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大人こそ、この季節を楽しもう

 子どものころは、夏が来るのが楽しみでしかたがなかったな。まあ、ラノシアは一年じゅう割と暖かいんだけどさ。休日はいつもより早く起きて、朝食もろくに食べずに釣り竿を片手に家を出て友達の家に集合。そのうち釣り竿は放り投げて海に飛び込んで、太陽が沈んでも暗くなるまで海辺で遊んで……それで夕食の時間に間に合わなくて親に怒られる。そこまでが夏の一日だった。この季節が嫌いな子どもなんていただろうか?少なくとも僕の周りにはそういう奴はいなかったな。ラノシアの開放的な自然の中で、太陽の光を浴びてみんな大きくなっていったんだ。それが、いつのまにか──。

 誰でも同じだと思うけど、大人になると汗をかくのが嫌になったり、冷たく心地良い部屋に引きこもってずっと横になっていたかったり、夏を迎えることに少しずつ乗り気ではなくなっていく。仕事に追われた日々を送る僕らには、季節を楽しむだけの心の余裕がなくなってしまったのかもしれない。

 だけど、子どものころと今とで変わらないことがひとつだけある。その理由は異なるけど、夏が終わる頃にはものすごく寂しい気持ちになるってこと。本能として染み付いているんだろうな、「夏は楽しむものだ」だって。子どもにとっては、遊ぶのに最適な季節が終わってしまうという残念さから。大人にとっては、遊ぶべき季節に何もできなかったという後悔と、そして子どものころの記憶を辿った結果として味わった哀愁から。だから、本当に夏が嫌いになってしまったわけではないんだ。そして、「何もできなかった」ではなく「何もしようとしなかった」だけ。

 歳を重ねると、少しずつ時間の進み方が速く感じるようになると聞いた。生活の中で新しく吸収するものが少なくなっていくことが原因らしい。たしかに、昔は書物でしか名前を聞いたことのない動物や植物を探し求めたり、実際に身をもってどういう行為が危険なのかということを体験したり、ペンを持たなくとも学習の繰り返しの日々を過ごしていた。今の僕はというと、極端な表現をすれば「思考が止まっている」状態だ。これではいけない。

 さっきリムサの天気予報士に尋ねたところ、明日の天気は快晴とのこと。今夜じゅうに、家のどこかに眠っている釣り竿を探さなくてはいけない。そして、明日の朝は早く起きて出かけよう。大人になった僕は誰にも怒られることはない。もう一度、夏を迎えに行こう。

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※この物語は、以前私のサイトで公開していたものです。
http://polacamlif.net/singlephrase/love-in-the-sky/

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