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(基本解説006)中学生にもわかる「基本的人権」のほんとうの意味

(政治や法律の基本解説)
(4分で読める)



日本国憲法で重要視される人権は
永久の権利といわれています

そもそも人権は
とても危険なものでした

人権とは、ほんとうは
「人を殺す」権利だったのです




基本的人権の定義

 日本国憲法の三大原則とは、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」を言います。今回は2つ目の「基本的人権」についてです。教科書的にいうと「人間が、ただ人間として生まれたということだけで持っているとされる権利」が「基本的人権」です。人間は生まれながらに自由・平等であり、「自分の生命、身体、自由を所有する」権利を持っているということです。単純に基本権とも呼ばれます。憲法では基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」ですが、その保障は絶対的なのもではなく、公共の福祉による制約を受けます。

基本的人権の中心になるのが「自由権」

 私たちには、他人の自由を邪魔しない範囲で自由に考えたり、自由に動き回ったり、自由に発言することが保障されています。「基本的人権」とは個人の生命・身体・財産が国家によって侵害されないという自由権、国政に参加する参政権、最低限度の生活を営めるよう国家に請求できる生存権が中心となっています。とくに基本的人権の中心になるのが「自由権」です。

あくまでも人権尊重は国家があってのもの

 人権尊重自体は各国の憲法にあり、それを否定をする人はいません。人権、基本権、国民の権利など、どのような表現もすべて「人権」です。日本国憲法には多くの人権が盛りこまれ、まるで人権カタログのようです。人権尊重というのは、あくまでも国家統治の手段です。国家があって、その手段としての人権の尊重だと言えます。

そもそも人権は危険なものだった

 人権という思想は、そもそも危険なものでした。ヨーロッパでの「人としての権利」というのは、日本人が想像するものとはまったく発想が異なります。紀元三世紀にローマ帝国が末期症状に入って以降の西ヨーロッパは「暗黒の中世」と呼ばれる悲惨な時代でした。「十字軍だ」「魔女狩りだ」などと人殺しが続きます。「人は、人だから殺してはいけない」という概念が存在しない時代でした。

人権とは「人を殺す」権利

 人権というものは、究極のところ人を殺す権利です。人は完全に自由な権利を持っているのだから、他人を殺す権利も持っている。これが人権の正体です。人間は放ったらかしにすると、殺し合いを始めてしまう生き物だということ。誰もが安心できない社会が自然な状態ということです。この自然状態は、現代の世界でもあるのです。たとえば、2000年に家族4人が殺害されるという世田谷一家殺害事件など、数々の痛ましい事件が起こっています。

国家権力が「人を殺す」権利を取り上げる

 そこで、国家権力というものを打ち立てて、皆から人を殺す権利というのを取り上げなくてはならなかった。その取り上げるための力、これが絶対主義でした。そもそも人を殺す権利も含めて人権だったものを、180度入れかえ、他者も人間であるのだから殺してはいけない、ということにしたのです。この絶対主義、絶対権力をしばるための法が憲法です。その憲法に基づいて皆で話し合いをしながら民主主義というものができていきます。

「人を殺してはいけない」という発明

 根本的に人権というのは、無制限だからこそ権利なのです。日本人のように権利には、義務や制約が伴うなどとは西洋では考えません。ヨーロッパの根本的な思想としては、人を殺してはいけないという常識がなかったので、「とにかく人が人だから、殺しちゃいけないんです」という思想を無理矢理、発明しなければいけなかったのです。

マイナスからゼロにすることが人権の始まり

 このような経緯から、「人を殺していい」から「人を殺してはいけない」というように、いまでは当たりまえのような考えかたになっていきます。そう、マイナスからゼロにすることが、本来の人権の始まりだったのです。現代の新しい人権といえば、「環境権」や「知る権利」「プライバシー権」などがあげられます。また「中学生が丸刈りを強制されない権利」や「囚人にも喫煙の自由がある」というような、とんでもないものも。これらは、「国家に〜されない」権利とは異なる、国家に対して「〜してほしい」と要求する権利という概念です。ゼロからプラスへの人権ですね。


参考文献
『プレステップ憲法〈第2版〉』駒村圭吾  弘文堂
『確認憲法用語300』大沢秀介  成文堂
『13歳からの法学部入門』荘司雅彦  幻冬舎新書
『本当は恐ろしい日本国憲法 』長谷川三千子/倉山満  ビジネス社 
などから適宜抜粋しています。



1,908字







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