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ルビー・ザ・キッド Bullet:26

ごめんね、勝手なことしちゃって。
死にたい、殺して、って言った勢いで、自殺したのかって思うよね?
確かにそういう気持ちは強いけど、そればっかりじゃないんだよ。
マリオさぁ、決定的な逆転の一手を、あたしには隠してるでしょ?
あたしや先生や他の人たちが、全員死んでしまったとしても、その状況を引っくり返せる何かを、一人でやろうとしてるんだよね?
だったら、あたしは足手まといだし、暴力的なことを目にするたびにメチャクチャ苦しみそうなので、今の自分にできる一番のことを思い切ってやっとこうって思ったの。
世界がリセットされるようなことが、ほんの少し先に待ってるとしても、そこまでの時間を、マリオにはしっかり生きてほしいから。
あたしのことは気にしないで、やるべきことをやっちゃって。
じゃあ、また。
次会ったら、もっと仲良くしようね。

 スマホに残されたハルのメッセージのループ再生を僕は止める。
 ユタの荒野の孤立丘ビュートの頂上で寝転がって見上げる冬の夜空は、無数の星が冴え冴えと輝き、流星群が針のような軌跡を刻み続けてる。
 十三トンの地中貫通爆弾バンカーバスターに直撃されて体を潰され、屋敷ごと吹き飛ばされてしまったハルの最後を思い出しても、辛くもなければ悲しくもない。ハルの体が壊れた瞬間に中から愛が出てきたところを、しっかり見たはずの『三歳の怪物』も沈黙を守り続けてる。まるで屋敷の跡地のクレーターに自分の中身を置いてきたみたいだ。
 代わりに僕の中にあるのは、赤黒くて熱くてドロドロしたマグマで、それは蛇のようにとぐろを巻いて飛びかかる力を溜めている。
 さっさと日本へ瞬間移動し、警視庁に自首をして、公開処刑にかけられる直前に紅い拳銃で自殺しろ───そう急かす理性の声を無視して、アメリカ軍が空爆にくるのを『マグマの蛇』は待っている。
 僕は蛇に逆らわない。
 テレビの画面を眺めるように、無感動に、ただ見ている。
 流星が降り続く南の空に黒い点がぽつりと浮かぶ。
 来た。
 視野をズームする。
 戦闘機が一機近づいてくる。ステルス多用途戦闘機F35のシルエットだ。
 立ち上がり、紅い拳銃を完全に出現させて『蛇』は待つ。
 高々度の空をこちらへ向かって飛んできたF35は、孤立丘の少し手前で一発の爆弾を投下する。オレンジ色に塗装された四メートル弱の流線型のボディが、制御噴射の炎を吹き出し、ドリルみたいに回転しながら僕を目がけて落ちてくる。
 千人規模の殺害に使われる小型の戦術核兵器だ。
「よし」
 と『蛇』が言い、拳銃を腿に刺して瞬間移動する。
 紅い拳銃のエネルギーで全身に耐寒コーティングを施し、人っ子一人いない氷点下の荒野に『蛇』が僕を待たせていたのは、この決断をペンタゴンに下させるためだったのだ。
 落下中の核爆弾の真横に出現した『蛇』は、回転しているボディに抱きつき、拳銃のバレルを突き刺して、バージニア州にあるペンタゴンの上空へと爆弾ごと僕をジャンプさせる。
 出現と同時に武市先生を探す。
 いない。
 施設内を含めた十キロ四方のどこにも彼女の気配はない。
 遠くの病院へ移送されたか、でなければ───もう生きていないか。
 どっちにしろ落とせるな、と『蛇』が思う。
 五角形の庁舎の中心部にある中庭に着弾するように、紅い拳銃を撃って制御噴射してから、『蛇』が爆弾から手を離し、瞬間移動で数十キロ離れた高々度の空へと避難する。
 雲の層を抜けて落下しながらペンタゴンの方角を見ていると、

