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東京 TOKYO / MIKA NINAGAWA @ PARCO MUSEUM TOKYO 鑑賞メモ

恥ずかしながら(?)、大学院に進学するまで蜷川実花なる人物を知らなかった。まぁ、どんなに有名人であっても知らない人は知らない。世の中、そんな感じでいいと思っている。現代アートを研究するようになって、個人の仕事に注目するようになった。最近はアーティスト・コレクティブもあるけれど、個人の名前で勝負しているというのは変わらないと思う。

6月から営業再開した渋谷パルコ。泉水さんの話を聞いたのは今年のことだった。そういえば、その話をnoteに書くのを忘れていた。さて、500枚の写真を展示しているという本展覧会。写真集に合わせた展覧会ということ。

展覧会のサイトで、3Dでオンライン展示もしているため、ネットがあれば、展覧会の様子は世界のどこからでも確認できる。

富士フイルムの写ルンですを使った作品。今まで東京をモチーフとして作品は作ってこなかった。東京に住んでいて、それが特別なことだったから。

写ルンですで撮影した作品は大伸ばしにしても、小さなサイズでも、それぞれのサイズで味わいがある。こうした作品を見ていると、視覚と記憶の関係性について思いが飛んでいく。記憶の中のビジョンは、決して高精細ではないし、景色と人の顔とが、連想して記憶されているもの。

身の回り2.4(キロメートルだったか失念)が、彼女の東京ということ。

自分にとっての東京とは何か。そうした内省に繋がる。転勤とか、長期出張生活とかあったけれど、東京には30年くらい住んでいる。千葉出身なので、東京にそれほど遠さは感じない。(むしろ、現在の方が、千葉が遠いと感じていたりして。)自分にとっての東京とは何だろうか。もし、これが東京に住んでいない人、東京から遠くの人だった場合は、どのように見えるのか。

身の回りと東京と、二つの意味合いから展覧会の作品群を鑑賞した。


ところで、見たことあるような人が写っている。写真集を見たら、見たことある名前がいくつか並んでいた。ただ、作品を見ると、世に名の知られている人も、そうでない人も、日常の中で、同じように撮影されているようだった。


自分の世界、自分の東京、相対性が東京として収斂されているような気がした。




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