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表現が豊かな人と、豊かなことを表現する人は違う

醸し出す雰囲気や、自分には思いも寄らないような言葉の選び方、ゆったりとした話し方、、、etc
に魅了されていました。

その人のお話や文章に強く惹き付けられ、
その人の話すことはなんとなく全て肯定的に受け止めてしまいがちでした。

が、ふと、
「発言の仕方は圧倒的に美しいのだけど、その内容は意外と普通というか人間らしいというか、勝ち負けや序列に拘る、"べき"論が強いなあ」と、思った瞬間がありました。

勝つべき、
社会に影響を与える自分であるべき、
内省すべき、
より良い自分になるべき、
社会は良い方向に向かうべき。

「私は負けたくない。」

こんな本音が突然垣間見えたと同時に、
その本音に今まで全く気がつかなかったのは、見せ方のスキル、ひとを惹き付ける何か、が素晴らしく優れていたからだと思いました。

表面だけ繕っても内面がよろしくない、などとそんな揶揄するような話をしたいのではなくて、
自分がこれまで考えていた以上に、「見せ方」は絶対的に重要なものだと強烈に感じました。

心のどこかで、内面が良ければそれは外面にも滲み出るものだ、と思っていました。
外面ばかり良くてもそれは本質ではないし、上っ面な判断だと。

磨くべきは内面である、と。

でも実はもっともっと無意識の部分で、自分はそれはもうがっつり外見で判断してきていたんだな、と
このことをきっかけに気づいてしまいました。

見た目にばかり気を遣うこの人は良くて、そうでない人は悪い、とか良し悪しの話ではなくて、「ただただ絶対的に外見は大事」という1つの事実。

その事実に乗っかって、実はずっと判断をしてきている自分にあまりにも無自覚だったのでした。

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