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『フィールド⇔ワーク展 日々のアトリエに生きている』展 @ 東京都渋谷公園通りギャラリー 鑑賞メモ

アール・ブリュットあるいは独学でアートを学んだアーティストと写真家 齋藤 陽道氏との交流を作品と記録写真から提示する試み。

展覧会のページにキャノンと表記があるけど、正しくはキヤノンであり、ヤは小さな文字にならない。富士フイルムも同様に、イは小さくならない。これは間違えそうだけど、東海地方の某企業向けの書類で東海を倒壊と誤変換したままにしてしまい、その後取引停止になった事例を知っている。

ろうの写真家、齋藤 陽道氏。プロレスラーでもある。

彼の世界に音はない。うたはただの振動だったとしている。その彼がうたのはじまりに向き合った映画。

そんな齋藤 陽道氏と5人のアーティストとの作品を通じた対話、その展示だった。作品を見た際は、もっと年配のカメラマンを想像した。実際は30代後半、僕がイメージしていたのは50代後半。

なるべく知識ではなく鑑賞したいと思うものの、事前にある程度の調査は必要だ。


5人の作家のそれぞれの作品、なかでも蛇目氏の作品を見られたのがよかった。

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アクリル絵の具を盛り付け、彫刻刀で削った作品。

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何を描いたかという話ではない、作家の内から出てくるかのようなエネルギー。ここに時間が凝縮されている。

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蛇目氏の作品の場所に提示されていた写真のパネル、齋藤 陽道氏とは、ほぼ同じ年。どんな交流、対話がなされたのだろうか。

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澤田 隆司氏の作品に関する齋藤 陽道氏の写真作品、リサーチとしての提示。

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作り方としての記録写真、そこから想像する交流。創作の動機はどこにあるのか。内から出てくるどうしようもないもの。作りたかったから。そうした勝手な想像をしてしまう。

生きているということ


鑑賞時には台北の故宮博物院にある数々の遠大な手仕事の工芸品を連想していた。





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