 パッ、

 と閃光が煌めいて視界が一瞬まっ白になる。
 輝きがゆっくり収まっていくと同時に、ペンタゴンのある場所で金色の炎のドームが盛り上がり、めらめらと赤黒く変色しながらキノコ雲と化していく。
 大気を伝わってきた衝撃波があたりの雲を吹き飛ばす。その波動に体を打たれながら、
 花だ、
 と『蛇』が思う。
 暴力の終わりに咲く花───ではなく、殺戮の始まりを告げる花。
 それを望んで咲かせた奴らの死に様を見てやりたい、と『蛇』は思う。
 拳銃のエネルギーで体をシールドしてから、庁舎の内部へ瞬間移動し、放射能をたっぷり含んだ爆炎うずまく廊下に僕を着地させる。
 そこは爆心地の中庭からもっとも離れた最外層のビルの一階だ。内装が剥げ落た天井や壁を炎の舌がめらめらと這い、炭化して火を吹き上げてる死体が床にいくつも転がってる。
 その間を縫うように歩きながら『蛇』が惨状を見物する。
 椅子や机と一体化して異様なオブジェと化した人、蒸発して影のように壁にこびりついた人、爆発の熱と衝撃で体が溶け合った人たち見ながら、黒い喜びに呼吸を荒らげる。
 衛兵の焼死体を両脇に張りつけた鋼鉄の扉を『蛇』が見つける。
 きっとこの先のブロックに要人の執務室があるんだろう。
 紅い拳銃で扉を撃って通れる大きさの穴を開ける。爆炎が中へ吹き込んで無傷だった廊下を焼いていく。
 炎とともに『蛇』は進む。
 SPらしい男たちが五人、爆発時の熱と放射線でボイルされて死んでいる。そいつらが守っていた部屋の前に立ち、『蛇』がドアを蹴り開ける。
 高熱で小さく縮んでしまった星条旗が飾られてる執務室の、一番奥にあるデスクの向こうで、ローゼンバーグ国務長官が茹で上がって死んでいる。
 ハッ、と弾けるように『蛇』が笑い、近寄ってまじまじと亡骸を見る。
 白濁した眼球が飛び出しかけ、赤黒く変色した舌を突き出し、顔と手の皮膚が焼けただれて全身が膨れ上がっている。想像を絶する苦しみを味わって絶命したはずだ。
「いい気味だ、じいさん」
 『蛇』が言う。
「先生を撃って、ハルを殺した報いだ!」
 ははははは、と嘲笑う。
 僕の感情は動かない。
 ただ、体の中でマグマの蛇がぐねぐねと激しくうねりながら、ひとつの言葉、ひとつの願いを繰り返すのを聞いている。

