世界にたった一人しかいない奇跡的な私
しばらく会っていない友人から、グループLINEで報告があった。
どうやら産休中から元々興味のあった分野について勉強しており、復職後も副業経験を重ね、いよいよフリーランスとして仕事を始めるらしい。
フルタイム勤務+育児+副業は目が回る日々だったようで、この春本業は退職することを決心したとのこと。
その報告を聞いて、私は衝撃を受けると共に複雑な気持ちになった。
一時期は毎週連絡を取り合って会うくらい仲のいい関係だった彼女が、随分遠くにいるように感じた。
これは嫉妬だ。
彼女はきっと持ち前の探究心と思慮深さで沢山考えて下準備してスタートしようとしているのに、その苦労や努力よりも目の前にあるキラキラに嫉妬しているのだ。
もしかしたら彼女の姿は私のなりたい色んな姿のうちのひとつで、たどり着けなかった姿かもしれない。
もしくは今の時点では想像出来ていないのかもしれない。
そういう、なりたかったかもしれない自分の憧れみたいなものを彼女を通して見て、何者にもなれていない自分だったり、今の自分は思い描いていたものではなかったかもしれないと、そんな現在の自分と輝いて見える彼女とのギャップに打ちひしがれてしまったのだろう。
久しぶりに他人と比較してしまった自分に落ち込みつつ、最後はやっぱり彼女を応援したいと思った。
でも、嫉妬を隠してただ応援してるって言うのも違う気がして、「あなたの報告を受けて勝手になにかもらった気がした、そしてどんな私もあなたも世界にたった一人しかいない奇跡的な私!と思いながらまずは部屋の掃除します」という葛藤を隠しきれない、でも素直に応援したい気持ちもある言葉を送った。
うん、多分私はこれでいいし、今の私に言える最大限の言葉ではあった気がする。
友人の第1歩に嫉妬しちゃう私も、やっぱり人間らしい私だし、そういう私と一生を共にするのは私しかいないのである。
そんなこんなでもらった衝撃と嫉妬を胸に部屋の掃除と資源回収の準備をすませたら、部屋が綺麗になった。良い成果だ。
嫉妬してしまった彼女に対していつか等身大の私で笑顔で再会する日が来ればいいな。会おうと思えばいつでも会えるのだけど、その日が来るまで自分と向き合って磨いていきましょ。
そんな気持ちを胸に、今朝は「今日も世界でたった一人しかいない奇跡的な私のお通りよ」と心の中で思いながら、気持ちはレッドカーペットを歩くように職場を闊歩してみて、ちょっと笑えてしまった。
どんな私も、どんなあなたも世界でたった一人しかいない奇跡的な私です。
それぞれの人生を謳歌できますように。
午後も働く。
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