「一夜飾り」
実家には神棚がある。
自宅に神棚が祀られているのだから、自然と幼い頃から神棚を拝む習慣が身に付いていた。
今では日々朝夕参拝している。
父が健在の頃は、暮れ正月は勿論のこと常日頃からお供えやお飾りは父が行っていた。
父が足腰弱ってからは、神棚に関することは父の指示のもとで私が行っていた。
そして、父が亡くなってから現在に至るまで、勿論私が行い続けている。
当然、正月のお飾りについてもだ。
正月飾りについては、父から一夜飾りは宜しくないと教わっていた。
年末はスキー三昧だった頃は、何が何でも29日までにスキー場から帰宅し、30日に正月の飾り付けを終えていた。
だから、若い頃は結構仕事納めに休みを取っていた。それが許されていた職場でもあったのだけれど。
お飾りは30日。スキーは29日まで。年末は日帰りじゃなくて滑りたい。だから28日が平日なら休むといった具合だ。
今考えれば随分と勝手な若者だった。若者じゃなくなってからもそんな年末だったが。
まあ何はともあれ、結果として一度も一夜飾りをすることはなかった、と思う。
ただし、一夜飾りは宜しくないという理由については、特に父から聞いていなかったような気がする。
だから、以前は単純に、慌ただしく元旦前日、つまり大晦日に飾ることが「余裕がなくて神様に失礼」程度に理解していた。
しかし、そうではなくて、「一夜飾りは葬儀のようで縁起でもないから神様に失礼だ。」ということを、恥ずかしいことについ最近になって知った。
言われてみれば、通常葬式というものは予め準備万端整えておくものではなく、多くの場合は突然必要になるものだろう。
だから、準備は当然慌ただしく行うことになるし、多くの場合は前日だったりする。
もっとも、昨今は火葬場の予約の都合で時間的に余裕が生まれる場合もあるだろうけれど。
まあそれはそれとして、突然の訃報で準備する葬儀というものは、通常は慌ただしいものなのだ。
「一夜飾り」という文言だけでは、なかなかそれを忌むことの理由にまでは思いが及ばないけれど、たった四文字にそんな意味が含まれているとは、日本語ならではの深味を感じる。
「なんで一晩だけ飾るのがいけないの?てか、元旦に向けて飾るんだから前日でもいいじゃん?」みたいな疑問に答えるためには、四文字を相当膨らませなければ説明出来ない。
意味も解らないままにずっと使い続けて来た言葉について改めて考えてみる。
そんな言葉は誰にだって一つや二つや三つや四つとあるだろう。
いくつになっても学びのネタは目の前に転がっているものだ。