その間に世論が大きく動く。
 テロリストの共犯者扱いされた美猟に対する同情の声が、不倫に対するバッシングを呑み込み、SNSのタイムラインが都知事への声援で埋め尽くされる。美猟と僕に向かうはずだった敵意が『残虐なテロリスト・草彅マリオ』と存在しない『反政府組織』へと矛先を変え出していた矢先に、テロ犠牲者遺族と被害者の会による悲しみと怒りと理不尽さに満ちた記者会見が配信されたことで、日本社会全体の憤りが爆発寸前まで膨れ上がり、国家元首の指揮のもと、テロリストを撲滅しようという空気が強烈に醸成される。元首になる前の黒桃がテロを行った可能性についてはもはやまったく追求されず、メディアに姿を表さないのはアメリカの指示待ちをしているからだと考える人間は一人もいない。
 平井耀のインタビュー番組から半月たって、ようやく黒桃本人による修正記者会見が開かれる。国家元首は神妙な面持ちで、甲斐都知事はテロリストの仲間ではなく、ストックホルム症候群も患っていないこと、平井耀氏と草彅マリオは別人であること、捜査本部が入手した証拠は反政府組織が捏造したものであり、日本政府を内側から分裂させる狙いがあったことを述べ、僕と美猟が話した内容を100パーセント肯定する。
「やった!」
 と、ゲストハウスのリビングで思わず僕は大声で叫ぶ。
 アメリカ政府が態度を変えた───僕らの評価を改めたんだ!!
 ソファにどさりと体を沈め、真っ白な天井を見上げながら、僕は激しく胸を高鳴らせる。
 公官庁とマスメディアを含めた日本国民全員を、まるでマインドコントロールしたかのように束ねて動かす啓蒙力が、草彅マリオと甲斐美猟には備わっているらしい、ならば抹殺するよりも駒として使う方がいい───そういうジャッジが下されて、日本運営のシナリオに大幅なリライトがかけられたのだ。
 暗殺の対象だった黒桃が、傀儡くぐつに格上げされたのと全く同じ価値の転換を、自分たちにも起こすという僕らのプラン───それが今、実現しつつあるんだ!

ぶ・ぶうううぅん、

 とスマホが着信したようなバイブレーションを、体の内側に唐突に感じて、歓びと興奮がまるごと緊張に切り替わる。血になって体内を巡っている紅い拳銃が震えたのだ
 エマージェンシー・アプリとして頭の中に残しておいた、僕の血を使った美猟からの呼び出し───緊急事態が起きたらしい。
 僕はソファから飛び起きて、紅い拳銃を実体化させ、左の掌にバレルを突き刺し、取るものも取り合えず、部屋着のままで、血のマーカーに導かれてジャンプする。

