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佐賀県立博物館・美術館、佐賀大学美術館、福岡アジア美術館、北九州市立美術館

副業で佐賀にでかける用事があり、よい機会なので北九州地域の美術館を巡ってみることにした。日程的に北九州市立美術館のコレクション展にあたる。バスキアの《消防士》を見ることができる。後は佐賀県立美術館と博物館、福岡アジア美術館を訪問してみようと思っていた。

フランク・ステラの《八幡ワークス》市民が集めたステンレス缶を使い、製鉄所の全面協力のもとで作られた。コレクション展には、この作品を制作する様子を収めた写真も展示されていた。

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企画展は素敵なふたり

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高橋秀と藤田桜夫妻の作品展。

大きな作品が並ぶ展示、その大きさがまず圧巻であり、圧倒される。とても抽象的な作品、平面の中に立体感がある。単調な図形の組み合わせのように見えるのだけど、そうした省略をしているからか、いろいろな連想を行う。

安井賞に三度目の挑戦で賞を受ける。これがもういいかなというタイミングで、半ば投げやりだったらしいけれど、賞を取ってしまったことで画商がやってきたらしい。これに乗っては画家としてダメになる。そうしたことが、イタリアに移住することの一因になったみたい。《月の道》はコンクリートを使っている、これが受賞作品。

イタリアというかヨーロッパを放浪した数年、ようやく作品を作るようになった。同じ展覧会に出展していたヨーロッパの作家の作品は、細部が粗く、仕上がりは自分の作品の方が綺麗である。それにも関わらず、そうした作品の方がメッセージ性が強い。細部が粗いとか、汚いとかって、アーティストが意図してやっているのは知っていたけれど、アーティストが見て、そうしたことがメッセージ性の強さに連動しているとは。こうした言葉が、僕が、これから現代アート作品を見ていくための指針になるし、血肉になっていくような気がした。

それにしても大きな作品群。

《色彩の表面 R7-104》(1967年)、《受胎告知》(1970年)

60年代後半、70年代の作品はエロス的なメッセージがあり、それが徐々に宗教的な様相を示すようになっていく。寺院に奉納した作品などもあり、宗教的な作品に移行したのは、どういうモチベーションからなのか気になった。

《三億光年》、《紅花》は超巨大な屏風絵。

熊本県玉名市の蓮華院の多宝塔に作品表現が続いていった。

一方の藤田桜の手芸的な作品群も不思議な魅力がある。「よいこのくに」の表紙作家、なんでもない人形のように見えて、目を離せない味わいがある。手芸、自分の服を自分で縫製していた時代。今のエシカル消費にも接続できる概念が見つけられるのではないかなと思いながら見ていた。ファッションの副業で、ちょっと何かやってみようかな。

さて、いよいよのコレクション展。

バスキアの《消防士》と対面する。

圧倒的な存在感、痺れるような感覚。六本木のバスキア展で同じ構図の絵を見たはずなのに、こんな感覚はなかった。

画面を構成する痕跡、ビビッドな色、恋人にパンチを食らわせられている男の表情と消防士の表情の対面とそこから感じるループ。それがパンチに集約され、そこに記載されたBOFが、また男の顔へ視線を移す。このドラマに思いをはせる。

これ、六本木で展示されていたっけ?

確認してもらったところ、六本木のバスキア展では展示されていなかったらしい。それにしても、予算が無い中で作品収蔵をせねばならず、当時はそれほど高くなかったバスキアを、来日展を実施していたタイミングで収得、今では前沢氏が収得した《Untitled》よりも高値がつくだろうと言われている。目利きである。これからコレクターとしてアートワールドに入っていきたい。こうしたことができるといいだろうな。


福岡アジア美術館、コレクションとLGBTQ展。

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アジアの作品を本格的にコレクションしている。西洋美術の影響を受けつつも、アジア各国の持ち味を反映させながら作品作りをしている。

洋画、彫刻、映像、様々な作品、既視感のある作品が多いものの勢いというか、ちょっとひねった具合の視点を提供してくれる。これこそ常識を疑う視点を養うことだなと思う。

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福岡アジア美術館へ行けるエレベーターホール
ブー・ホアの《はびこる野蛮》をモチーフとした壁

LGBTQ展、マイノリティの世界の提示、ただ、展示作品としてはSDGsに接続するかのようなジェンダーのメッセージの方が強かったような気がする。はっきりとした二項対立ではなく、その中間。いろいろな考え方。

ライブラリー、カフェなどもあり、福岡アジア美術館は市民に親しまれる集いの場なのだろうなと思った。


佐賀県立博物館と佐賀県立美術館は入館料が無料である。なんとも太っ腹。展覧会は、博物館が県博クロニクル。美術館がOKADA ROOM Vol.15の展示。

博物館の入り口近くに展示されていた佐賀の石の解説。有田が磁器の里であることを強烈に連想する。以前、有田をゆっくりと訪れたことがあり、新旧の窯元で作品を買い求めた。

江戸時代初期からの磁器の製造によって山が削り取られてしまった。そうした佐賀の地にあって、最初に石の展示を持ってくるということに、県立博物館ならではの資料収集の思いを感じたような気がする。

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佐賀といえば、吉野ヶ里遺跡。研究者の研究によって、邪馬台国ではないと否定されたが、かなりの規模の集落であったことはわかる。3時間ほど吉野ヶ里公園を歩き回ったけれども、住居、倉庫だけでなく、堀、畑、様々な道具など、古代に思いをはせるには十分すぎる規模だった。

誰かの抽象画かと思いきや、古墳の壁画だという。

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文化、歴史の展示、有明海とともにある佐賀市。玄界灘、伊万里湾、地形と文化と歴史と、そうした展示が続いた。

続いて佐賀県立美術館。岡田三郎助の展示のみだった。

何気なく目に入った北島朝一の油画。

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そして、岡田三郎助の油画。

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不思議なことに、斜めから見ても目線が合う。人の視界は120度だったけか。その範囲に移動してみたけれど、なんとなく目線があってくる。ぴったりと目の中心が合うわけでは無い、こちらを見ているかのような、話をしているかのような、そんな微妙な目線の合わせ方。

二人の作家、油画にこうした技術があるのだろうか。他の絵を見ても、こうした不思議な目線は感じられなかった。


佐賀大学で卒展があった。ここまで来たからには寄ってみよう。

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佐賀大学には美術館がある。その美術館とちょっと離れた建屋で展示がされているらしい。

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ミクストメディアは2016年に設立された学部、2020年の今年が初めての卒業生で、つまりは初めての卒業制作展。こんな機会に巡り会えるなんてね。

学生の若々しい発想、自由な発想があるし、やや固定された発想もある。若者の瑞々しさというのは、なんとも貴重な感じがする。

ミクストメディア、有田セラミック、映像系の展示は美術館とは反対側の建屋で行われている。広いキャンパス。佐賀平野の広く平坦な土地で、悠々とした雰囲気。こうした環境で芸術を学ぶとどうなるのだろうか。

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有田セラミック、つまりは磁器の展示。遊び心のある展示があった。その他、映像、インスタレーションなど、なかなかの見応えがあった。

そんな中で、ミクストメディアのパフォーマンス作品に衝撃を受けた。これは別のノートに記載したいと思う。

あまり期待していなかった北九州界隈の現代アート。思っていたよりも収穫があった。佐賀はデザインに興味が高い県民性だと思っていた。この佐賀大学の展示を見てアートへの転換もありなのかもと思う。

いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。