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父とウソと秘密と

ど田舎の町で育った。
人口は5000人、町にはコンビニも無いような町だった。
小学校は全校で100人ほど、田舎だから子ども達の親は大体知り合いみたいな世界。

私の家は母子家庭だった。
6つ上の兄、4つ上の姉の3人兄弟。家には母方のじいちゃんばあちゃん、母の妹の叔母さんがいた。

親は私が3歳の時に離婚したらしい。
父はバブル時代に大手企業を退職し会社を立ち上げて倒産。借金を抱えて、それを理由に離婚したと聞いた。
結局その借金は母が3人を育ててながら返済した。その事実は高校生くらいまで知らされずにいた。

絵に描いたような貧乏な生活で、欲しいものは叔母さんがたまに買ってくれた。
それが普通の生活レベルだったので、自分自身を不幸だと感じることなかった。

小学校では兄の影響でスポーツ少年団のソフトボールをやっていた。兄はソフトが上手かったが、弟の自分は全く出来なかった。
クラスの男の子は全員ソフトをやっていたし、辞めても遊ぶ人がいないから中学まで続けることになった。

子どもは悪気も無く人のプライバシーに干渉してくる。1番嫌だったのは父の事を聞かれる時だった。
母は世間体を気にして、私には「単身赴任で家に居ない」と言いなさいと言われた。
友達に聞かれると言われた通りに答えていたが、「じゃあたまに帰ってくるの?」とか「遊びに行くの?」と追い討ちをかけてくるから、
結局「うん」とウソを付かないといけなかった。

だからウソ付きに育ったってことじゃなく、自分が思ってることや心の中を曝け出すのが苦手に育ったと思う。


父との関係の話

小学校の夏休みなどの長期休暇には、たまに兄弟3人で父が住んでる町まで遊びに行くことがあった。
電車で約2時間、その町には父の兄の子にあたる従兄弟が2人いたので、遊び相手も増えて楽しかった。
その当時、父はマンションに住んでいて、そこに数日泊まって帰るという感じ。
父は兄と私には厳しく、姉には優しかった。
私が低学年の頃は食べ方が汚いとか、食べ物をこぼすなと怒られた記憶ばかりがある。
従兄弟と遊べるのは楽しかったが、父に会うのはそれほど嬉しくもなかった。

ある日、たしか田舎に戻る前に生まれて初めてゲームセンターに連れて行って貰った。
もちろん田舎にそんな所はないので、全部がキラキラ、面白そうなゲームもいっぱいあった。
少し遊んでから、メダルゲームをやることになり、父は財布から5000円札を取り出して全部メダルに変えた。
当時は10円くらいで遊べるゲームもある時代、5000円札を全て遊ぶためのメダルに換える姿に凄く違和感があった。

友達がゲームを買って貰ってるのを羨ましく思い、自分はお下がりばかり。兄も姉も友達に比べると大分我慢してたと思う。
父ではあったが、違う世界の人間だと思った。
また、なぜそのお金はこのメダルに変わったのかよく分からなかった。

父がついたウソの中で1番許せないウソは、私たち兄弟に言った「アトランタオリンピックに連れて行ってあげる」というもの。
アトランタオリンピックの数年前に言われてから、兄弟3人で家の壁に貼られた世界地図を何度も観て、「こんな所まで行けるの?」とか夢を膨らませていた。
貧乏な自分達が夢を観るには充分過ぎる約束だった。結局最後にはアトランタのアの字も出なくなり、誰もその話をしなくなった。
出来ないことを約束すること、嬉しそうにしていた兄と姉を裏切った父を許せないと思った。

そんな父は、借金を理由に母と離婚したが、結果借金は母が返して自分は再婚した。
再婚した相手は、当時住んでいたところの近所の女性らしく、母も面識がある?らしい。

私が成人してから聞いた話では、私には腹違いの弟がいる。そんなことも姉がポロッと喋るまで誰も私には教えてくれなかった。

自分にとって大切なことも誰も教えてくれなかった。

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