 復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい、復讐したい。

 世界と俺を、お前を俺と、同じにしてやる。

 同じになれ。

 執務室全体に炎が回り、ローゼンバーグの死体が燃え上がるのを、透明な気持ちで僕は見つめる───。

 気がつくとユタの荒野に戻ってる。ネイティブの聖地の岩穴住居の石のベッドに寝転がり、明かり採りの窓から差し込む朝日に照らされてる。
 いつ瞬間移動したか覚えてない。
 起き上がって体を伸ばし、暖炉に薪を入れて火を起こす。
 ポケットに入っていたレーションを食べてから、住居の外へ出て石段に座り、そそり立つ岩壁と空を見上げる。
 もう戦闘機もドローンも飛んでこない。
 紅い拳銃で転送されて、政治施設や軍事基地に落とされるのを恐れてるんだろう。すべての兵器が無意味化したことをホワイトハウスは悟ったのだ。
「何だよ、つまらねえ───この国の奴ら全員、俺と同じにしてやりてえのに」
 唸るように『蛇』が言うのを、遠い気持ちで僕は聞く。
 風が吹く。影が動く。雲が流れる。
 腹が鳴る。喉が乾く。
 僕は動かない。
 夕方にネイティブのお婆さんのピックアップトラックがやってくる。二人分の料理のトレイを持ってトラックから降りてくる。暖炉から上った煙を見たな、と思いながら僕は見下ろしてる。
 石段の下でお婆さんは立ち止まり、無愛想な顔つきでこっちを見上げ、ハルがいないことを確かめてから、僕の瞳をじっと見つめる。
 灰色の目がふっと曇る。
「・・・ナ・アショ・イ
 と確かに言う。
 一人分のトレイを置いて、何も言わずに去っていく。
 僕はトレイを住居へ運び、いつものタコスとチキンスープを食べる。
 それから拳銃のエネルギーで体に耐寒コーティングをかけ、昨日と同じ孤立丘ビュートへジャンプし、米軍の次の出方を待つ。
 人海戦術でくるだろな、
 と沈む夕日を見ながら『蛇』は思う。
 白兵で特攻をかけるしか、連中にできることはもうないから。
 その読み通り、澄み切った冬の夜空を星がびっしりと覆い尽くした頃に、数十台の大型戦術トラックがキャラバンを組んでやってくる。孤立丘の五百メートルほど手前でその長々とした隊列は停車し、まだらに雪が残った荒野に大量の人影を吐き出す。
 全部で五千人くらい。一個連隊はいるだろう。
 すべての兵士が高性能爆薬を身につけていることだろう。
 さぁて───と『蛇』は思う。
 転送兵器としての紅い拳銃の本当の凄さを見せてやろう。
 スマホを起動し、衛星を使って誤差数センチで経緯度を出してくれるサイトにアクセスする。連隊が展開しているビュートの西側五百メートル四方のエリアを数値化して表示させ、モニターに拳銃の銃口を浅く刺して撃鉄を起こす。続けてワシントンDCにあるホワイトハウスの経緯度を表示させ、データの上に銃口を密着させて引き金を引く。

 ずすぅん、

 と荒野全体が揺れ動いたような振動が響き、数十台のトラックと五千人の兵士ごと数値化したエリアが消滅し、五十メートルほどの深さの広大な穴が一瞬にして出現する。支えをなくした岩や土が穴の内側に崩れ落ちるのを、孤立丘の端まで行って覗き込みながら、
「はは、すげえ!」
 と『蛇』が嬉しそうに叫び、崩落が収まって静寂が訪れ、風の音しか聞こえなくなるまで、うっとりその場に立っている。
 我に返ってニュースをチェックしようとし、スマホのバッテリーが切れかけてるのに気づいた『蛇』は、甲斐グループのゲストハウスへ瞬間移動し、リビングのテレビでホワイトハウスがどうなったかを確かめる。
 CNNのニュースチャンネル。ヘリから送られてくる実況映像───ワシントンDCのど真ん中に赤黒い山ができている。大統領公園からラファイエット広場まで、大量の土砂と岩塊で完全に覆われてしまってて、レジデンスはもちろん、行政ビルも財務省庁舎もプレアハウスも押し潰されてしまってる。
「お、おおぉ、うほう!」
 と、テレビの前に座り込んだ『蛇』が膝を叩いて笑い転げる。
 僕は無感動に計算し、考える。
 五百メートル四方で五十メートルの深さとして、千二百五十万立方メートルか。東京ドーム十杯分だな。それだけの土砂の塊を一気に空から落とされたら、どんな頑丈な建物だってひとたまりもなくぶっ潰れる。ホワイトハウスや他の施設にいた人たちは、何が起きたか分からないまま一瞬で圧死しただろうし、転送された兵士たちもほとんど生きてはいないだろう───。
 『蛇』がチャンネルをFOXに変える。緊急番組の出演者たちが、ペンタゴンを壊滅させた昨日の爆発よりもはるかに不可解なこの出来事について、混乱したトークを交わしてる。
 自然にも人間にもこんな現象は起こし得ない、これは神の御業ではないか、傲慢になりすぎたアメリカに対して主が下された罰なのでは、
 とテレビ伝道師のコメンテーターが瞳孔の開いた目で言い出したところで、大統領の無事が確認されたという速報テロップが画面下に流れる。昨日から別場所に避難していてワシントンにはいなかったらしい。一時間後にテレビ会見が行われると番組ホストが告げる。
「ふうん・・・政府が何か、次の手打ったかな?」
 『蛇』がつぶやく。
 だろうな、と僕も思う。
 ペンタゴンの爆心地をクローズアップにした荒い画像や、SNSに投稿されたキノコ雲の動画や、土砂に埋まったホワイトハウスの現地レポートを眺めているうちに、
 キンコーン、
 と玄関のチャイムが鳴る。
 立ち上がってインターフォンのモニターを見に行き、う、と僕は息を呑む。
「そうきたか」
 『蛇』が凶暴に笑う。
 右手に青い拳銃を持ち、左手に大きなバッグを下げて、黒桃国家元首がフロントポーチに立っている。

