プロジェクト「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」に対する危機感的なモノ
前回のエントリ、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3rd Live! School Idol Festival ~夢の始まり~」の感想で、私は以下のようなことを書きました。
というわけで今回はその「別の機会」、つまるところプロジェクトとしての「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」に対して苦言を呈するためのエントリです。グループではなくプロジェクトに対する指摘とはいえ、グループとして歩んできた道のりすら否定しかねないため正直書くか悩んでいたのですが、今回のライブを観てやはり指摘する必要があると感じたからこそ書くことにしました。今回は辛辣な内容になるので、読みたくないなーという人はブラウザバックしましょう。読まなければいけないものではないですから。また、ここでは私個人の考えや推論を色々と述べることになりますが、感情的な部分や好き嫌いといったものは極力排除し、客観的な視点から書くように心がけます。
プロジェクトの展開から感じる違い
2017年頃から展開が始まったプロジェクト『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(以下、虹ヶ咲)ですが、節目となったのは2019年9月の『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバルALL STARS』(以下、スクスタ)のリリースでしょうか。『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』(以下、スクフェス)のユーザーでもありましたが、それまではデビューアルバム「TOKIMEKI Runners」の購入こそすれど何をしているかよく分かっていなかったので、私が虹ヶ咲に触れるようになったのはこのタイミングから。そして2019年12月の「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live "with You"」に参加したことをきっかけに、本格的に虹ヶ咲の展開を追いかけてきたので、虹ヶ咲の歴史からすれば私はそこまで長く見てきた者ではないです。ただスクスタリリース後に展開が加速したわけで、そこで感じることは色々とありました。
総合的に言えば、全てのシリーズを見てきた人ならおおよそ分かると思いますが、「虹ヶ咲は今までのプロジェクトとは違うんだな」ということでしょうか。それはグループではなくソロアイドルを題材としているとかの作風的なものではなく、プロジェクトとして提供しているものの話です。かなり分かりやすいところで言えば、プロジェクトロゴのデザイン、ライブタイトルの付け方、楽曲の作詞、生放送のTwitterハッシュタグ、スタートが雑誌展開ではなかった…などでしょうか。TVアニメ化にともない変化がありましたし、他のシリーズ作品と共通点が多い『ラブライブ!スーパースター!!』のプロジェクトが始まって、これらの違いは更に浮き彫りになっています。これらのことと、後述するような展開のこと、そして今までにないゲームを中心としたものであることから、プロジェクトの回し手が違うんだろうなというのは容易に想像がつきます。あえてハッキリとは書きませんが、上述したことの他に、ゲーム制作会社がプロジェクトを仕切れるとは思えないことから、どこが主体のプロジェクトであるかもなんとなく見えてきますね。色々やっているところですし、TVアニメのエンディング映像なんかガッツリ縁のある人ですから。
さて、今回のエントリで言いたいのはプロジェクトの回し手が違うことではありません。私としては、たとえ回し手が違ったとしても良い作品ができるのであれば何ら問題ありません。もう少しぶっちゃけた言い方をすれば、料理人が誰であってもおいしい料理が提供されるのならそれで私は満足ということです。しかし虹ヶ咲の場合、料理人が変わったことによって明らかに料理の味が落ちていると言わざるを得ないと私は思っています。ではどうして味が落ちてしまったのか、料理人は一体何を考えて作っているのか、というのがこのエントリにおける主題となります。
