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山を描いたのは誰だったのか

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2020年の11月。
岡山県井原市にある華鴒大塚美術館に足を運んだのは、児玉知己展「遠距離深夜行」のためだった。

https://www.ibarakankou.jp/info/pdf/202010_tokubetsuten.pdf

児玉知己の作品を初めて見たのはおそらくもう20年以上前のことだが、その作品をはっきりと好きだと思ったのは2013年に岡山県立美術館で開催された「ふたりは絵画する」展だ。

その大きさとエネルギーに圧倒された。
綿密な筆致と、それに反比例するかのような大きな世界。
恐らくは『何でもない物』を描いている。にもかかわらずそれは『世界の全て』が描かれた作品にも見えた。

児玉知己という人間のことは、年齢性別出身校くらいの知識は持っているが、よく知らない。物静かで思慮深いひとというイメージしかない。心の中もきっとずっと凪いでいるのだろうと、勝手に思った学生時代の彼の第一印象を15年近く引き摺っていた。

大間違いだった。


展示室で《夜明け前》の連作に吸い込まれそうになった。
とくに3が好きで、目の前のソファに座ったり、ガラスケースに額をぶつけそうなほど近寄ったりする。
鑑賞する、というよりは、観察していた。

細やかに繰り返される筆致は、一見すると静かで穏やかなのに、ひとつひとつを追っていくとその大いなるうねりに飲み込まれてしまいそうになる。

暗闇の中に咲く、花が一瞬見えて、見失う。
暗渠の奥を流れる水の音が、響いて、消える。

ほんの少しではあるが、美術の知識がある人間として見ても、不思議だった。どこが始まりの一筆なんだろう。どれが最後の一筆なんだろう。どうしてここへ辿り着いたのか、どうしてここで筆を置けるのか。

どんな気持ちなんだろう、この作品を『完成させる』ということは。

私の遠い記憶の中の、学生時代の児玉知己の横顔が脳裏に浮かぶ。それが、見ず知らずの神様の面影と重なって見えた。
神様も、大いなるうねりを抱いて、静かに世界を創造しているのだろうか。



静謐な美術館の空間から出ると、紅葉した山々に囲まれていた。そういえばここは山間の街で、そういえば今はそんな季節だったと思い出す。

息を吸う。

カラフルな山々の葉を一筆一筆緻密に描いたのは、もしかしたら児玉知己によく似た神様なんじゃないかと夢想しながら、私は街道を歩き出した。