見出し画像

早く起きる。街に出る。コーヒーを飲む。

 冬が終わり暖かくなってくると、人の動きも目に見えて活発になるように感じる。春の到来──というと良いイメージを連想する人が多いだろうが、僕は逆に、日に日に気温が上がっていくことに何とも言えない気分をおぼえている。「春が来る」ということは、言い換えれば「冬が去る」ということでもある。当然すぎることであるが、そんなことにも名残惜しさを感じていたのだ。
 つまるところ、冬という季節が好きだ。厳密に言えば晩秋から春になる手前。寒さに動物も植物も活力を奪われ、多くの生物からすれば「乗り切る」対象である季節。人間もそんな生物に変わりないのだから、それを好きと言うだなんて、よくよく考えれば変なのだろう。しかし、太平洋側の埼玉県に生まれ、今も太平洋側の静岡県に暮らす僕は、冬の朝の冴えた冷たい空気と澄んだ青空、人のまばらな街の静けさにたまらない喜びを感じる。
 そして、元々好きな季節の冬が、ここ1,2年ほどでもっと好きになっていることを実感している。それは冷えた冬だからこそ恋しくなる、コーヒーという素晴らしい相棒を見つけたからである。これはそんな僕と相棒との思い出話。

コーヒーとの記憶を辿る

 以前、僕はコーヒーが苦手だった。以前と言っても中学生とかの頃──要は子供の時の話だ。コーヒーといえば概ね「苦い飲み物」。それを幼い頃から好む人は珍しいだろう。本当に初めて飲んだのがいつかは覚えていないが、例に漏れず苦いイメージが強かったその頃の僕は、コーヒーを手にとって飲むことはまず無かった。

 好んで飲んだコーヒーの記憶を辿ると、思い出せる限りで最も古いものは高校生の頃だろうか。電車で高校に通い、部活動を終えた帰りに駅前のコンビニに寄り、そこでホットスナックや飲み物を買う。なんともよくある高校生の日常を僕も送っていた。そこでよく買っていた、紙パックのコーヒー牛乳が一番古い「おいしい」記憶である。

 そしてはっきりと記憶に残っているのは、高校生の頃に実施された、僕が好きなアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』とのコラボ企画だ。自分の記憶で一番古い具体的なコーヒー飲料の銘柄となると、間違いなく雪印コーヒーである。
 キャンペーンはさておき、こういった学生の時期にというのは、おそらくよくあるコーヒーとの出会いだろう。あれだけ甘いのだから飲みやすいのは当然だが、良い入口であるとも思う。おいしいというイメージから入ることは非常に大事だ。事実、こういったコーヒー牛乳のような飲料は、そこから当たり前に飲むものになっていった。

 文字通りのコーヒーを飲むようになったタイミングは覚えていないが、様々な飲食店を巡るようになってからだっただろうか。大学生の頃にアルバイトを始めて稼ぐようになったこともあり、一人で出かけて色々な場所に行き始めた。元々は旅行として遠くに行くことが多く、学生らしく移動に時間を費やしていたので、1日3食以外に食べる余裕は無かったが、徐々に街をじっくり楽しむことにシフトした。好きな街では様々な食事を楽しむことはもちろん、いかんせん食べることが大好きなので、スイーツがおいしい店で合わせてコーヒーを飲むといったことも増えていった。

いかにも喫茶店らしい苦めのコーヒーがスイーツとよく合う。

 きちんと記憶に残っているのは、コメダ珈琲店に行くようになり、シロノワールなどのスイーツと一緒に飲んでいたことだろうか。思い返せば家でコーヒーを飲むことは無かったので、出先ではなく日常に近い場でコーヒーを飲むようになったのは、コメダ珈琲店が始めてだったかもしれない。不思議とスターバックスなどのカフェ系は経由していなかった。

 こんな風にコーヒーが徐々に日常の中に入り込んでいったのだが、コーヒーそのものを楽しむと言うよりは、大学や職場における眠気覚ましとして、そして外では「お菓子と合わせるなら、甘さを中和できるコーヒー」という飲み方をしていた。おそらくこれくらいが一般的な飲み方だろうし、これもまたコーヒー好きであるとも思う。ただ、ここからコーヒーを特別好むようになっていくとは、当時の僕は思いもしなかった。

コーヒーとの「再会」

 そんなコーヒーとの「再会」──つまり、コーヒーそのものをハッキリと意識し始めたのは、渋谷に通うようになってからだった。『ラブライブ!スーパースター!!』を好きになってから、住んでいる沼津から100km離れた渋谷を数え切れないほど訪れており、食が好きな僕は様々な飲食店を開拓しはじめ、同時に多くのカフェも訪ねている。そんななかでも、作中にも登場した表参道駅近くの「allée-アレ-」の初訪問は忘れられない。

