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アートワールドの未来はデジタル(のみ)ではない

フィナンシャル・タイムズのオンライン・レポート、アート・バーゼルのグローバル・ディレクター、Marc Spiegler のレポート。コロナ禍において、アート・ワールドがどのような影響を受けたのか。これは、この論考を読んでみた考察のテキスト。

Marc Spiegler, the global director of Art Basel, penned a piece for the Financial Times about the pandemic's impact on the art market and some of the limitations of digital fairs and sales. "An Amazon art world sounds more like hell than heaven," he writes. "It is a world with no power to move our souls."

アート・バーゼル香港は土壇場になって中止が決まった。昨年末、ゼミの授業で香港はデモなどの影響があるが、アート・バーゼルが中止になることは無いだろうと議論した。まさか、世界的な新型コロナ感染症の流行によって中止になるとは思いもよらなかった。

中止によって、すでに貨物船に乗せられていた作品、スタジオで完成間際の作品が展示する行き場所を失ったとしている。アート・バーゼル香港は急遽オンライン・ビューイング・ルームがオープンした。オンライン・ビューイング・ルームを支えるデジタル基盤は、フェアを補完するものとして準備されていたらしく、フェアに並行して開設し、ブースに並ばない作品を見るための仕組みだった。もう少しゆっくりとしたスケジュールだったけれど急遽開発を早めてアート・バーゼル香港のもともとの開催期間に合わせてローンチした。

こうした期間が切られたシステム開発のヒリヒリさ。開発チームの苦労が想像できるけど、恐らく最終テストとか、ローンチに向けての細かな調整が残っていた程度ではないかと思う。

ギャラリーの顧客はオンライン・ビューイング・ルームで展示を見ることができた。VIPの内覧会的な期間はあったものの、世界に向けて公開された。

世界に向けて公開することこそインターネットの強み。もちろん、世界の複雑さのために、インターネットはひとつじゃないし、接続できない人もいる。世界に公開したからといって、すべてのネットに繋がっている人が受け取るわけでもない。けれども、クローズドなアートフェアが、世界に向けて公開した。見たい人は、メディアによる二次情報ではなく、直接見ることができるようになった。

これってすごいこと。

アート・バーゼル香港を皮切りというか、世界で開催される予定だったフェアが続々とキャンセルされて、展示の場所をオンラインに求めた。自前で基盤を整備するか、既にオンラインで展開しているプラットフォームに乗っかるか。

オンライン化とプラットフォームによるメリット・デメリットについては、この春の修士課程の課題に合わせて、次のnoteを書いた。

2年前から準備していたDavid Zwirnerのオンライン・プラットフォームには複数のギャラリーが作品を展示した。ガゴシアンとJeffery Deitch がローンチしたGalleryPlatformには、LAの中小のギャラリーが多く参加した。

ここまでギャラリーが参加してくると、プラットフォームとしての厚みも増してくる。このプラットフォームで記事も配信するなど、メディア化の動きもあるみたい。

資本集約と同じ状況なのか?

デジタルへの投資は、工場や生産設備、輸送用の道路などのインフラ等への投資とは違った難しさがある。企業の情報システムの構築に長く携わってきたけれど、目に見えないシステムの内側の仕組み、そんな仕組み作りに何十億もかかる。中々理解されなかった。

デジタルとは、情報を 0 と 1 の二進数で表現すること。そうすることで、時間と空間を超越した情報の連携ができる。この時空間超越こそ、人と人の距離を保つ必要がある現在の状況においては災厄と戦う武器になる。

デジタル・トランスフォーメーション、いわゆるDXは、今までにないバズワードだと思うけど、強制的にデジタル・シフトを余儀なくされた。もっと、緩やかに、計画的に進行するものと考えていた企業と、準備していた企業とで、明らかな差が出ている。

アート・ワールドのデジタル化。

これまで以上に多くの作品の価格が公表され、バイヤーが待ち望んでいた透明性がもたらされた。ほんの数ヶ月前まではPDFを使っていた業界で、コロナウイルスは急速なデジタルのルネッサンスを触媒したのです。

すぐにユートピア的なミームが流布し始めた。アート・マーケットは、他の産業に比べて著しく遅いペースでデジタル化を行ってきたものの、ロックダウンはアート・ワールドにもデジタルを完全に受け入れさせることになる。今後、ギャラリーは大きなスペースを借りたり、高価なフェアに参加したりする必要がなくなるということ。都心のオフィスの空室率もさることながら、ハコモノ行政として、いろいろな館をあちこちに建設した日本は大丈夫か?なんて心配になってしまう。

