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マット・アルト 『新ジャポニズム産業史1945-2020』 読書メモ

本書は世界に浸透したジャポニズムについてアメリカ人の視点でまとめている。ただ、各国語に翻訳されて好調なセールスを見せていることからアメリカに限定された話ではないらしい。

日本の存在はファンタジーである。そんな国は想像の中にしかない。オスカー・ワイルドの詩を引用しながら始まる。

西欧とアメリカで起こったジャポニズムをファンタジーであるという。日本の開国によって文化が交流し、それまで見たこともなかった品物が西洋にやってきた。東洋趣味として括られずに、ジャポニズムとして取り上げられたのはなぜなのだろう。浮世絵の持つデフォルメや、大胆な画面の切り取り、陶器や磁器の精緻な手業が、産業革命で失われたアーツ&クラフツ運動と結びついたのだろうか。


本書は日本文化がアメリカで受け入れられた様子を整理している。日本人論ではなく、日本の文化がいかにして受容されたのか。戦後の小菅のジープ、捨てられた空き缶を原料にした、から始まり、2020年までを膨大な資料を引きながら、日本が期せずして輸出したファンタジーについて詳細に説明をしている。すぐさま連想するクール・ジャパン。ただ、おかしな概念のクール・ジャパンには触れていない。

「クール」は人為的にはコントロールできないし、トップダウンで推進できるものでもない。クールは草の根的な現象であり、権威づけによってクールを売り込もうとした瞬間にクールはクールで無くなってしまう。(p.4)

経済学の分野ではインフレ抑制が研究の主眼だったと思う。不景気を如何に回避するか。経済は成長していくものであり、物価上昇と失業率へ関心を示す。物の価値が下がるデフレを研究してこなかった。というのも実際にデフレが起こったのは日本が初めてで、それまでの経済学ではデフレ脱却が分からなかったとも言える。少子高齢化も含め負の側面ではあるが、日本は世界に先行して、世界が経験する課題に直面していたとも言える。

外国の消費者がもっと日本らしいものを求めるようになったのではない。外国の消費者自身が日本人にどんどん似てきたのだ。二〇一〇年が近づく頃には、東と西がシンクロナイズしてきたことが一段とはっきりする。バブルの崩壊、政治的カオス、若年世代のバーチャル逃避など、日本が数十年早く経験した現象がいまや他の国にも起きている。日本が作ってきたのは、単なる製品ではなかった。これまでになくつながっているかと思えば、これまでになく孤立する奇妙な新しい世界を旅するためのツールだった。日本のクリエーターと消費者は単なるトレンドセッターではなかった。先進国が迎えた晩期資本主義世界で、彼らは未知の領域のすこし先を歩いていたのである。(p.21)

本書は経済的な観点は下がってもらい、日本人論としても論じるつもりはないという。確かに、そうした観点の書籍は沢山ある。日本のクリエーターが作り出していたのは、ファンタジー・デリバリ・デバイスである。ファンタジーを届けるためのデバイスである。

現代社会で人間であることの意味を日本のクリエーターはどのように再定義したのか、という物語である。(p.22)

ファンタジー・デリバリ・デバイスは三つの条件がある。これは、現代アートを研究している時に感じた条件にも重なって見える。

ファンタジー・デリバリ・デバイスには「三つの”in”」という条件がある。必需品ではない(inessential)、虜になってしまう(inescapable)、影響力がある(influential)の三つだ。(p.25)

ゼミの同級生に日本には多種多様なジャンルのマンガとアニメがあるから、難解な現代アートは、そこまで受容されていないのではないか、という仮説を提示したことがある。彼とは深い議論ができていないが、いつか、この視点をぶつけてみたいと思っている。


真剣に遊びをする。大企業のビジネス・パーソンは忘れてしまった感覚ではないだろうか。1980年代、1990年代はこうした遊び心が色々とあったような気がする。自分自身の年齢ということもあるが、尊敬の念を込めてバカだなと思う製品は今よりも多かった。

何か目新しいもの、逃避できるものを貪欲に求める日本の若者の心をつかもうと激しい競争が繰り返される中から生まれた。だが創作の原動力となったキラキラと溢れ出る遊び心は、大勢の外国のファンの心をも鷲掴みにしたのだった。いやじつは西洋が日本と出会ったそのときから、玩具や遊びを考案するときの日本人の真剣さに西洋人は衝撃を受けている。(p.25)

本書は戦後すぐのブリキのおもちゃから始まり、漫画、アニメ、カラオケ、ウォークマン、ハローキティ(かわいい)、テレビゲーム、女子高生、2ちゃんねるまで扱う。いわゆるサブカルと呼ばれる領域についてこれほど詳細に取り上げていることに、ただただ著者のリサーチと努力に敬意を表さざるを得ない。

日本で生活し、本書で紹介されている文化を同時代で文字通り体験してきたが、その連続性とアメリカでの受容について改めて知らされたことが多い。

例えば”かわいい”をインストールしたスーパーマリオ。当初は、ファミリーコンピュータの表現力(コンピュータチップ)の制約からドット絵を使ったキャラクターの表現に真剣に取り組んだ。

”かわいい”は定義できない。キティを生み出したデザイナーですら、キャラクターの持つポテンシャルに気が付いていなかった。美大を出たデザイナーも数々のヒットを出した経営者も、サンリオの顧客が求めていることが分からなかった。ただ、かわいいを探求することで、顧客の期待に応えることができた。

情報技術産業は、定期的にバズワードを生産する。最近ではコンピュータの世界に留まらず、日常生活、社会にまで浸透してきたが、それはスマホに依るところが大きいと思う。さておき、黎明期から普及期に入ろうとしているバズワードに、カスタマ・エクスペリエンス・マネージメントがある。これは顧客の体験を管理しようというもので、企業との接点にポジティブな反応をしたか、ネガティブな反応をしたかを計測し、利点を伸ばし、欠点を直そうという活動に繋げるもの。その技術の売り込みは、顧客が欲しいと望むものを企業が提供できているという考えは幻想であるということ。

情報技術の伸展と企業と顧客との関係もファンタジーなのかもしれない。


テレビゲームに話題が移る。

サンリオのデザイナーには想像力の限界以外に何も限界がなかったのに対し、宮本の方は当時のコンピュータとテレビの技術的制約にがっちり縛られていた。(p.172)

キャラクターを表現できる16ドットの制約の中で誕生したのが、ドンキーコングの主人公ジャンプマン(のちのマリオ)だった。

このゲームキャラクターとサンリオの共通点としてかわいいをあげている。これらはキュートゲームと呼ばれる。初めてのテレビゲームは、PONGとされているが、これは白い大きさの異なるドットが画面を動き回る。正方形に近いドットをボール、細長いドットをラケットとし、プレイヤーの想像力を要求するものだった。

最近の表現力は映画に迫るものがある。

デジタル技術の伸展は、デスキリングを加速させた。

もはやプロとファンの間に垣根はない。あるのは、むしろ対話だった。(p.166)


アニメの新世紀、オタクの社会的受容について解説が続く。本書を読み進めているうちに、AMETORA を思い出した。日本がアメリカン・カジュアルの文化アーカイブの役割を果たしたということ。

あとがきに、デーヴィッド・マークスの名前を見つけたけれど、本書の著者かどうかは分からない。




反省にはネガティブな印象が伴うし、失敗を許容されない。先が見えない時代、そうした考えは改め、あらためて日本を、日本人を見直す時期にきているのではないだろうか。





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