 そこは広々とした部屋だった。
 窓がひとつもない室内に長大な応接セットが置かれていて、四人掛けソファの真ん中にスーツを着た美猟が座っている。僕を見て柔らかく彼女が微笑む。切迫した状況ではとりあえずないらしい。
 反対側のソファの正面には啓司ライトナーが座っていて、拳銃を帯びた二人のSPがその後ろに立っている。応接セットの奥の壁際に大型モニタが設置されてて、ビデオ通話のウインドゥが二つアクティブになってる。左のウインドゥには禿げた壮年の白人の男が、右のウインドゥには目の大きな黒人の中年女が、それぞれ映ってこっちを見てる。SP以外の全員がビデオ通話用のインカムをつけてて、部屋の左隅では三脚に乗ったビデオカメラが稼働しており、右隅には星条旗がスタンドに挿して飾ってある。
 ここがアメリカ大使館の一室で、本国政府の要人を交えたリモート会議の最中であることを僕は理解する。こみ上げてくるニヤニヤ笑いを必死になって噛み殺す。
「よお」
 と啓司に声をかけて美猟の隣りに腰を下ろす。Tシャツにカーゴパンツというラフな格好が不吉なほどこの場にそぐわない。
「こんなかたちで再会するのは、心の底から不本意だ」
 そう言って啓司ライトナーが僕を見る。
 久しぶりに目にする元『ファクト』の司令官はオーラが一回り小さくなってて、顔にも声にも艶がない。黒桃暗殺ミッションをしくじった(ていうか僕にぶっ壊された)ダメージが相当響いてるな、と思いながら僕は啓司を煽る。
「弟の仇をとれなくなって残念だったな」
 じり、と啓司の瞳が底光りする。
 美猟が左手で僕に触れる。
 分かってる、台無しにはしない、と僕は目線で答えてやる。
 美猟が苦笑してインカムを差し出す。受け取って左の耳につける。
「今日、君を呼んだのは、アメリカ政府とペンタゴンの意向を口頭で伝えるためだ」
 啓司ライトナーが感情を押し殺してそう言い、通話ウィンドウの二人を紹介する。
「左がローゼンバーグ国務長官、右がゴメス東アジア担当国防副次官補だ」
 禿げ上がった壮年の白人が掠れた声で喋り出す。
「甲斐美猟都知事と平井耀ヒライ・アカルに関して、我々は認識を改めた。今後二人には、新しく用意した日本国運営のシナリオに沿って、現行政府を支えてもらう」
 僕と美猟は目配せをする。
「黒桃元首の率いる日本政府には、架空の対テロ戦争を五年にわたって戦ってもらい、反政府組織の壊滅をもって新しい国体を完成させる。甲斐都知事が国民感情を自由に操つることができ、それが君の手にある『紅い拳銃』の力に由来すると分かった以上、君には平井耀として生きてもらい、対テロ戦争が終了するまで、アメリカと彼女のために働いてもらう」
 ローゼンバーグが淡々と語る───決まったことを読み上げている。
「君は断れない、草彅マリオ」
 啓司がダメ押しするように言う。
「断るつもりなんかない」
 そう答えてローゼンバーグの顔を見る。
 国務長官は目を細めて頷き、
「では」
 と言ってログアウトする。
 ゴメス国防副次官補のウインドゥがスクリーンに大写しになり、長官の後を引き継いで金属質な声で話し出す。
「平井耀にはアメリカで画家として生活してもらいつつ、必要あるごとに『紅い拳銃』で日本国民を操作してもらう。過去の経歴のディティールについてはこちらで精度を高めておく。追って資料を送るので頭に入れておくように」
 僕は頷き、切り返して訊く。
「『テロリストの草彅マリオ』を演じる必要はないんだな?」
「ない。犯行予告の映像はすべてこちらで用意する。すでにAIを使って言動パターンを徹底的に構築してある。3DCGのモデリングも作成ずみだ」
 僕の幽霊がもう作られてしまってることに僕は驚く。マジかよ、すげえなペンタゴン。
「今後日本で行われる偽装テロは、新生『ファクト』が準備実行し、平井耀は関与しない。紅い拳銃が必要となる洗脳ミッションに関してのみ、ライトナーから指示が下される」
 僕は吹き出しそうになる。自作自演のテロをしてきた黒桃を殺すために組織された『ファクト』が、今度はテロを自作自演するのか。
「他に質問は?」
 ぎょろりと大きな目を動かしてゴメス副次官補が僕を見る。
「ない。思いついたら啓司に訊く」
「では退席してくれ。ここから先の政治の話だ」
 僕は美猟を見る。
「行って」
 と政治家の表情で美猟が言う。
 僕は頷き、立ち上がり、右手から紅い拳銃のバレルを出して左手に刺す。SPの二人がたじろいで副次官補が目を見開く。
「───じゃ、よろしくな」
 啓司ライトナーに僕は言う。
 啓司は返事を返さない。黒曜石のような瞳の底でちらちら炎を燃やしてる。

 ゲストハウスのリビングに戻ると同時に、がくん、と僕は脱力する。自分が緊張していたことに今さら気づいて苦笑する。アメリカの中枢にいる人間たちと話したんだから当たり前だ。ソファに体を投げ出して寝転び、天井を見上げて溜息をつく。
 美猟はあそこでリラックスして座ってた。
 凄い女だ、と心から思う。
 つけっぱなしにしていたテレビでは関東地方の天気予報が流れている。黒桃の記者会見は終わったらしい。窓の外の荒野では夕焼けが終わりかけていて、メサの連なりの高い部分が照柿てりがき色に染まってる。その残照を見つめながら僕は目を閉じ、考える。

