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ネガティブを否定しないために必要なこと

私の信じている世界観を元に話を進めます。
真実かどうか?証明されているのかどうか?
といった目線は少し脇に置いてお読みください。

ネガティブは悪者ではない


スピリチュアルを日常に取り入れ始めた頃、私は良い気分で過ごそうとしていました。ご機嫌でいると同じ周波数のものを引き寄せる、という話を取り入れていたからです。

もちろんそれはその通りです。

でもそれを思うがあまり、ネガティブ=悪と捉えていました。磁石のSとNのようにポジティブPとネガティブNがあるだけなんですよね。

両方なくてはならないものです。それなのに、ネガティブなことを思っちゃダメ〜って思ってました。

なぜなら、すべて満ち足りて不安も不満もない愛と光の存在の私たちの魂は、その状態では味わえないものを求めて地球に来ています。なのでネガティブがあるからこそ、やってきているとも言える訳です。

狙い通りに山あり谷ありの生活を手にし、魂は喜んでいるのです。

これが不安か〜、怒りか〜!と。

例えていうならこの地球は遊園地。
宇宙で評判のアトラクションがある地球ーランド!

遊園地に近付くとジェットコースターから、
キャーーーと声が聞こえてきます。
キャーキャー言ってるけど、あれは怖さを楽しんでるって知ってるから、悲鳴をきいても楽しそう!と思いますよね?

宇宙から見た地球は、きっとそう見えてると思うのです。

お化け屋敷からギャーーと聞こえてきます。
みんな怖がることを楽しみに建物に入ります。

私たちの魂は絶叫マシーンや、お化け屋敷のある地球を楽しむのが目的です。

お化け屋敷から出て、あるいは絶叫マシンから下りた時の、あの安心感を味わうためなのです

けれど、地球ーランドを味わうために肉体と自我を手にした私たちは、その目的をすっかり忘れているのです。

ただただ怖がり、怖がらせるお化けを心底怒り憎んでいるようなものなのです。あのお化け許せないって。

ちょっと滑稽ですよね。

地球ーランドに来た私たちにとって、お化け屋敷はネガティブな現象と置き換えられます。

でも、お化け屋敷に入った途端(ネガティブ現象を前にすると)、その意図を忘れてしまうのですね。

怖い、でも、楽しーーい!
イヤ、むしろ怖さが楽し〜〜い!! 

と楽しめば良いのです。まー、楽しむのは現実には無理かもしれませんが、これを体験しにきていると捉えれば良いのです。

私たちは、安心できるお家(宇宙の大元)に帰って「楽しかったねー」と1日(今世)を振り返ることでしょう

ご飯を美味しく食べるには、お腹を空かせなければなりません。それと同じで、愛と光に包まれていた私たちは、それらを奪われ、たやすく手に入らないことで素晴らしさを味わっています。ネガティブのおかげで、愛と光を感じられるのです。

ネガティブに反応してもいい


ここで大事なのは、ネガティブで終わらせないことです。
幸せや安心、愛を感じるためのネガティブなので、ネガティブを味わったら最終目的の愛、光を感じなくては勿体無いのです。それが無ければ、ただの辛い体験になってしまいます。ですから、ネガティブが目の前にあったなら幸せへのエントリーが済んだと思ってください。

ポジティブとネガティブは上下ではなく左右で捉えてみてください。

例えば利き手が使えなくなると不便ですよね。不便さを味わうことで初めて、ありがたさがわかります

仮に利き手を右とし、右手がポジティブ、左手がネガティブとしましょう。文字を書くのは右手でも紙を押さえているのは左手です。左手もちゃんと機能しています。陰陽どちらも必要なのと一緒で、左手(ネガティブ)もなくてはならないものなのです。

では、ネガティブが必要なことがわかったところで次に話を進めます。
人生において、ネガティブな現象はなくなりません※。でも捉え方を変えれば別のものに変換できます。ネガティブの消滅を目指すのではなく、捉え方を変えるのです

(※ここでは一般的な価値観としてのネガティブな現象とします。例えば失恋、左遷、病気や怪我、死別など。人生には様々なことが起こり、何も起きない訳ではないということです。)

いい気分でいようとしていた私は、ネガティブなことを思ってはいけないと捉えていました。しかし、熱湯を触ったら「あっつ!」と体が反応するように、心もネガティブな現象には反応します

例えば、別れ=悲しい・辛い。

それは反射的反応であり仕方がありません。まず感じても良い、反応しても良いと認めましょう

認めた上で、反応の中に自分固有の捉え方があるかをみていきましょう。

ネガティブが教えてくれること


例えば別れの両面を見ます。
右(ポジティブ)
・この先、もっと縁の深い人と出会るかも!
・思い出は残るし楽しかった、今までありがとう

左(ネガティブ)
・あんなに楽しかった時間は、もう過ごせないだろう
・嫌われてしまった

と感じるなら、〇〇ちゃんとの時間は

 【この上なく楽しかった】【〇〇ちゃんが大好きだった】ということになります。楽しくて楽しくてしょうがなかったから、今後あんな時間はないかもしれない、とネガティブに感じる訳です。それだけ楽しい時間だったのだ、とポジティブな面があったことをしっかり見るのです。そうしたら

→◯◯ちゃんと楽しい時間を過ごせた私なのだから、きっと同じ様な人と出会えるに違いない!

左(ネガティブ)の対極の右(ポジティブ)を捉えるようにするのです。

最初は別れという現象に 【今後あんなに楽しかった時間は、もう過ごせない】と反応します。なぜ反応するかといえば、【この上なく楽しかった】から。その後で反応の裏側にある思いを見ます。

【もうこんなに楽しい時間を過ごせる人はいないだろう】という思いをオセロのようにひっくり返し【一人と楽しい時間を過ごせた私は、また同じような人と出会えるに違いない!】と捉え直すのです。

この捉え方を変えるチャンスがあるよ!と教えてくれているのがネガティブです。

捉え直すことを繰り返していくと、これまで上下で捉え、感じてはいけないと悪者にしていたネガティブを認めていけます。だって気付かせてくれる価値あるものだから

人生の一番の醍醐味は愛と光の自分に戻ること。自分で愛の選択が出来るようになるためのプロセスとして、不安を感じることが起きます。
不安や怒り、憎しみといったネガティブの中にもポジティブな側面があります。


自分で捉え直し、ネガティブからポジティブを選んでいく。

今選べなくとも、宇宙は何度でもチャンスをくれる。だから自分を見つめ何度でもトライする
そうして、一つでもポジティブの側面を見られたら、そこでポジティブとネガティブの境目がなくなり統合されていく

統合されると右でも左でもない、真ん中、中庸にいられるようになる。それには右と左、ポジティブネガティブがあるからこそ、真ん中を知ることが出来るのです

スピリチュアルの学びは、丸い地球を平面の地図にするようなもの。一度で伝え切ることはできませんし、歪みもうまれやすいです。
言葉にしてもどこか伝えたい思いと離れていく感覚があります。

他の記事も併せて読んでいただくことで、平面の地図から丸い地球を感じ取れる時があると思います。それまで、切り口を変えながら書いていこうと思っています。

例えが却って分かりづらくなったかもしれませんが、私なりの表現をしてみました。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

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