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『いつも旅のなか』を読んで

角田光代さんが世界中を旅されたときのお話です。
今は、海外旅行は難しいけれど、こうやって本の中で旅ができて幸せでした。

角田さんのようにワイルドな旅はしてきませんでしたが、私も20代前半の時に行った中国や台湾、インド、カンボジアへ行ったときのことは忘れません。
ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアへも行きましたが、私の中に色濃く残っているのは、やっぱり中国とかインドなんです。

私が大学生の時、今から約12年前に行った上海は特に熱かった。時期的にも熱かったのだが、何より人が熱い。みんな叫んでいるし、我先にという意思がなければ欲しいものも買えなかった。
あるとき、パン屋さんで買い物の列に並んでいると、どんどん抜かされる。並んでいるのに一向に買える気配がないのだ。これは「本当に買えないかもしれない」と思って、でもお腹も空いているし諦めたくないと思って、「何で抜かすんよ!」と叫んだ。しかも関西弁の日本語で。すると私を抜かしてきた人たちがすっと道を開けて、私は先頭になり、パンが買えた。日本語は伝わらなかったと思うが、何となく言っている意味は伝わったような顔をしていた。そうなのだ。世界で一番人口が多いこの国で生きて行くには、でかい声で自分の意思を叫ばなければ、食べ物を買うこともできないのだと気づいた。

台湾にも私は角田さんと同じ思いを思っている。それは「この国の未来は安泰である」というものだ。
世界で出会った台湾の人たちは本当にみんな優しい。それは私が出会った人たちがたまたまいい人だったからかもしれない。台湾にも犯罪者もいて、悪いことを考えている人もいるだろう。でも出会った人たちは本当に素晴らしい人ばかりだった。
台湾で旅行していて、ちょっとでも地図を見て立ち止まろうもんなら、すぐに若い人が英語で「お手伝いしましょうか?」と聞いてくる。何度もそういう目にあったので、もしかしたらそういうボランティアの人か何かと思ったけれど、違った。
また私の台湾人の友達は困っている人がいたら、すぐに声をかけにいく。一緒に旅行していると、「あ、なんか困ってるっぽい人いたから、ちょっと行ってくるわ」と何度か私たちを置いて、どこかへ行って助けていたようだ。
本当に見習わななくちゃいけないと思った。私は日本で困った人を見かけても、「声かけても迷惑なんじゃ…」とか「ただ立ち止まっているだけだよね」と見て見ぬふりをしたことがある。困っているかなんて声をかけてみなくちゃわからないし、別に迷惑でも怒られるわけじゃないだろうし、もし断られたら、それはそれでいいし、行動しなくちゃ何も変わらない。台湾の友達にはいつも学ぶべきところがたくさんある。私は旅をして尊敬すべき友達に出会えた。これは旅をして本当に良かったと思えたことだ。


角田さんがあとがきで書かれた文章は、私も同じように感じていたことだった。

旅は読書と同じくらい個人的なことで、同じ本を読んで感動する人もいればまったく何にも感じない人がいるように、同じ場所を旅しても、印象は絶対的に違う。ときとして見える光景すら違う。

同じ場所へ行ったのに感動するポイントが違ったりするのだ。だから、他の人の旅の話を聞くのは楽しいんだな。あと、私はアマゾンレビューを読むのも好きだ。だって同じ本を読んだ人たちなのに、みんな星の数が違って感じたことがまったく違うことだってあるのだ。

この本を読んで、遠くの世界へ旅した気分になれました。



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