「平井耀と、甲斐美猟を、国のシンボルとして愛すること」
「平井耀と、甲斐美猟を、殺さず、傷つけず、罰することなく、
テロとの戦いを終わらせること」
「政府の指示には従順に従い、黒桃元首に逆らわないこと」

この三つのコマンドを打ち込んだことで、日本人全体の無意識が、僕と美猟を守るように働く『魂の反政府組織』となって、アメリカ政府の判断を変えてくれた。
 美猟は政治家としてもっと大きな舞台で動けるようになるだろうし、僕は大好きな絵を描きながら、少なくともあと五年間は彼女と一緒に生きていくことができる。
 僕はゆっくりとまぶたを開く───と。
 目の前に真っ黒な銃口がある。
 ソファの横に黒桃が立ってて、青い拳銃を僕に突きつけている。
 息を止めて僕はそれを見上げる。
 ついさっき記者会見で見たのと同じスーツを身に着けている───内閣府から瞬間移動してきたのだ。饒舌だった口をぴったりと閉じ、見たことのない目つきをしている。激しい怒りと屈辱が頂点に達して裏返り、凍りついたような冷たい目だ。
 僕と美猟が何をしたのか、こいつは全部知っている。
 撃鉄が上がってる。
 殺気が凄い。
 額に意識を集中して、紅い拳銃のバレルを僕は生やす。黒桃の顔の真ん中を狙う。最悪でも相討ち、と覚悟を決める。
 テレビでクラシックコンサートの番組が始まり、拍手の音が静かになって、ベートーヴェンのピアノソナタが流れ出す。
 何度も、何度も、何度も、何度も、撃とうとする黒桃の「気」が僕に伝わる。恐ろしく長い数分がすぎる。
 が・ちり、
 と撃鉄が戻され、青い拳銃が視界から消える。
 ソファから離れた黒桃が自分の左手に青い拳銃を突き刺し、最後まで一言も話すことなく、瞬間移動でリビングから消える。
 ふっ、はああぁぁぁぁあぁぁー。
 大きく長々と息を吸って、僕はソファから転げ落ちる。今頃になって暴れ始めた心臓を押さえて、げらげら笑う。
 わざわざこんなことをしに来たのは、他に何もできないからだ!
 僕を殺せない! 美猟にも手を出せない!
「・・・やった・・罠を、裏返した───内側から、書き換えて・・・食い破ったぞ!」
 僕は床で笑い転げる。笑う。笑う。止まらない。
 ピアノソナタの演奏が終わって拍手の音が長々と響く。それが消えて静かになる頃、ようやく僕は笑い疲れる。達成感と開放感に満たされながら、とろとろと僕は眠くなる。
 おーい、だめだ、まだ寝るな、きっと会合が終わった後に、美猟からの呼び出しが───。
 そう考えながら急激に深い眠りに引きずり込まれて、僕はルビーの夢を見る。

 リビングの真ん中に処刑岩があって、真ん中あたりの岩肌からルビーの上半身が生えている。ルビーの表情は曇ってる。
『青い・光』
と低い声で言う。
 すべての日本人の魂が紅く輝いた夜の列島で、ひとつだけ青白く光っていた黒桃の魂を僕は思い出す。
『花は・まだ・蕾のままだ』
 暴力の果てに咲く花の蕾と、美猟の首が、僕の中で重なる。
 ぐ・ぐ・ぐ、
 とルビーが唸って、カーテンウォールのガラス窓を睨む。
 ゲストハウスより大きなガルシアの顔が、リビングの中を覗いている。
 亡霊の唇がゆっくりと動く。
『ぼとっ』
 とつぶやく。
 花の蕾が落ちて転がる。
 転がってきてつま先にぶつかった、美猟の首を僕は見つめる。


(続く)

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