「いやあ、ありがとう。あらゆるシナリオ分岐の中で、私と日本にとって最も都合のいいバリエーションを実行してくれて。心の底から感謝するよ!」
 上機嫌で喋りまくりながら、黒桃が僕の前に立って廊下を歩く。
 リビングを抜けてキッチンに入り、調理テーブルにバッグを置いて、サイドポケットからエプロンを取り出し、スーツの上から腰に巻く。それから立てたままバッグを開き、ティーポットとティーカップとスプーンと砂時計と茶漉しとティーコージーと茶筒を取り出し、最後にペットボトルのミネラルウォーターを出して、ヤカンに注いでコンロで沸かす。
「お礼にお茶をご馳走しよう。ちょうど飲もうと思っていたところへ、大統領からホットラインが入って、君に会うよう頼まれてね。どうせなら一緒にと思ったんだ。今年のティー・アカデミーの品評会でベスト・オブ・ショウを授与された自然農栽培の国産紅茶だ。放射能の影響がまったくない、最高品質のダージリン・ティーだよ」
 ガラスポットに茶葉を入れ、湧いたお湯を注ぎながら、振り返らずに黒桃が言う。
「五分で入るから、ソファで座って待っていたまえ」
 ギリッと『蛇』が歯噛みする。
 右手から出してた拳銃のバレルを引っ込め、ソファへ行って腰を下ろし、愉しそうにお茶を淹れてる国家元首の背中を睨む。
 何をされ、どう言われても、この男には逆らえない。
 美猟の頭に撃ち込まれてる、

