自分がしたかったお笑いとこれからしようとしているお笑い
かれこれ今月でお笑いという世界に14年もいることになる。
「14年いる」とはいっても、本当にこの世界にいるだけ名もなき1人の芸人なだけで、大きな功績も上げていなければ、いわゆる売れている芸人にはなれていない。
そもそもなぜお笑い芸人という職業を選んだかという理由はいくつかあって、まず大前提にモテたいのはもちろん、お笑いが好きだからというのもあるが、学生の頃は芸術関係の高校に通っていて、その時将来のことを考えていて漠然と「死んだあとも残るものが作りたい」という願望があった。
それは、絵なのか小説なのか音楽なのか、はたまた映画なのか、何を作るかは置いといて、当時の自分はとにかく自分が作った何かでその後の歴史に微量でも影響があれば、そんな素晴らしいことはないと思っていた。
そんな中で知ることになったのがラーメンズさんでした。
お笑いというよりコントというか、コントもお笑いなんですけど。なんというかそのブランド性や舞台でしか活動しない姿勢にも魅了されました。
影響されたり、好きな芸人さんは沢山いましたが、そういう生き方も芸人には出来るのかと思ったのはラーメンズさんでした。
といった経緯でお笑いに興味が湧いた僕は養成所に通い、大阪よしもとに所属しました。
しかし、なかなか成果というものはすぐには出ず、自分の能力の無さにも絶望する日も多く、周りの環境にも流され、自分でもわかるくらいブレにブレた数年間を送りました。
それから上京し、事務所を浅井企画に変え、今もなかなか苦しい生活を送りながら虎視眈々とこれからどうするかを考えている毎日です。
ある時、自分で気がついたことがあります。
先述したように、お笑いを始める以前に自分がしたかったことは「死んだあとも残るものが作りたい」これです。
最初はこれをコントや漫才でやろうとしてました。
ですが、10年弱やってみて思うことは、お笑いのネタは、映画や小説や音楽や漫画や絵画とは違って、お客さんが居て、そのお客さんの前で披露することで初めてそれがネタとして成立するものです。
これは演劇にも共通するかもしれませんが、微妙に違うのは、お客さんの笑い声だと思います。
ウケる具合によって次の台詞までの間は変わりますし、その場その場でアドリブも付け加えられたりします。つまり永久にアレンジされているものがお笑いのネタだと思います。
テレビやDVDでお笑いのネタを見たことがある人もいるかと思いますが、テレビで見たそれは、その時そういう状態なだけで前の日は少し違ってますし、次の日も少し違うはずです。
「死んだあとも残るものが作りたい」これを諦めたつもりはありませんが、これをネタでやろうという考えは無くなりました。
僕はある時期ネタに対してのコンセプトがありました。
「ある遊び(設定やシステム)を作って、それの1番いいプレイを自分で考えて、それを見せる」
ちょっとわかりにくいですが、例えば「将棋というゲームを思いついたとして、その将棋の最高の試合のシナリオを書いて、自分たちで演じる」みたいなことです。
完璧主義と言いますか、隙がないことを考えていました。けど、やればやるほど隙は生まれました。それは理詰めで突かれるようなことで特に面白いことではなくです。
気付いたことは、「こんな遊びを作ったよ。」ここまででよかったんじゃないかということです。
さっきの将棋の話に戻りますが、自分で最高の試合を人前で見せたとしても「もっとこういう手があったんじゃないか、なぜここでこうしなかったのか」という意見が生まれるのは当然です。
「いい試合でした!流石!」と言われてもそこまで嬉しくないことも実感しました。
だから、「将棋っていうゲーム考えたよ」でよかったんだと思います。
ですが、遊びを考えることは楽しいですし、そこだけはずっとやってきたことなので、得意になってきたと思います。
今は映像や形に残る何かというものには、あまり依存しないつもりでいます。
ネタは瞬間のものです。その時その時で精一杯やります。
遊びというアイデアを沢山出せていければと思います。
「死んだあとも残るものを作りたい」
じゃんけん作ったとしたら、すごいでしょ。
鬼ごっこ作ったら、誇らしいです。
そういう思考の変化もこの年月があったからかと思います。
夏ですね スイカでも食いたいもんですわね