タオルの山は頂き物
しばらく間が空いてしまいました。
文章を書くのは好きでも、推敲し修正を加えつつ書いていると、1000文字程度を書くのもそこそこ時間がないと出来ないもの。
言い訳ですね。誰に対して言い訳してるのか良く分かりませんが…
今回は、実家の整理押入れ編とでも言うべきか。既に布団や書籍の整理で押入れ整理には取り組みつつあるけれど、そこそこの量があるので躊躇していたタオルやタオルケット、シーツとかの話。
贈答品の山
2階の押入れを開けて目に入る積み上げられた箱たち。いったんは開封しているものの、包装し直して積んである。
包装紙の側面には中身のメモ書き。「タオルケット」「シーツ」「座布団カバー」等々。
このメモ書きで随分と効率良く開封出来た。一つひとつ何だか判らないままに開封していくとなると、多分もっと手こずっていたと思う。
基本的には贈答品であり、かつ新品。御中元や御歳暮、御祝返しなどなど、亡き両親の交際範囲の広さや、かつては社会全体がこういった慣習に溢れていたことが思い出される。
振り返って我が身の状況を考えれば、若い頃は結婚や出産の御祝いをする機会も多かったし、そのお返しに頂いたものは自宅の収納にもそこそこ溜まっている。
けれども、最近はそういう御呼ばれや付き合いも減り、同年代の友人たちを見ても所謂「盆暮れの付け届け」みたいな慣習は相当減っているように思える。
ただ単に、自分に友人知人が少ないだけなのかも知れないけれど。
併せて、百貨店とかギフト専門の業界は厳しいのだろうなぁ、とも思ったりする。
厳しいよなぁ…
まぁ、それはそれとして(いいのか?)、兎にも角にも大切にしまい込まれた箱の山がここにはあるのだ。
眺めていても仕方ない。開けなければ先に進まない。ここはまず開封せねば。
開けて吃驚
メモのおかげで中身のあたりは付く。次から次へと「新品」のタオルとかが登場する。一番新しくても十数年。いや、20年ぐらい経っていると思う。古いものは半世紀越えに違いない
だから
新品なのにシミだらけだ。酸化みたいなものなんだろうな。カビとも違って見える。
如何にも押入れから出て来た物といった匂いもする。
或る程度予想はしていたものの、ここまでとは思っていなかった。
こんなに沢山。どうしたものか…
取捨選択の果ての洗濯
別にダジャレを言いたいわけではない。決め手は洗濯なのだ。
経験的に言ってこの手のシミは通常の洗濯で大抵は落ちる。落ちるはずだ。落ちるに違いない。などと自分に言い聞かせる。
シミや匂いがなければ、どれも新品のタオルばかり。それも人様に贈るための商品レベルだ。資源ゴミとして処理してしまうには惜し過ぎる。
なので、この際使えるものは使おう。今現在使用中のものと入れ替えればいい。有効活用するべきだ。
シミの激しいものは資源ごみか可燃ごみに。洗って取れそうなシミの物は、とりあえずは洗濯機へ。
勿論、綺麗なものでも一旦は洗濯機へ。匂いがあるからね。そして、綺麗さを維持してはいるけれど、座布団カバーとかフラットなボアシーツとか、我が家ではまずは使わないだろうなというものは資源ごみへ。
結構時間はかかったけれど、無事分別終了。
頑固な汚れ
それぞれ処理区分毎に袋詰めし、残して活用するものは早速洗濯。と言っても、一度に洗濯なんて到底無理な分量。分割して洗濯した。
そして、洗い上がったら広げてみる。
半数はそこそこ綺麗になった。乾かせばイケる。けれども残る半分は汚れが落ちていない。人前に出すものでもないけれど、いつ誰の目に触れるか分からない。
なので、ここはひとつ漂白剤の力を借りることとした。
シミの取れないものたちを再び洗濯槽に戻し、色物に優しい漂白剤を投入する。
これでどうだ!
待つことしばし、洗濯機から電子音が響く。恐る恐る洗濯槽のドアを開けた。
ほぼシミの取れたものもあれば、まるで効果のなかったものもある。酸素系ではダメだったのか?
とは言え、シミ抜きを極めるつもりもなく。そのまま天日に干した。
まぁいいや。使ってるうちにシミが薄くなるかも。
そんなことより、とりあえずはフェイスタオルを洗ったけれど、タオルケットや大判のバスタオルという大洗濯はこれからだ。
細かいことを考えるのはやめにした。