なおこのエントリ内では、プロジェクトのことは「虹ヶ咲」、グループのことは「ニジガク」と明確に呼び分けますので間違えないようお願いします。
ソーシャルゲームとコンテンツの限界
先日このようなニュースが周囲で少々話題になっていました。つまるところスクスタの売上が伸び悩んでいるという話ですが、私の正直な感想としては「まあそうでしょうね」というところです。私はリリース当日からプレイしているユーザーですが、最近アクティブユーザー数が減っているのではと思っています。というのも、イベントでは常にURが配布される50,000位以内に入るという方針でプレイしているのですが、以前はライブキャンディ(LP回復アイテム)を少し使わないと入れなかったのが、今ではたまにLPを漏らしても余裕で入れてしまうんですよね。肌感覚程度の話ではありますが、これもまた現実ではないでしょうか。
というわけで虹ヶ咲の中心をなすスクスタの話…の前に、ここでは「ソーシャルゲームとコンテンツ」の話になります。引用したこの記事にあるように、一部のユーザーのガチャを中心とした課金に頼った収益モデルとなっているゲームは少なくありません。特にコンテンツを売りにしたゲームでは、コンテンツを目当てに課金をするユーザーが多く、この傾向は非常に顕著だと思われます。そこでゲームの収益戦略はどうなるか。ガチャの売上を確保するために目玉となる商品を追加するのが最もポピュラーでしょう。新しいキャラクター、新規イラスト、強力な能力…様々なものがその商品として定期的にリリースされるのがソーシャルゲームの常ですね。このように上位層の課金ユーザー=「コアユーザー」に消費を促すことに注力するのが現在のソーシャルゲームの基本戦略となります。
そしてこのような収益モデルの内容は大きく変わらないゲームが次から次へと出ているのが現状。このため非常に雑な書き方ではありますが、コンテンツ以外はほとんど同じようなゲームが多く出ている中で、それを支える上位層の課金ユーザーが他のコンテンツの優先順位を上げれば、優先順位が下がったゲームの運営が成り立たなくなってもおかしくないわけです。仮にゲームの運営が成り立たなくなったとして、コンテンツがゲームに輸入されたものであればゲームが終わるだけなのでコンテンツ自体への影響は大きくありません。しかし、ゲームを中心としたコンテンツである場合はその中心が成り立たなくなるので、当然コンテンツに大きな影響を及ぼすことになりますし、コンテンツそのものが成り立たなくなることもあり得ます。そのような構図が見えてしまうために、私はそもそもソーシャルゲームをメインとしたコンテンツそのものに限界を感じています。先述したような現環境で永く稼いでいけるソーシャルゲームなんてほんのひと握りですから。
このように一部のユーザーに支えられているソーシャルゲームですが、これを書いている私はその「一部のユーザー」ではありません。特にゲーム好きというわけではないため、現在プレイしているソーシャルゲームはスクスタと『駅メモ!』の2つだけであり、スクスタについては一切課金をしていません。これは個人的な考えですが、ソーシャルゲームはいずれ必ずサービスが終わるものですし、そうでなくてもゲームを離れるようなことがあれば、課金によって得た「データ」はゲーム外で一切の意味をなしません。いつの日か無意味となる「データ」のためにコストを支払えるのかと問われれば、私の答えはNOです。私のTwitterを見ている方は分かると思いますが、私は自分の経験となることにお金を使いたいというタイプですから。またガチャという売り方自体も、いくらで目標を達成できるのか分からないため避けたいものです(いわゆる天井はコスト的に論外)。このような明確な考えでなくとも、ガチャにお金をかけることはできないという「ライト層」は多くいると思います。