なんとも大人な雰囲気のバスクチーズケーキとアイスコーヒー。

 落ち着いた空間と洗練された雰囲気に慣れず、戸惑いつつも店の名物であるバスクチーズケーキと、スイーツに合わせるならと注文したアイスコーヒー。その両方のおいしさに驚いた。特にコーヒーはこれまで飲んできたものとは全く違っていて、口にした瞬間の華やかな酸味と、スッと抜けて心地よい余韻を残していくことに、これが同じコーヒーなのかと信じられないほどだった。
 この時はコーヒーについて何も知らず、本当にとりあえず注文しただけだったのだが、この店で普段提供しているコーヒーはエチオピアのものだそう。酸味のあるタイプのコーヒーの代表格で、エチオピアのコーヒーを口にして、「コーヒー=苦い飲み物」というイメージを覆されて夢中になった人も多いようだ。言ってしまえば割と単純な入口からコーヒーの魅力に取り憑かれたことを後から知ったわけだが、この味に出会って衝撃を受けるのは実に納得の行く話だ。

 とは言っても、この時点の僕は「そういう種類のコーヒーがある」ということを理解したわけではなく、「これまでとは違うおいしさのコーヒーの店がある」程度の認識だった。この店自体はかなり気に入って複数回訪問したものの、まだまだ自分にとってのメインはスイーツであり、コーヒーを求めて他所に行くほどではなかった。
 ただ、食が好きなことはもちろん、建築やインテリアといったものを見ることも好きな僕にとって、カフェ巡りというのは非常にマッチした趣味になっていた。特に渋谷周辺は魅力的な店が多く、そんな環境でカフェ巡りを捗らせるなかで、コーヒーに対する意識を決定づける店と出会う。

コーヒーリストを初めて見た時、当然ほとんど何も分からなかった。

 福岡に本店を置く「REC COFFEE」という店が渋谷にあるのだが、そこでスイーツついでにコーヒーを飲もうとして、よく分からないままシングルオリジンなるコーヒーを飲もうか思いと手に取ったのが、このコーヒーリストだった。前述の「allée-アレ-」の初訪問から1年以上経っており、シングルオリジンがブレンドと違うことくらいまでは分かっていたし、産地によって味が違うこともうっすらと理解はしていたのだが、突然目の前に現れた情報量に困惑するばかりだった。

プレミアムプリンとコロンビアのフィンカ・ベラクルースという豆のコーヒー。

 結局諦めて、食べたかったプリンに合いそうな豆を店員に聞くところからスタート。少しの気恥ずかしさはあったものの、コーヒーはとてもおいしかったことを覚えているし、何より手頃な価格で個性的なコーヒーを味わえたことが嬉しかった。そして、それなりに好奇心や探究心を持っている性分でもあり、このよく分からないコーヒーリストについて理解して注文できれば、もっとコーヒーを楽しむことができるのではないかと、徐々に自分の中で熱意が湧いてくるきっかけとなった。

コーヒーを学んでみる

コーヒーの入門書を手軽に手に入れられるのは良い時代だと思う。

 そこから僕は、昨年12月にふらっと寄った近場のショッピングモール、サントムーン柿田川のTSUTAYA BOOK STOREで、コーヒーについての本を手にとってみた。きちんと興味を持っていたとはいえ、苦手科目が英語だった僕にとって横文字が多い話は難しく、日本地図には詳しくても世界までは頭に入っていないので、一度目を通す程度ではなかなか理解までは至らない。それでも初心者に役立ちそうだと思った2冊を買って読み、なんとか一回は読破した。

 しかしながら時は冬。寒い朝に温かくておいしいコーヒーを飲むのは至福なのだが、年が明ければそんな季節も終わりに向かっていく。人混みが苦手な僕は、どこに行くにも朝早い空いてるうちから動き始めるタイプで、幸運なことに渋谷には朝から営業しているカフェもそれなりにあった。習うより慣れろという性分でもあるため、とにかく色々なコーヒーを飲んで経験を積むことにしてみた。
 ひたすら地図で良さげなカフェを見つけ出し、毎週のように休日に渋谷へ出る。平日より早起きして電車に乗り、目をつけていたカフェを朝から訪ね、分からないながらも適当にシングルオリジンのコーヒーを注文し、未熟な味覚が提供する曖昧な情報を受け取り、必死で頭を使って考える。ひたすらそれを繰り返し、日に複数店舗を回ることも多かった。

