思い出の品々 その4
遅々として思うように捗らない実家の整理。
いや、言い方を違うかな。
僅かずつではあるけれど着実に進みつつある実家の整理。
この方がポジティブかな。ポジティブな方がいい。
先送りして来たもの
ここに来て乗り越えなければならないハードルがまたまた現れた。急にではなくて予め解っていたことだけれど。
そのハードルとは衣類。亡き両親の遺した衣類。タンスに、そして押し入れに、相当な量の衣類が遺されている。
実家に住んでいた頃の自分の衣類もあるけれど、それについては既に粗方の整理を終えている。
思い切ってほぼ全てを捨てた。綺麗なものは資源ゴミに、シミや汚れのあるものは燃やせるゴミに。
僅かではあるけれど、着てみようと思ったものは自宅に持ち帰った。
その際、洗ったままタンスや押し入れに収めていなかった両親の衣類も、つまりは最後の頃に着ていた衣類も同様に分類して処分した。
自らの衣類とは大いに異なり、両親の衣類の廃棄にあたっては相当な精神的負担があった。
無論自分のだって、30年以上前の記憶と対話しながらの作業になりがちで、結構な負担感に苛まれながらも黙々とこなしていた訳で、まして親のものともなれば、精神的負担があるのは我ながら無理もない。
そのストレス、或いはプレッシャーが、何倍にもなって再びのしかかって来る。
こういうことをサラッとこなしてしまえる人はいるものなのだろうか?
遺品や廃品の整理と処分を生業としている人であれば、割り切ってサクッとこなしてしまうのだろう。他人の物だから。
そのスタイルにはかなりの個人差があるとは思うけれども…。
ただ、これから進めていく作業の対象は、最も思い入れがあると言っていいであろう両親の遺したものだ。しかも身に着けていたもの。
在りし日の両親の姿と、直接的に結びついてしまうものだ。
今まで後回しにしていたけれど、いよいよ取り掛からねばならない時が来た。
タイムリミット
実は、実家については、その構造物としての寿命がそろそろ怪しくなっている。
家屋の北側にあたる水回りの集中している側の床面は、うっかり雑に歩くと踏み抜いてしまいそうな状況になりつつある。合板の床材は表面が剥離して来た。
南側の部屋の畳は、今のところ弾力性や表面の劣化具合に問題はないように思えるが、長期に亘って表替えをしておらず、すっかり日焼けしてしまっている。
外観に目をやれば、外壁や屋根のスレートは最後に塗装してから10年近く、いや屋根の方は20年は経っているかも。
劣化著しいレベルへと、既に足を踏み入れつつあるのだ。
グズグズしてはいられない。東日本大震災の震度5は無事クリアできたけれど、いつ来てもおかしくないと断言されている次の大地震に対しては、かなり厳しいものとなることだろう。
強烈な揺れに襲われた時、たまたま室内で作業中だったりすれば、この家と心中することになりかねないだろう。
だから、いい加減、実家整理を加速せざるを得ない状況に至っているのだ。
まずはタンスから
ここに至るまで、本や文房具、雑貨類等々、書棚に収納されていた様々なものを整理して来た。
結果として、殆どの書籍類は整理した。だから、それらが収納されていた家具たちは概ね空になっている。
写真や手書きの記録等、どうしても廃棄に踏み切れないものは先送りしているけれど。
そして、ここからは家具類の本丸とも言うべき、衣類を収納しているタンスの整理に取り掛からねばならないのだ。
両親ともに、贅沢に衣類を買い揃えたりはしていなかったから、片付けねばならないタンスが大量にあるわけではない。対象となるのは4本ぐらいだ。
順番に取り掛かる。抽斗を開け中を検める。
タオルとか下着とかは感情の入る余地もなく分別出来る。常日頃目にしていたわけではないからだ。
けれども、セーターやシャツなど、それを着ていた姿を思い起こさせるものとなれば話が違う。
都度、ブレーキがかかってしまうけれど、それは仕方ないことだろう。
とは言え、タイムロスがあろうとも作業は進めなければならない。
新品でタグが付いているものであれば話は早い。未使用の古着として活用可能なものもある。
対して、当然と言えば当然なのだけれど、着古したものほど記憶が呼び覚まされてしまう。
そして、ゴミとして処分するしかないのだけれど、ゴミとして処分したくないという気持ちも強まる。
暑い季節になった。
エアコンは使えない。古く、しかも長年使用していないから通電するのが恐い。
と同時に、動かしたところで機能低下や黴臭さでストレスにしかならないだろう。
只管、扇風機に頼るしかない。
一体、どれくらいの時間を費やすことになるだろうか…(つづく)