一方の『駅メモ!』では同様の理由でガチャには課金していませんが、月額500円ほどの課金は続けています。これは1日のチェックイン回数の制約をなくすためであり、これにより拠点でのランキングトップという明確な成果を少ないコストで出せていることによるものです。スクスタはある程度の課金額がなければ成果(例えばイベント上位)を出すことは難しいですから、私個人としてはそこにもコストをかける気になれないのが現状ですし、逆に『駅メモ!』も成果が出せなくなれば課金をやめる可能性は十分にあると思っています。そして「ライトユーザー」は上位を取るということにこだわるかというと…おそらくそうではないですよね。
私個人の話に少し脱線しましたが、つまるところ言いたいのは、ソーシャルゲームをメインとしたコンテンツはコアユーザー頼みの状態から脱却できず、ライトユーザーに支えてもらうことが難しいということです。もちろんライトユーザーを商圏と見ずに進められるコンテンツもあるだろうとは思いますが、先述したとおり多くのゲームが溢れる現在において、コアユーザーを他のゲームやコンテンツに奪われずに続けていくというのは非常に難しいことでしょう。どのようなコンテンツも未来永劫続くということはありませんが、ゲームの生存の失敗の結果コンテンツの寿命が縮むというのは大変に苦しいことです。
こういうことを書くと、コンテンツの心配をするならゲームに課金しろよと思う人もいるかもしれませんが、あるべき姿はむしろその逆。ゲームを主体としているのに収益を生み出し継続していける(=課金したいと思わせられる)ゲームを作れないようであれば、プロジェクトとしてつまずいているということは明らかです。コンテンツを人質にして課金を促すようなことしかできないのであれば、そのプロジェクトの回し手はハンドルを二度と握らないべきでしょうね。
スクスタの戦略から読み取る虹ヶ咲の狙い
話を虹ヶ咲に戻しましょう。虹ヶ咲はスクスタをメインとして動くプロジェクトですから、「ゲームを中心としたコンテンツ」に他なりません。ですからスクスタの収益を確保してプロジェクトの運転と拡大を図っていくことになります。そこで、スクスタの戦略とは何かを考えてみましょう。
スクスタの課金要素というと、ガチャを主目的として購入する「ラブカスター」と、月額課金をすることにより特典を受けられる「スクスタパス」の2つがあります。それぞれがどれくらいの収益を上げているのかは分かりませんが、ひとつ言えるのは前項で述べたようなコアユーザー向けの戦略をとっていること。新規イラストやそれぞれ異なる能力をもったキャラクターを定期的にリリースし、フェスやパーティーといった限定ものもありますから、ガチャによる収益確保に特に注力していることは言うまでもないでしょう。このことはスクフェスからそう変わりませんが、スクスタの場合は大きく異なる点があります。それはキャラクターが増えるということ。
スクスタの戦略はこの画面から読み取ることができます。栞子の加入に伴いこれだけの枠ができた以上、その枠が埋まるようにするのは必然。2nd Seasonに登場するランジュとミアも加わることが予想できますし、今後もキャラクターが増えていくという展開になることは間違いありません。これは今までのラブライブ!シリーズではなかったことですが、ゲームを中心とした虹ヶ咲がこのような体制となった理由は明白で、新キャラクターというのは収益源であるガチャにおける最大の目玉商品となりうるからです。虹ヶ咲がソロアイドルをメインとしたプロジェクトであることや、グループとしての名前を決めなかったことも、キャラクターが増えるためにグループとしての定義が難しくなると考えれば自然です。キャラクターを増やすことはスクスタにおけるガチャの収益確保の重要手段となり、新キャラクターを出すことでストーリーも動かすことができますから、これはゲームをメインとしたプロジェクトだからこその大前提といっても過言ではないわけです。ただしソーシャルゲームを中心としたコンテンツにおいてこれはごく当然の戦略であり、一見特殊に見えるのはラブライブ!シリーズに属するから、という点に留意しましょう。
スクスタのストーリーの構造的な欠陥