アート・ワールドの芸術作品がデジタル化され、ネットに繋がっていれば誰でも見られるようになる。そうすると、人の移動による二酸化炭素排出量が大幅に削減される。2008年のリーマン・ショックの時も非常に激しい出張制限から空港や飛行機がガラガラになった。今回は、それ以上に飛行機がガラガラになっていると聞く。デジタル推進派は、オンライン・ビューイング・ルームだけでなく、コレクションのVR化までを訴える。Amazonのブラウズと同じようにショッピングができるようになるだろう。と。

ここですべてが破綻してしまうのです。なぜなら、Amazonのアートの世界は天国というよりも地獄のように聞こえるからです。魂を動かす力のない世界である。

デス・バイ・アマゾンのことだろうか。

いや、様子は違うようだ。

レポートでは、YouTubeで見るビデオとライブで体験することの違い、音の響きと視界の埋め尽くし、実際の作品に囲まれる没入感だろうか。そうしたものはデジタルにもVRにも存在しないとしている。

絵画やドローイングのような平面的なメディアでさえも、デジタル化されると苦しくなり、例えば、Julie Mehretu の作品はパソコンの小さなモニター上ではその運動能力の多くを失ってしまうとしている。ほとんどのギャラリーは、その物理的な空間を訪れてみないと理解することはできない。結局のところアーティストが作品を展示するのは、サムネイル画像の配列の中ではない。これは先のnoteでも指摘したこと

確かに、2か月ぶりくらいになるギャラリー訪問は、特別な体験だった。



レポートはAmzonがアート・ワールドを飲み込むことは無いだろうとしている。

芸術作品はユニークなので、そう簡単にコモディティ化されない。芸術作品には実用的価値がなく、真に証明できる価値もなく、厳密な比較対象もない。そのため、美術品を購入することは信頼の行為になり、ギャラリーは、優れたコレクションを販売することでアーティストの評判を高め、オークションに出品するような投機家を避けることができる。

アート・ワールドの閉鎖感、排他感というのは、まずは信頼が必要だから、そうした信頼を築くことはAmazonには無理だということ。

信頼関係を持った人間関係を築くにあたって、アート・フェア、アート・イベントは、プレイヤーが新しいアーティストをいち早く発見し、リアルタイムで価格の変化を把握し、市場を支える情報を取引し、新たな提携を結ぶ場として、市場にとって重要な機能を持っている。こうしたクローズド・マーケットは、他の業界ではとっくに淘汰されてしまったけれど、アートのコモディティ化しないという特異性が、それを防いでいるようにも思う。(コモディティ化とは規格化、標準化などが進むこと、そりゃそうだ。)

Googleで検索するとき、ユーザーは目的がある。Amazonで購入する時も買いたい品番あるいはカテゴリが決まっている事がほとんど。偶発的な出会いはリアルの場に求める。それが、小売りのAmazon対抗戦略でもあった。

取引にあたって人を見る。これはブランドを築いていくことに似ている。そうした慣習がある限り、アート・ワールドにIT巨人が侵食していくことは無いのだろう。あるいは投機家などを呼び込むデジタル・ネイティブ・プレイヤーが出現した際に、そうしたプロトコルが崩れるのかもしれない。

アート・ワールドを巡るプレイヤー、アーティスト、コレクター、アートで働く人。この意識変革が、この先も起こらないって、誰が言い切れるのだろうか。そして、デジタル、VRを始めとするMR技術が、現実を追い越さないって、どうして言えるのだろうか。



ロックダウンされたアート・マーケットは死んだわけではない。ギャラリーは、ZoomやFaceTime、ソーシャル・メディアのキャンペーンを利用して販売できることに喜んで、驚いている。市場がより完全にデジタルに移行できることを証明しているのだろうか?EC黎明期、ネットで売れるわけがないと言われた商品が、どんどん売れていく。このゲームのルールを理解し、ゲームに参加した先駆者はデジタルをうまく乗りこなし、このロックダウンの危機においても業績を伸ばしている。


