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第5章「がむしゃら野球小僧の原点」~5歳~

高2の「がむしゃら野球小僧」の翔人(仮名)の野球人生を振り返る、ノンフィクションの親バカ物語です。

(正確には、息子がドクターストップ中で、そのモヤモヤを吐き出すための親バカ投稿です。)

第5章 ~5歳から小学校に上がるまで~

翔人が5歳になったころ
母(私)、育休があけて仕事に復帰し始めました。

当時、中学校で働いていて、週末もほとんど仕事でした。
(今よりブラックでしたから)

私は、一歳の娘と5歳の息子を連れて仕事場へ。

母、バスケットボール部の顧問。
翔人、球技好きではありましまが、
5歳児が一緒に遊ぶにはボールが重いし、ゴールも高い。


そんなこともあって、勝手に野球部の練習を見学していた翔人です。


そして、いつの間にか野球部(中学生)と一緒に練習してました。


勤務先の野球部の顧問の先生は、そこそこ名の知れた指導者で、そこそこな強豪チーム。


厳しい指導をされているチームなのに、理解ある先生で、翔人を部員のように扱って可能な限り練習に参加させてくださいました。


次に行った頃には、「翔人担当」を作ってくださっていて、
校門を潜ったら、「翔人担当」が迎えに来てくれて、
母には目もくれずグランドへと消えていきます。


練習の邪魔になるのではないかと申し訳ない思いでいっぱいでしたが…
ある部員から、「次、翔人いつきますか?翔人がいてくれたら、監督の顔が優しくなるから、また連れてきてください」って。

私にとって憂鬱たった休日の仕事が、一気に楽しみになりました。

優秀な指導者なのて、技術的な指導をたっぷりしてくださったのかと言えばそうではなく、
「野球が好きになるのが一番」と、翔人が楽しむように一緒に野球遊びをさせてくださいました

集合のときは、中学生の輪の中に入って、一生懸命指示を聞いていました。

試合の時はボールボーイをさせてもらって、役割を与えてもらうことで、必死で野球見てました。


そんな、楽しさ第一で野球をさせてもらっていた翔人ですが、強豪チームの先輩たちの真剣な姿の影響はたっぷり受けています。

翔人が「がむしゃら野球小僧」なのは、きっとこのときに泥臭い野球を見させてもらって、そんな一生懸命な姿がカッコよく映ったからなんじゃないかと思っています。

本人の性格も影響してるのだとは思いますが、翔人がこのあと入部する小学校のチームではこの「がむしゃらさ」は身に付けられなかったに違いありません。

その監督は、今でも翔人の試合を応援に来るのを楽しみにしてくださっていて、
我が子の成長を見守ってくださってます。

中学引退のときにもらったメッセージごこちら。

「まさに野球小僧。主将らしくチームを鼓舞し見事な統率力でした。立派に成長された姿に感動しました。」

その礎を作ってくださったのは、監督ですよ。

こうやって、周りから固められて、野球少年への道へと前進しました。


ここまできたら「もしかして〇〇?」って思われている方もあるかもしれませんが…そっとしておいてください。
「〇〇のママnoteやってるの?」なんて言われた日には、恥ずかしくて連載ストップしちゃいます(笑)

つづく

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