さて、新しいキャラクターで収益をという話になると、やはりそのキャラクターを目当てにガチャを引いてもらいたいわけです。ガチャで特定のキャラクターを狙う理由は大別して2つ。1点目は単純にそのキャラクターの強さ。強さという点ではゲーム次第でどうとでもできますが、インフレが急速に進んでルールが複雑化することが懸念される(ただし収益のために意図的にインフレを進める場合がほとんどでしょう)点に注意が必要です。そして2点目はキャラクターに対するこだわり。特定のキャラクターを好むユーザーはそのキャラクター目当てでガチャを引くわけですが、スクスタの最大の問題点はここにあります。皆さんも飽きるほど色々な意見を見たであろうストーリーのことです。
スクスタはゲーム内でストーリーを展開していくことが売りのひとつでもありますが、そのストーリーについて欠陥を抱えているように思えてなりません。ただしここでその内容を議題とするつもりはありません。完結していないストーリーの内容について議論することは不毛ですし、そこに対しては個人の好みを排除することはできませんから。私が指摘したいのはスクスタにおけるストーリーの「構造的な」問題点です。これについては私が昨年にTwitterでしれっと指摘したので、そこから丸々引用します。
これらは2nd Seasonの内容でとやかく言われ始めていた頃に指摘したものです。引用の通り、スクスタ最大の欠陥は「キズナエピソード」というシステムだと私は考えています。キズナエピソードとはキャラクターとの親密度を深めることによってキャラクター個人とのストーリーが見られるというものですが、そのキャラクターの所持数によって親密度の上限がアップします。ガチャでキャラクターを多く引くことによりキズナエピソードを開放できるようになるわけですが、最大の問題点はそのキズナエピソードでキャラクターの根幹を語る作りになっていること。あるキャラクターを好きだからガチャを引いて手に入れるはずなのに、そのキャラクターをたくさん持っていないとキャラクターの根幹を知ることができない…手段と目的の関係性がおかしいですね。私のようにリリース当初からのユーザーは自然と所持キャラクターが多くなるのであまり困りませんが、新規ユーザーがキャラクターを好きになれる可能性を明らかに削ぐ作りになっていることが分かると思います。
さらに言えばプロジェクトとしてこのゲームで売り出したいのはニジガクなわけですが、μ'sやAqoursはTVアニメなどでキャラクターについて知ることができる一方で、ニジガクについては正史がスクスタですから本来ここでしか分かりません。そのため「ニジガクのことを知りたければガチャを引いてね(=お金で買ってね)」という作りになってしまっているわけです。スクスタはニジガクを中心としているゲームであるにもかかわらず、ニジガクについての理解へのハードルが高く、何がしたいのか分からない構造なんですよね。引用内でも書きましたが、ユーザー全員が読むことになるメインストーリー上でキャラクターの掘り下げをしない(2nd Seasonに入ってからとか遅すぎます)のは、ストーリーを理解させるつもりがないのと同義です。
また内容についても少しだけ触れてしまうと、多くの方の反応のとおり、今のストーリーは幅広く受け入れられるようなものとは言えません。キャラクターを売り込んでガチャを引かせて利益を出すはずなのに、そのキャラクター(特にスクスタ新規メンバー)を愛してもらえないようなストーリー作りをするのは単純に商売が下手すぎる、というのがストーリーの内容に対する私の感想です。
ラブライブ!シリーズとスクスタの相性の悪さ
ストーリーにおけるもうひとつの問題が、前項の引用と同じタイミングで指摘したこちら。ラブライブ!シリーズといえば、そのタイトルのとおり現実でのライブが最も大事な活動のひとつです。ライブでは当然リリースした楽曲を披露することになるわけですが、作中の挿入曲などストーリーと密接に絡む楽曲もあります。それらをより深く楽しむためにはストーリーに対する理解も必要なわけですが、スクスタの挿入曲は多くがメインストーリーではなくキズナエピソード上のもの。つまりガチャを引いてキャラクターを手に入れ、キズナエピソードを開放することがライブを楽しむ前提に置かれているわけです。このやり方でライトユーザーや新規ユーザーに伝わるはずがないんですよね。3rdアルバムのソロ楽曲に至るストーリーをまとめた映像をYouTubeにアップしたのは、2ndライブで楽曲を披露した4ヶ月後から。ライブでまともに見せる気あるんですか?というレベルです。楽曲を披露して盛り上げるだけのライブならできるかもしれませんが、少なくともラブライブ!シリーズのライブはそういうものではなかったはずです。
