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午前2時、タバコとカップヌードル

初めての外泊は、大学生になったばかりの春だった。

こじんまりとした学校だったから、同じ学科の同級生どうし、すぐ顔なじみになった。
毎日授業で顔を合わせるうち、親しくなった。
宿題や課題も山のように出たから、誰かの家で一緒に勉強する機会も自然と増えた。

そんなふうにして5月の連休が明けた頃には、週に一度は学校の近くに下宿する誰かの家に集まることが習慣になっていた。
特にたまり場になったのは、同じクラスのMくんの部屋だった。いちばん学校に近くて、いちばん部屋がキレイだったから。

勉強もしたけれど、みんなでお酒を飲んでいたことの方が多い。
4人も5人も集まって、狭苦しくなったワンルーム。タバコを吸うひともいたから、部屋はちょっと煙たい。
タバコなんていつ覚えたの?と聞いたら笑ってごまかされた。みんな、けっこう偏差値の高い進学校に通ってたって聞いたのに。ふまじめな優等生って、私、マンガでしか見たことなかった。

お金を出し合って多めに買ったはずの缶ビールは、いつもすぐなくなってしまう。そのあとは、適当なグラスに冷蔵庫で作った氷を入れ、安いウイスキーをソーダを割って飲む。マドラーなんてないから、手元の割りばしでくるくると適当にかきまぜて。この飲み方をハイボールと呼ぶことを初めて知ったのも、この頃だった。

自宅が遠かった私は、いつも途中でその集まりを抜けていた。
私のリミットは夜10時。盛り上がっている中で席を立つことが悔しい。
学校前から出る最終バスに乗って終点まで。そこから地下鉄、私鉄を乗り継いで2時間かけて帰る。
家に着く頃にはアルコールなんてすっかり抜けている。ふわふわしていた気持ちも、空気が抜けてぺしゃんこになっている。

その夜もまた、いつものメンバーで飲んでいた。 話題もおつまみも何でもよかった。そもそもみんなで集まる理由だって何でも良かった。どんな話でも笑えるし、どんなおつまみでもおいしいし。ビールはやっぱりすぐなくなるけれど、ハイボールはおかわりするたびに濃くなるし。その分酔いも回るけれど。
気がつくと、私が乗らなければいけないバスの時間を過ぎてしまっていた。


・・・・・・まあいっか。


今まできちんと守ってきたルールを破る瞬間なんて、案外あっけないものだった。自覚とか覚悟とか、そんなものは何もなくて。
帰らないと決めたら吹っ切れた。遅い時間だというのに大声ではしゃいだり笑ったり。学生専用のアパートは寛大だ。騒いでも、どこからも苦情は来なかった。

0時をまわった頃。
「そろそろ」とひとりが帰り支度を始め、何となく解散の雰囲気が漂い始めた。
一緒に飲んでいたCちゃんが「うちに泊まれば?」と声をかけてくれたことは覚えている。でも彼女のアパートはここから少し遠かった。飲んだ後で30分歩くのはめんどくさかった。
「大丈夫」私はへらへら笑って、玄関先で彼女に手を振った。


みんなが帰って、静かになった部屋。
突然Mくんが「男の子」から「男の人」に変わった。
うそ。そう見えただけ。それも私のせい。唐突に、勝手に、私が意識してしまっただけ。
どきどきするというよりも、怖いという気持ちの方が大きくなって、そんな自分に戸惑った。

やっぱり帰ればよかった。
せめて地下鉄の駅までタクシーに乗ればよかった。そうすればなんとか電車に間に合ったのに。
勝手な話だ。自分で帰らないと決めたくせに。
急に落ち着かなくなった私とは対照的に、Mくんは平然としていた。
考えてみれば当たり前、ここは彼の部屋なのだから。
氷もソーダも切れてしまったようで、ウイスキーをストレートで飲んでいる。

「なあ、腹減らへん?ラーメン食う?」
突然Mくんはそう言って、私の返事も聞かず部屋を出て行った。
10分近く経った頃、 Mくんはお湯の入ったやかんを持って戻ってきた。いったんテーブルに置いてから、部屋の隅にあった段ボール箱をごそごそ探ってカップヌードルをふたつ取り出した。
ビニールをはがし、ふたを半分はがす。お湯を注ぐ。

出来上がったカップヌードルを、ふたりで黙ったまま啜った。
食べながら、湯気越しにMくんのうつむいた顔を見ていた。目が合いそうになると慌ててそらした。
逃げた視線の先に、さっきMくんがカップヌードルを出してきた段ボール箱があった。この箱にはきっと送り状が貼ったままだ。差出人の欄には、きっと彼のお母さんの名前が書いてある。
一人暮らしの息子のためにと買って、段ボール箱に詰めて、郵便局だかコンビニだかに持って行って、送ってきた、カップヌードル。
そのひとつを、今私が食べてしまった。彼の部屋で、ふたりきりで。

どうしよう。どうしようもないか。
でも 何だろう、裏切ってしまった気持ちになってしまったんだ。 彼のお母さんのことも、私のお母さんのことも。

パジャマ代わりに、とMくんは自分のTシャツとジャージを貸してくれた。 渡されたTシャツには見覚えがあった。彼がたまに学校に着てくるものだ。いいのかな。いいんだろうな。
着替える間、彼はまたふらりと部屋を出て行った。
誰も見ていないのに、私は小学校の体育の時間みたいに、のろのろとめんどくさい着替え方をした。

戻って来たMくんは、テーブルに置きっぱなしになっていたタバコから1本抜くと口にくわえ、ライターを近づけた。
じっと見る。タバコを持つ彼の指先。小さく吐き出す白い息。
ふわりと漂い、天井にのぼっていく煙の筋。
指、細いな。口元、なんかいいな。
白い煙越しに、Mくんと目が合った。今度はそらさなかった。

黙ったまま、Mくんはタバコを灰皿に押し付けた。
薄くなって消える、煙。
見えなくなったところで

「電気消していい?」
彼が言った。

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今回の作品は、こちらの企画で感想をいただき、下書きをリライトしてアップするものです。

感想を送っていただけると言うことでしたが、感激しました。
ほんとに、ほんとに。
勉強になりました、という言葉では足りません。
言葉や文章に対する真摯な姿勢と愛をいただきました。

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私もそんな読み方、書き方ができるように。もっと頑張ります。
ありがとうございました。いただいたコメントは宝物にします。


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そしてこの作品は、

文脈メシ妄想選手権への参加作品です。

もう応募が120を越えていると聞きましたけど!
そん中で、エントリーを更に増やしちゃいまして。

なんかすみません(笑)

いただいたサポートを使って、他の誰かのもっとステキな記事を応援したいと思います。