『草彅マリオが、私を殺そうとしたり、
君の洗脳を解こうとしたら、自殺しろ』

 という洗脳のコマンドが生きているから。
 手を出せばガルシアの亡霊が美猟にそれを伝えてしまう。
 『蛇』は言いなりになるしかない。形勢は完全に逆転した。
 砂時計が落ち切ったのを確認してから、黒桃が茶器のお湯を捨て、ガラスポットからティーポットへ紅茶を移して、茶器と一緒に運んでくる。白磁のカップをテーブルに並べ、茶漉しを使って茶を注ぎ、エプロンを外して自分も座る。
「頂こう」
 両手を開いて促す。
 僕はカップを持ち上げる。
 松濤にいた頃に行ったどのレストランやカフェで飲んだお茶より、香りが華やかで清々しい。
 一口含んで飲み下す。
 透明な甘さとふくよかさが、舌を渡って喉をつたい、胃に落ち、体に染み込んでいき、最後に背中へふわりと抜ける。
「・・美味い・・」
 思わず口に出してつぶやく。
 満足そうに黒桃が頷き、二口、三口、と自分も味わう。
 両方のカップが空になって黒桃が交互に二杯目を注ぐ。僕はそれをゆっくりと飲み干す。
「───どこの農園の、何て茶葉だ?」
 ソーサーにカップを置きながら陶然となって僕は訊く。
「知らなくていい。君は二度と飲めない」
「・・・」
 せっかくの余韻が吹き飛んで消える。
 それを言うために飲ませたな、と思い当たって『蛇』が怒りをたぎらす。
 腕時計に目をやり黒桃が続ける。
「あと三十分で、FBIのテロ専門人質救出部隊HRTがここに到着する。彼らと適当に銃撃戦をしたのち投降して逮捕されろ。言う通りにしなければ『魂の部屋』に幽閉されてる美猟を殺す。コーティングを外し、魂の世界に接触させて爆死させる」
 すぼりゅっ、
 と拳銃のバレルを右手から出して『蛇』が黒桃の心臓を狙う。もちろん撃てない。けどそうせずにはいられない。
「クソ野郎・・・大統領にどんな餌で釣られて、この使いっ走りを引き受けたんだ?」
「『紅いライフル』シリーズを日本主導で共同運営するという誓約と引き換えに」
 ハッ、と吐き捨てるように『蛇』笑う。
「信じるのかそれを!ライフルを全部奪われて、お前もガルシアも消されるぞ!」
「それはない」
 さらりと黒桃が返す。
「三日前、ライトパターソン基地のスパコンが、超自然存在『ガルシア』の作り出すシナリオバリエーションの分析を終わらせた。アメリカは一切介入せず、日本に君を処刑させたほうが国益になることが分かったそうだ」
「嘘だ」
 『蛇』が否定する。
「あいつらは介入しまくった。先生を撃ってハルを殺した!」
「それは大統領の命令だ。ホワイトハウスがペンタゴンの提案を蹴ったんだ。アメリカは一枚岩では無いからね。シナリオの外へ出たがる人々が政権の中枢にいたんだよ」
「・・・・」
「自分たちの愚かさを思い知って、大統領は私に懇願したんだ。草薙マリオを連れて帰ってシナリオ通りに殺してほしい、ペンタゴンを焼いたのはあのテロリストの仕業ということにしてほしい、そして日本が手にする究極の兵器の恩恵に預からせてほしい、とね───これがどういう意味だか、理解できるか?」
 分かりすぎるほど分かるよ、と僕は思い、『蛇』が黒桃を睨みつける。
 『紅いライフル』シリーズという転送兵器を独占できれば、日本はアメリカだけでなく全ての国家の宗主国になれる。
 暴力と殺戮の連鎖がこれまで以上に世界にはびこり、破壊と生成の車輪のバランスが、ガルシアの望むように回復する。
 そしてお前が重ねてきた罪と、アメリカ政府の失策と、都合の悪いあらゆることが、僕一人のせいにされるんだ。
「すべては君が『呪いのバトン』になってくれたおかげだよ」
 満足そうに微笑んで黒桃が言う。

 あ───。

 指摘されて初めて気がつき、僕と『蛇』は呆然とする。
 呪いのバトン。
 なってる。
 見事に。

 絶対になるな、とルビーの魂に言われ、
 決してならない、と誓ったのに。
 衝撃のあまり放心している僕と『蛇』をしばらく黙って見つめてから、おもむろに黒桃が立ち上がり、ソファから離れながら言う。
「では、今日一番の目的を果たして、それで君とお別れしよう」
 え。
 僕は顔を上げる。
 一番の目的───何だそれは?
 グラスウォールに向かって立つ黒桃の胸元で、カチャリ、と金属音が鳴る。続けてつぶやく声が聞こえる。

「草薙マリオは、紅い拳銃を使って、自殺できない」

 あっ!
 自分がこれから何をされるか、理解して立ち上がろうとした瞬間、振り返った黒桃が青い拳銃を僕の額に突き刺し、引き金を引く。

 ガチィン!