一方で2nd Seasonに入ってようやくメインストーリーで新規楽曲が出るようになりましたが、これも栞子以降の新規登場キャラクターのみ。既存メンバーは明らかに物語のヤマ場となる話でも新規楽曲がなく、このあたりはストーリーを見ていて構成に違和感を覚えました。それにスクスタのライブシーンでは、ゲームであるが故にストーリーに合わせた演出の盛り方がありません(やろうと思えばできるはずですが、少なくともスクスタではしていません)。ラブライブ!のストーリーでライブパートが大事なのは至極当然なのですが、スクスタという環境ではそれを活かすことができないのです。
そしてもう一点。スクスタはキャラクターが増えるというストーリーをメインに置いているがゆえに、時間の感覚が非常に緩いものになっています。ストーリーが売りのひとつである以上、ゲームの継続のためにも続けたいのは分かります。しかしこれが他の作品であったなら問題ないかもしれませんが、ラブライブ!シリーズでは致命的。「限られた時間の中で精いっぱい輝こうとする」スクールアイドルという存在と完全に相反するものになっていますから。
ここまでスクスタの戦略や構造を見てきましたが、ラブライブ!というコンテンツの根幹と、スクスタそしてソーシャルゲームそのものの収益構造が相容れないことが分かっていただけたでしょうか。だから「ラブライブ!とゲームは相性が悪い」というのが私の率直な感想です。スクスタについてだいぶボロクソに書きましたが、当初からの複雑すぎる仕組みや、2年と経たずにライブの難易度がインフレしたことなど、問題点を挙げればキリがありません。しかしながらこのゲームは一応これからも続けるつもりです。ストーリーが続く以上、ニジガクを見るためにはプレイする必要がありますから。
予定外のTVアニメ化と見えない先行き
Firstライブで発表された、ニジガクがつかんだ夢のひとつであるTVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』。個人的な感想に関しては雑感エントリを書いたのでそちらに譲りますが、上述した問題のうち一部はTVアニメ化によって解決したわけですから、その点では意義があったと思います。
さて、本来は予定になかったこのTVアニメ化ですが、ここまでお付き合いいただいた方にはその理由がよく分かると思います。それはメンバーが増えることが前提にあるプロジェクトであるために、どのキャラクターまででTVアニメ化するのかという線引きができなくなるから。この1点だけで本当にTVアニメ化するつもりのなかったプロジェクトであることが一目瞭然です。ですからTVアニメ化について期待をしていた一方で、栞子が加入した時点でここまで述べてきた問題に気がついたため、私は複雑な思いを抱いていました。メンバーとして新しく迎えた栞子、そしてこれからも新たに迎えるメンバーが確実に置いていかれる展開になるわけですから。第2期の制作も発表されましたが、そこでも栞子以降のスクスタ追加メンバーが出る可能性は薄いでしょう。たとえ栞子を出したとしても、以降のメンバーが同じ問題に直面するだけですからね。
キツい言い方をすれば、この時点でプロジェクトとしては破綻をきたしている状態なわけですが、せめてTVアニメを全くの別展開として打ち出せばまだ何とかなっていたかもしれません。しかしあろうことか、虹ヶ咲は様々な場面でスクスタ展開とTVアニメ展開を混ぜてしまっています。TVアニメからの新規層にとっては意味をなさないスクスタ衣装をカットとして入れたり、スクスタにスポットを当てた校内シャッフルフェスティバルでTVアニメ楽曲を披露したり。特にナンバリングライブはそのプロジェクトの歩みの最たるものであるのに、TVアニメをコンセプトとして3rdライブを開催したことが最大の問題点で、せっかく加わったメンバーを引き算したナンバリングライブとか何を考えているんですかね?今の展開では栞子(そして以降のスクスタ新規メンバー)が捨てられてすらいるようで、正直見ていて非常に心苦しいです。一本の筋に収めることができなかったことで、虹ヶ咲がいかに展開を見据えていなかったプロジェクトであるかが如実に示されてしまいました。