WHITE GLASS COFFEEにて。リンゴやオレンジといった例えはコーヒーとは思えない。

 シングルオリジンのコーヒーを出す店では、多くの場合、コーヒー豆に関する情報がまとめられている。分かる人はこれを頼りに好みのコーヒーを探すようだが、そんなことはできず直感で頼んだコーヒーを啜りつつ、一見コーヒーとはかけ離れた例えが書かれたカップコメントを眺めて、「言われてみれば…分かるような、分からないような…。」と思うばかり。
 僕は基本的に何を食べても「おいしい」という感想しか出てこないタイプで、最初のうちはコーヒーに対しても「どのようにおいしいのか」が分からなかった。しかし、朝から街で良いコーヒーとちょっとしたお菓子を楽しむ時間はとにかく幸せだし、少なくともおいしいとは感じていたので、この過程自体をかなり楽しむことができていた。楽しみながら経験を積めたのは、我ながら素直に良いことだと思う。

Roasted COFFEE LABORATORYのルワンダのコーヒーとお菓子がおいしかった。
FUGLEN TOKYOのエルサルバドルのコーヒーは、ジュースかと思うくらいの別物だった。

 こういったことを繰り返していると、時には驚くほど印象の強いコーヒーと出会うこともある。この瞬間ばかりはカップコメントの内容にも納得行くもので、そういったタイミングを迎えるたびに、コーヒーに対する理解が少しずつ深まっていった気がする。やはり体験に勝るものはない。

 この冬を思い切りコーヒーへの経験値稼ぎに充ててみて、今もまだ分からないことばかりだが、なんとなく「自分の好み」みたいなものも見えてきている。それをさらに突き詰めてみても良いし、あるいは別の味を探してみるのも面白そうで、何も分からなかった頃よりも楽しみの幅が広がっているのを感じる。
 これほどまでにコーヒーを好むようになるとは思ってもみなかったことだが、分からないことを理解するようになること自体が結構好きなので、新しい発見がさらにあることを想像すると、この趣味は深掘りしがいがありそうだとワクワクしている。

コーヒーを楽しんで気がついたこと

1月には旅先の韓国・ソウルでもコーヒーを求めて、Beliefcoffee roastersを訪問。

 これまでいわゆる嗜好品に手を出すことがほとんどなかった僕だが、そんなコーヒーを楽しみ始めて気がついたことがある。それは、コーヒーの世界は想像以上に懐が広いということだ。

 世界三大嗜好飲料にも数えられるコーヒーは、一見小難しいことも多いように感じるかもしれないが、愛好家が多い分間口も広くなっている。書店に行けばコーヒーについての書籍は必ずと言っていいほどあるし、インターネットで検索をするだけでも情報は大量に出てくる。動画で分かりやすく伝えているものも多い。学ぶための敷居が想像以上に低いことに僕も驚いた。
 そして面白いのが、その情報は大体多少の差を含んでいるということ。僕が買った書籍の2冊もそうだ。ただ、確かな共通点を挙げるならば、コーヒーの良さ──自身の好きなものを伝えている人は、誰もが楽しそうだということだろうか。それだけ自由な世界であり、絶対的な正解がないということでもある。強いて言うなら、おいしく楽しむことが正解だろう。そしてその正解の数は人の数だけある。産地やら精製方法やら焙煎やら、さらには淹れ方まで様々な要素で味が変わるくらいなのだから、そこに好みが生じるのは当然で、いつものコーヒーから特別な一杯まで、その好みを見つけて楽しむだけで良い。

 かく言う僕もまた、絶対的な味が分かるタイプでは今もないし、コーヒーは飲む場の雰囲気によって味が変わるものだと思っていて、いわばコーヒーを飲むことを含めた体験そのものを楽しんでいる。「寒い朝に素敵なカフェでコーヒーとお菓子を楽しむ」のが今のところの一番の好みだ。
 もちろん流行りのようなものとか、それなりに適切なアプローチがある部分も存在はするが、それ以上に「楽しい」ことが大事なのである。「おいしい」は「楽しい」。そういうことだと思う。そして何より「おいしい」が好きな僕は、これからも楽しみながらそれを探求してみようと思う。

自分で淹れるのが理解の近道では、と4月からハンドドリップに挑戦している。

 僕のX(Twitter)アカウントを見ている人ならご存知かもしれないが、コーヒーを飲むばかりでなく、最近ちょっと次のステージにも進んでみている。思いのほか前のめりに事を進めてしまい、このエントリには書ききれなくなってしまったが、新たな楽しみのこともいつかまた書いてみようと思う。

 もちろん色々な店でコーヒーを飲むことも続けていく。プロが淹れた一杯はやっぱりおいしいし、何より街で飲むことが僕にとっての一番の楽しみ方だからだ。幸いなことに僕が住む沼津にも、チャトラコーヒーというおいしいコーヒーを飲めるカフェができている。ただ、これからは暑い季節ということもあって、僕が求める時間とは少しのお別れだ。また来たる冬──半年後くらいを楽しみにしていよう。
 そして何より、一緒にコーヒーを楽しんでくれる仲間も増えると嬉しいと思っている。コーヒーが気になる方は、一緒に街に出て一杯いかがだろうか。

この記事が参加している募集

#私のコーヒー時間

27,098件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?