 洗脳のコマンドが脳髄の奥深く撃ち込まれる。
 ぐわぁん、と視野が流れて僕はふたたびソファに沈む。
 ずぽっ、と青い拳銃のバレルを引き抜き、冷たい声で黒桃が言う。
「シナリオの外へ出るための方法を君がルビーから聞き出すこと、紅い拳銃で自殺しようとしてできないこと、武市来未子から『遊び切れ、生き切れ』と励まされて救われること、自殺できるようになるまで暴れ続けようとすること───すべてシナリ分岐のバリエーションとして、かなり以前から把握していた。その上で自殺を禁ずるコマンドを撃ち込むタイミングを待っていたんだ」
「・・・・」
「これで君の処刑と『紅いライフル』の誕生を、邪魔する要素はゼロになった」
 きゅっきゅっきゅ、
 と鳥のような笑い声を上げる黒桃を、背骨を引き抜かれたような敗北感に襲われながら僕は見上げる。『蛇』が何かを言おううとして言えずに、唇を激しくわななかせる。
 ぶわあ、と黒桃の顔の左側から青白い炎が吹き出して、ガルシアの亡霊が現れる。視野いっぱいにその顔が広がり、

『アディオス、ミ・クェリダ・サクリフィーシオ私の愛しい生贄

 と甲高い声で謳うように言う。

 それから二十四時間後、特別輸送機の貨物室の中で、十字形の鋼鉄の寝台の上にストラップで体を固定され、アイシェードとヘッドフォンを装着された状態で、横田の米軍基地へ向かって僕と『蛇』は輸送されている。
 自殺を禁止する洗脳のコマンドを撃ち込まれてから、二十分後にやってきたFBIのテロ専門人質救出部隊HRTのゴールドチームと、銃撃戦やカーチェイスを嘘くさくない程度に繰り広げてから、アリゾナの田舎町の交差点で『蛇』と僕は投降した。その後、ユタ州オグデンにあるヒル空軍基地へと搬送され、スタンバイしていたこの輸送機に放り込まれて空へと昇り、八人の海兵隊員にレーザーライフルで八方からロックオンされた状態で太平洋を渡ることになった。
 光と音を遮断され、輸送機のエンジンの振動だけを感じながら、眠りそうで眠れない半覚醒状態のまま、幻覚ともリアルともつかないビジョンを僕は見てしまう。
 地中貫通爆弾バンカーバスターを落とされて跡形もなく崩壊してしまった、武市先生の父親の屋敷の爆心地のクレーターの中で、マグマの蛇がとぐろを巻いてて、その横にハルが立っている。
 顔や体つきは高校生のまま、表情と瞳が大人のハルだ。
 かがみ込んで真っ黒な『蛇』の表皮にハルが触れる。その手の下からひび割れが走って『蛇』の全身に一瞬で広がる。パキパキパキン、と飛び散るように表皮が砕けて剥がれ落ち、中から裸の僕が出てくる。丸まった僕の背をなぜて朗らかな声でハルが言う。
 顔や体つきは高校生のまま、表情と瞳が大人のハルだ。
 かがみ込んでマグマの蛇の真っ黒な表皮にハルが触れる。その手の下からひび割れが走り、一瞬で蛇の全身に広がる。パキパキパキン、と蛇の表皮が飛び散るように砕け落ち、中から裸の僕が出てくる。丸まった僕の背をなぜて朗らかな声でハルが言う。
「もういいよ、ありがとう」
 ハルが消える。
 クレーターが消える。
 無音の闇の中で僕は思う。
 ああ、そうだ、わかってる。
 マグマの蛇なんていない───『蛇』は、僕だ。
 ペンタゴンの職員や一個連隊の兵士やホワイトハウスの人たちを殺したのは、僕だ。
 目の前でハルが殺されたショックで二つに分裂していた僕が、重なり合ってひとつに戻る。『蛇』として切り離して遠ざけていた僕から、痛みと悲しみと憎しみと怒りとそれらを解き放った時に感じた暴力的な恍惚感とが、濁流のように流れ込んできて、ずどん、と僕は重くなる。そして情念渦巻く重力の海にずぶずぶと沈み出す。
 ああ。ああ。あああああ。
 気持ちよかったなぁ。すっきりした。
 殺した奴らを殺し返して彼らと同じになれたから。のたうち回って苦しむ自分を裏返すことができたから。復讐って被害者を加害者に変換することだったんだな。生成と破壊の車輪のバランスの回復ってこういうことか。やっと分かった。
 この回復作用を世界規模でフラクタルに起こし続けるために、暴力と殺戮の連鎖を生み出す『呪いのバトン』が必要になるのか。物理現実の新陳代謝は、人間が作り出す地獄によって循環の安定が保たれるわけだ。
 だから、どんな苦痛も、不安も、憎悪も、悪意も、憤怒も、怠惰も、堕落も、腐敗も、喪失も、恐怖も、絶望も、人間にとってすべてが娯楽───命がけの遊びになるわけか。
 ふふ。はは。あはははは。
 気がつくと僕は笑ってる。八人の海兵隊員が動揺する。
 笑う。笑う。力なく。
 『呪いのバトン』になり果てて、紅い拳銃で自殺することを洗脳のコマンドで禁止された今、僕にはもう出口がない。シナリオの外へ出ることも、『魂の部屋』から美猟を助け出すこともできず、ただガルシアの駒として『紅いライフル』シリーズを作り出す役割を演じるだけだ。
 この終わり切った状況も娯楽かよ?
 どうやったら楽しんで遊び尽くすことができるんだ、武市先生?
 痺れるように疲弊してぐったりと僕は闇に浮かぶ。
 大きな力が通り抜けるための『回路』と化してしまった僕の、心の隅の隅の方に、小さく光るものがある。
 それは言葉───美猟の言葉だ。

