「梯子を外される」
今の地域に生活して早50年。半世紀だ。
人生の大半を暮らして来たことになる。
地元大手の鉄道会社が開発した大規模住宅地。衣食住に困ることなく快適に生活出来るよう、路線バスが頻繁に往来し、スーパーや医療機関、小学校が団地内に整備された。
開発の始まりは高度経済成長期が終盤に差し掛かろうとしていた頃、首都圏の各所で大規模開発が進められていた頃だ。
雑木林や農地だった所が宅地化され、自然に溢れた風景はアスファルトと住宅に覆われた。
自分自身、開発前の姿を知ることもなくそこに転入して来たのだから、今更開発行為そのものを非難することなど出来ないし、したくもない。
経済が発展し人口が急増したのだから、それに伴って生活の場を整備することは必要不可欠だったわけだし。
身勝手な言い様かもしれないけれど、大規模開発された住宅地で快適に生活して来たこと自体は良しとしてしまう。
いやいや、ここで言いたいのは、そのことではない。
そうやって造り上げられて来た生活基盤の一部が、突如として取り払われてしまうことについてなのだ。
既に書いたように、鉄道会社は開発に併せ、バスを走らせスーパーを開店し医療機関や学校の配置に尽力した。
それは当然のようでいて、相当困難な業務だったことだろう。
ところが、そのように配置されて半世紀近く営業してきたスーパーマーケットのひとつが、2か月ほど後に閉店・撤退するという報せがここに来て突然届いたのだ。
日本の国を象徴するかのように、この住宅地にも少子高齢化の波が急速に迫りつつある。
我が市は今もって開発の進みつつある自治体であり、人口の社会増や若年の新住民流入のおかげをもって、少子高齢化は周辺の市町より多少遅れてはいるものの、いずれは追い付き追い越すことだろう。
この住宅地はその典型と言うか、歓迎できない意味での先進モデルなのだ。
そして、そこに齎されたスーパー閉店の急報。
まさに「梯子を外された」感がある。
と思って、調べてみると微妙にニュアンスが違うことに気付いた。
ようやっとここからが本題なのだけれど、「梯子を外された」という場合には、散々持ち上げられて高い地位に就いたところで周囲の仲間や支持者がいきなり手を引くような状態らしい。
今回のような、安住していたら自らの力の及ばない部分で生活基盤が損なわれて支障が生じてしまうというのとは、少しばかり用法が違うような気がする。
転用と言うか拡大解釈と言うか、別に意味が通じるのだからいいんじゃね?という考えもあろうかとは思うけれど、何だか釈然としない。
この場合は無理に比喩に頼らず、例えば単純に「裏切られた」で良いのかもしれない。
もっとも、居住開始時に「未来永劫買い物環境を維持・整備する」などという契約も約束もしていないのだから、「裏切られた」訳でも「反故にされた」訳でもないような気もする。
じゃあ、何と言えば良いのだろう?
「信義則に反する」?「倫理に欠ける」?「無責任」?
どうもしっくりこない。
ここはストレートに、「困ったことになった」と言うしかないのかな?
愛すべき日本語で、上手に、そのものズバリを表現することは難しい。
自分の知識が乏しいだけかも知れないけれど。
まだまだ学ばねば。