Art Thinkingと生活。
前段として、私は芸術に特に造形が深いわけでは全くない。
ただ、絵は好きだ。中学生のときに美術の教科書に載っていた奈良美智の絵に感銘を受け、会社員になった今も尚、デスクに飾るほどには好きだ。
好きすぎるのか、家族曰く幼少期の私の顔が絵にそっくりらしい。そんな話を恋人に話したら、今の顔も似ていると言われてしまった。......泣いても良いか?
ちなみに、たなかみさきみたいなポップでレトロな絵も好き。
今は広告会社に勤めているが、小さい頃は、イラストレーターや絵本作家、漫画家になりたかった。
それほど、絵は大好きだった。
小学生の私は、生粋のちゃおっ子だった(お姉さん漫画誌のチュチュにもハマっていた)
当時少女漫画の読み過ぎで、「リレーの最中に倒れて保健室に運ばれる主人公の女の子と、それを助ける男の子」の恋愛漫画を描いて、「これ何?」と兄に見つかり赤っ恥をかいたこともある。
話は逸れてしまったが、絵は好きだと言いながら、それはきっとどこか表面的なもので、美術展によく行く訳でもなく、どこかチケット代の千幾らを惜しんでいる自分もいた。
(一人だけだとケチになるが、人から誘われたら行きたいので是非誘ってほしい)
そんな中、感性が素敵で尊敬している友人に、どうして沢山美術館に通うのかと聞いたところ
「ほんの数千円で巨匠の作品を見れて、しかも一度に何百点何千点もの作品に触れられるなんて、こんな贅沢なことはない。その上、人生や視点が変わるきっかけになれるかもしれないから。」
と言っていた。
人生や生活を彩り、時に変化させ、感性を引き上げる教材費だと考えると、対価は非常に大きい!と彼女の言葉で発見し、感銘をうけた。
ただ、私は更なる理由づけが欲しかった。
前提として、ここまでうやうや言いながら私は美術館に行ってセンスを高めたい!と思っている。でも自分のためだとどこかいつも頑張れず、行動に結びつけられなかった。幼い頃からそうだ。小さい時から大学生までドラムを続けられたのも、音楽が楽しい以前にチームで活動する責任感や一体感からだった。
そんなとき、私の芸術鑑賞を後押ししてくれたこの本を紹介したい。
「アート思考はビジネスにも必要」ということが書かれている。仕事の勉強のためなら頑張れる!と思ったのだ。入社して間もない私には単純な話だ。
今回はこの中で感銘をうけた「ゼロベース思考」について話したい。
要約すれば、目の前にあるモノや事実を疑うことが大事だ、ということだ。
この本の中ではその例として「デュシャン」の《泉》という作品と、トマト缶やマリリンモンローの絵で有名なアンディ・ウォーホルの作品を挙げている。
これがデュシャンの《泉》である。(画像引用:Wikipediaより)
ご覧の通り、これは便器だ。
作品について本の中でこう書かれている。
デュシャンはそれまでの多くの美術作品を、「目から得られる刺激を楽しむ網膜的絵画」だとして批判します。デュシャンは、精神(脳)に快楽を与えられる新しい芸術を提唱すべく、《泉》を世に送り出したのです。(中略)「美こそ善」であるといった、美術界の既成概念を打ち破るものでした。そのために彼は、あえて美から一番遠くにある便器を使って既存の価値観に意義を唱えたのです。
このデュシャン以降、芸術作品は視覚的な美しさから「コンセプト」を重視したものへと変化したと言われている。
続いてアンディ・ウォーホルは、マリリンモンローなどの著名人の肖像や、自動車事故現場や電気椅子などを悲愴な社会の表層として、それぞれのアイコンを抜き取って作品にした芸術家だ。
メディアに露出したそれら画像を流用し、大量製品をつくるようにして、何枚も刷られたシルクスクリーンを用いた作品を手掛けた。
(画像引用:あなたの知らないアートの世界より)
この作品についてはこう記されている。
当時は、まだまだ画家が精魂込めて一点ものの油絵を仕上げるのが当たり前の時代で、美術界から
「シルクスクリーン印刷で大量に刷られた作品が果たして芸術といえるのか」
との批判も集まりました。そもそもウォーホルは、それまでの芸術家のように作品を「制作」していたわけではありません。(中略)ウォーホルは、こう反論しました。
「人が美術作品として買うなら、それは美術作品だ」つまり芸術かどうかは、鑑賞する側が決めることだと言うのです。デュシャンは既存の芸術を否定しましたが、ウォーホルは、芸術品とそうでないものの境界を破壊してしまいました。
デュシャンといいアンディ・ウォーホルといい、目の前の事実を疑い、自分の考えを新たに確立させ、作品にそのコンセプトを昇華させる。これはきっと、仕事の上でアイデアを考え、生活者視点で物を改めて考えてみる際に非常に大事だと思った。
芸術を鑑賞するということは、絵を見るということは、映画を見るということは、本を読むということは、音楽を聴くということは、美味しいご飯を食べるということは、
その制作者の考え方に触れることであり、自分の意見を確立したりアイデアを生み出すようなきっかけのひとつなんだなと感じた。
......いや、ここまで大層に考えなくても良いとは思うのだけど。ポップでキュートに締めくくりたかった。
本当は、5月の目標の話とか、おうち時間の話とか、椎名林檎が曲を作るのにコースを食すことを発想の糸口にしてる話とか、パフェの「ライブ感」の話とかしたかったのだけど、文章にするのって難しくて、慣れてないと大変だな。良いアウトプットの練習になるから一か月に一回以上の更新を目標に頑張りたい。
ここまで読んでくれた人と、noteを通じてアウトプットの練習をしようと思ったきっかけである友人(=途中に出てきた友人)に感謝しつつ、フリックの指を止めることにした。
🔖