ギャラリストやコレクターにロックダウン中について話を聞いてみると、既存の関係性デジタル販売の最も確実な原動力となる傾向があることが分かった。つまり強制デジタル・シフトする以前に収集していた顧客リスト(つまりコレクターのリスト)が販売の成否の鍵を握っていたということ。

いずれにしても、危機が過ぎれば、以前のようなアート・マーケットに戻るということではない。ギャラリストたちがロックダウン中に得たデジタル活用の経験は、今後も活かされるだろうし、オンラインへの投資も捨てられることはないだろう。そして、アート・ワールドが急速に革新していくのを見ているのは驚くべきことだ。

Amazonのアートの世界は、天国というよりも地獄のように聞こえる。それは私たちの魂を動かす力のない世界である


アート・バーゼル香港のオンライン・ビューイング・ルームの初日に、6つのギャラリーが「ブース」を案内するために設置したZoom。Marc Spieglerが参加したオンライン・ミーティングには、350人以上が参加していて、北京語で行われてた。その週の後半には、ミラノのコレクター・グループのZoomに参加して、ショーのハイライトについて話し合った。

美術館はコレクションを深く掘り下げて編集部のコンテンツを雪崩のように作り、クリスティーズは香港から始まり、ロンドンに移動してニューヨークで終わる「リレー・オークション」を計画している。オンラインならではの体験の設計が始まっている。

アート・バーゼルのオンライン・ビューイング・ルームにVIPが入場する。今回のビューイング・ルームは、ギャラリーが作品ごとに動画を埋め込むことができる機能を追加。さらに、何十ものギャラリーが、スタジオ・ツアーからパフォーマンスまで、展覧会と並行してデジタル・イベントを開催する。

私のユートピア的なビジョンは、今年はギャラリーや美術館、フェアが再開するということです。

アートを愛する人たちの間で、アートを、そしてお互いをリアルで見たいという欲求が爆発的に高まるでしょう。アート・ワールドは新たな生き方を確立し、新たな移動パターンを確立する。しかし、イベントとイベントの間の時間はこれまで以上に豊かになり、アート・ワールドの周辺の人々が利用できるコンテンツはこれまで以上に豊かになることでしょう。

市場の統合化に長い間脅かされてきた若くて中堅のギャラリーは、オンラインで非常に活発に活動するようになり、特に次世代のコレクターの間でその基盤を広げることができるようになる。

ECの世界、グローバルの世界では販売者の規模は、それほど問題にならないケースがある。デジタル体験中の買う側からしてみれば、その販売者が立派な社屋、内装、調度品のあるお店を持っていようとも、倉庫のような質素なお店だろうとも変わらないから。もちろんサイトについては別の力学が働く、ユーザー主導のデザイン、動線設計、シームレスなプロセスは欠かせない。デジタル体験の良し悪しが競争力の源泉になる。資本を持つことは大事かもしれないけれど、デジタル上のサイバー空間は、顧客視点の洞察と知恵だけで、なんとかなることも少なくない。

ギャラリーがリモートで活動、活躍する姿、どのような姿になるのか。いろいろな歪、試行錯誤はでてくるのでしょうね。

Amazonのようなアートの世界ではありません。デジタルと物理的なものが切り離されているというよりも、むしろ混在していて、世界中の人々がアーティスト、ギャラリスト、文化のパトロンとして参加し、より広いエコシステムを生み出しているハイブリッドな風景です。


これってオムニチャネルじゃん。

2015年にアメリカのメーシーズが、台頭するネット事業者への対抗措置として作り出した概念、複数のチャネルを横断しながら買い物体験を豊かにするという考え方。キーとなるのは、リアルな接点。

日本では、オムニチャネルの考え方は流行のようなもので、今は中国発のニュー・リテール、OMO(オンライン・マージズ・ウィズ・オフライン)に飛びついていて、事例研究に余念がない。

こうした流行はIT業界が先導して作っていたものだけど、最早、そういう時代ではないのだな。システム化の必要性を訴えてきた1990年以前、ダウンサイジングの1990年代、2000年問題、ドットコムバブルという言葉も懐かしさを感じさせる。今は、経済産業省の2025年の崖だろうか。

アート・ワールドに翻って考えたとき、アート・ネットワーク。すなわちアーティスト、コレクター、アートを仕事にする人達。これらがオンラインとオフラインと絡み合いながら、関係性を構築していくのでしょうね。


アートバーゼルのオンライン・ビューイングルームが6月19日午後1時(CET)に公開。




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