初めての心療内科、抗不安薬

不安感のせいで日常生活をまともに送ることができなくなったら私たちはどうするか。一過性のものであれば、休息をとってみたり自分で解決方法を調べたりして事なきを得るかもしれない。可能なことなら環境を変えて、不安の原因となる状況をなるべく生み出さないようにするのが良いだろう。時間が解決してくれる場合もある。しかし、なかなかそうもうまくいかない。症状と闘いながら何とか今までと同じ生活をしようと試みる。そこで世話になるのが心療内科や精神科である。メンタルクリニックとも呼ばれ、略してメンクリなんて言う人もいる。メリクリだったらメリークリスマスだ。一文字違いで響きもよく似ているから間違えそうである。(そんなことはない) 私の場合は、このままではもう耐えられないというところまでいって、泣きながら近くの心療内科を調べて電話を掛けた。あのときの光景は今でも鮮明に覚えている。おかしいな、なんだか苦しいなというのはそれ以前から感じていたが、病院にかかっても治らなかったらいよいよおしまいだという考えがあって受診するのを渋っていた。いわば最後の砦のような存在に思えて、残しておいたのである。

当時の自分は処方薬に大きな期待を抱いていた。しっかりプロの先生に診てもらって、適切な薬を出してもらって、それを正しく飲めば、きっと良くなるだろうと思っていた。初回の診察は随分と時間をかけてもらった記憶がある。というのも、自分の感じていることをうまく説明できる気がしなかったために、数日間かけてそれを文章にしたためて読んでもらったからである。先生は文章のコピーをとって一通り読んだ後、話し始めた。親切に対応してくれているはずなのに、症状のために命を絶つことまで考えていた私にとっては少し不愛想に思えた。先生はもっともなことをつらつら話してくれてはいたものの、どこか説得力に欠けていた。自分では文章という形で整理してそれなりには的確に感情を伝えたつもりではあったが、認識に齟齬が生じるのは仕方ないのだろう。なにはともあれ、私には抗不安薬が処方された。まずは不安感をある程度取り除かないと症状(具体的には心因性頻尿)は改善しないよというのが先生の所見であった。当時は高校生だったこともあって会計の金額には面食らったが、背に腹は代えられないという気持ちで財布の中身を手放した。

私はその日の夜から抗不安薬を服用した。するとどうだろう。確かにパニックになることは少し収まったが、それと引き換えに強烈な眠気と吐き気に終始襲われるようになった。眠すぎて朝布団から出るのも厳しく、気持ち悪すぎて食事もまともにとれなくなった。なんだか、眠くさせることでそもそもパニックになるエネルギーを与えないよと言われているかのようであった。不安感が高ぶったときにそれを抑え込む働きを持つのではなく、普段から世界をぼやけた感じにさせることで、感情が高ぶっても夢の中を歩いているみたいな感覚にとどめるような効用なのではないか。横軸に時間をとって縦軸に感情の高ぶりをとるならば、薬の服用前後でグラフの変化の仕方は変わらず、ただ縦軸負方向にグラフが平行移動しただけのような。グラフが低くて穏やかだったところがさらに低くなったことで、うつらうつらとしてしまい、とても作業や物事に集中できる状態ではなくなった。

また、パニックになることが減ったとしても、不安感を抱く対象を頭の中から切り離すことは薬を服用してもできるものではないと、このときになって悟った。当時から私はトイレに対する不安に苦しんでいたわけだが、薬を飲んだところでトイレへの意識が無くなるわけではなかった。薬物療法は考えの中身までをコントロールすることはできない。

最後の砦だと思っていたこともあり、心療内科と処方薬に手を出して得られたリターンが殆ど無かったという事実に私は大きなショックを受けた。そして、もうこの症状は治らないのだと、むしろ今後の人生に対する絶望が大きくなるばかりであった。

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