「これでマリオは大丈夫、何があっても切り抜けられる」
「誰の過去も、どんな呪いも、マリオがなぞることはない」

 いつ・どこで・何について、言われたことだったっけ?

「傲慢が過ぎたな、草薙マリオ」
 横田基地に到着し、十字形の寝台ごと牽引車で曳かれて倉庫へ運ばれ、アイシェードとヘッドフォンを取り外された僕の顔を、覗き込むようにして鰐淵啓司ライトナーが言う。
「警視庁に引き渡されるまでの間、貴様は私の管理下に置かれる。薬漬けにして完全に自由を奪うので、そのつもりでいろ」
 身を起こして一歩引いた啓司を見て、おお、と僕は目をみはる。
 小さく萎んでしまっていたオーラが元の大きさに戻っており、体が一回りでかく見える。太くて深くてよく響くカリスマ的な声も復活してる。生命力が高まっていてすごく調子が良さそうだ。きっと僕に対する敵意と怒りを抑えなくてよくなったからだろう。
 良かったな、と思いながら返事する。
「もう逃げないし、暴れないよ」
 む、と啓司が眉をひそめる。
 ペンタゴンとホワイトハウスを壊滅させた史上最凶のアウトローが、腑抜けみたいになってることに強い違和感を覚えているのだ。黒桃が僕に何をしたかまでは、上司から聞かされてないのだろう。
「・・・教えてくれないか」
 抗束帯で締められてる首を、精いっぱい持ち上げて僕は訊く。
「クミコ・タケチは、どうなった?」
 啓司の瞳の底に火が閃く。
 何かを言いかけ、呑み込み、黙る。
 そして牽引車のドライバーと、レーザーライフルで僕を狙い続けてる八人の海兵隊員に指示を出す。十字形の寝台が乗せられているカートの上に隊員たちが乗り込み、牽引車が静かに走り出す。医療ブロックへ搬送されて麻酔薬を打たれるのだ。首を反らして背後を見る。啓司ライトナーの姿が逆さになって遠ざかる。
「おい!」
 掠れた声で僕は叫ぶ。
「武市来未子を手放すなんて、ほんとにお前は馬鹿なことしたな!」
 啓司の両目がギラギラと黒曜石みたいに輝くのを見ながら、武市先生がまだ生きてることを確信して、僕は笑う。
 
 
<続く>

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