父退院、そして有料老人ホームへ

約2か月の入院生活を経て、ようやく退院の日が来た。

私が父の顔を見るのも、約2か月振りだ。

久しぶりに会う父は、とても元気がなかった。


車いすに固定され
足はパンパンにむくみ
人としての自由を奪われていた。

病院内でうろうろされては困るとの事情はよくわかる。

よくわかるが、あまりに切ない姿だった。

おしゃべりだった父が
ほとんどしゃべらない。

目もトロンとしている。
気性の荒いところのあった父が
穏やかすぎるくらい穏やかなのが
かえって切ない。

退院手続きを終え、父を車に乗せた。

体力が落ちている中で申し訳なかったが
本人がいないと手続きが進められないことが
いくつかあったため、
役所と銀行を回った。

驚いたことが2つあった。

父は、自分の名前が分からなくなっていた。
母の名前を、自分の名前だと言った。

父の名前を伝え、ここに名前を書いて、と言ったら
漢字が1文字、どうしても書けなかった。

入院生活を始める前はそんなことはなかった。

この2か月の間に
更に、父が父でなくなってしまった。

悲しみをこらえながらも
今日から父が過ごすことになる
有料老人ホームへと車を走らせた。

父には、行き先についてどうしても話すことができなかった。

現状を理解しているかわからなかったし
もし理解していたとして、
「絶対に行かない!」と
騒がれたら困ると思ったからだ。

施設についたとき、父は何かを察したのか
車から降りようとしなかった。
「体も弱ってるし、食事や日常のこと、ここにお世話になろうと思うんだ。」

ようやく私はそれを父に伝えることができた。

父は、
「わかった。」
と言った。

その時、父が涙ぐんだように見えた。

両目をぬぐったのだ。

今の父の認知症の状況から
本当に理解したかどうかの確信は持てない。

ただ、その瞬間は、元々のしっかりした父が
状況を把握して、受け止めて、その事実に悲しみを感じた。
私にはそのように受け止められた。

父を支えてくれていた人たちと何度も相談して
たどり着いた結論だし
それ以外の選択肢はないと確信している。

それでも、父の合意なく決めた、有料老人ホームへの入居は
まるでだまし討ちのようではないか。
その気持ちがぬぐえず胸が痛む。

入院生活で弱ってしまった心身が
有料老人ホームでの生活でどこまで元に戻せるかはわからない。

子どもたちの顔を見て、今までのように名前を呼んでくれるかもわからない。

複雑な気持ちのままだが、
介護のネクストステージに入った、
そんな気がしている。


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