そして3rdライブで語られた夢、それがこのエントリのタイトルにもある私の「危機感」に繋がります。ここまでは虹ヶ咲と他のシリーズ作品の違い故の影響に触れてきましたが、逆に変わらないこともあります。それはキャストが夢見て憧れる「スクールアイドル」として立っていること。いくらプロジェクトの展開が変わろうと、ラブライブ!に憧れスクールアイドルとして走り始めた彼女たちが、これまでのシリーズで叶えてきたTVアニメ化や紅白歌合戦への出場、東京ドームでの公演に憧れるのは当然のことです。しかしながら、ここまで述べてきたようなコアユーザー重視で広がりにくいゲームをメインとしていること、そして人数が定まらないことにより展開を進めるとメンバー内で差がつくことを考慮すれば、これは非常に難しい問題であることが分かります。ファン層を広げにくいなかで大きなステージに立てるのか。憧れのステージに乗れるのは誰までなのか。多くのメンバーで立てるとして、パフォーマンスや経験の差を埋められるのか。これは本当に残酷な問いかけだと思いますが、この問題と向き合わずしてニジガクの夢を叶えることはできないのです。
ラブライブ!は「みんなで叶える物語」。「みんな」という言葉には色々な解釈があると思いますが、「みんな」からメンバーの誰かが欠けることだけはあり得ません。そして自らの大前提のために「みんな」を定義できなくなってしまった虹ヶ咲というプロジェクトはどうあるべきか。キャストが夢を口にした今、大きな岐路に立っているのです。
最後に
他にもライブの構成能力の低さや新鮮さに欠ける楽曲(特にソロ楽曲)、TVアニメでも物足りなかったストーリーなど、過去にいくつか問題点を指摘しましたが、今回はプロジェクトの根本的な部分を指摘する場ですので割愛させていただきます。ただ、その辺りについてもニジガクを最高に輝かせるためにも改善してほしいと思っていることは変わりありません。
さて、プロジェクトの問題点を中心としてこの指摘エントリを書きましたが、それならばスクスタ新規メンバーがいなければ良かったのか。私はそのようなことは断じて申し上げません。以前のエントリに書きましたが、私はスクールアイドルそのものが本当にたまらなく大好きです。プロジェクトの意図にかかわらず、新たに登場したスクールアイドルも、私の愛するスクールアイドルの1人であることに間違いはありません。そんなスクールアイドルが置いていかれるようなことはあってほしくないと切に願っています。
そしてなにより、ニジガクは私にスクールアイドルの素晴らしさを改めて教えてくれた特別な存在に他なりません。応援している方もいますし。もちろん夢を叶えるためにキャストがもっと頑張らなければならない部分もあります。しかし今の状態を見ていると、プロジェクト側がキャストの努力を台無しにしているようにしか見えないのです。これまでラブライブ!シリーズが叶えてきた夢の数々は、キャストの努力だけで掴み取れたものでは決してなく、それを支えるプロジェクトがあったからこそ叶えられたものでした。それ故に見通しが足りないままハンドルを切り続けるプロジェクトに歯がゆさを覚え、このままでは私にとって大切なニジガクの夢が叶わないのではないかという危機感も抱いています。このあり方を選んだ回し手自身が責任を持ってプロジェクトをハンドリングして、ニジガクの夢をしっかりと支えろというのが私のプロジェクトに対する最大の要求なのです。こんなところで書き散らかすことに意味があるのかは分かりませんが、私はニジガクの夢を夢見る一人ですから。
<2021年12月25日追記>
このエントリを書いてからわずか半年しか経たないうちに、どうも予想を超えた方向にプロジェクトが動き始めました。さすがにこのまま放置というわけにも行かなくなったため、続きとして以下のエントリを書きました。最新の状況に合わせた分析をしましたので、こちらも併せてお読みいただければと思います。