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伝えること、受けとめること。#表現とこころ賞

その日、私は旅先の台湾で地下鉄に乗っていた。
2011年、5月。連休を使っての一人旅。いつもならもっとワクワクした旅になるはずなのに、その年はどうも気持ちが萎縮して旅を楽しむことにためらう気持ちがあった。
旅の予約を入れたのは、その年の3月、東日本大震災が起こる少し前のことだった。ネットで申し込み手続きも入金も終えてしばらくして、あの震災があった。

大阪に住んでいる私は、何も被害は受けなかった。当日その時間は会社でミーティングをしていて、たてに横にぐらぐら長く揺れる恐怖に震えたけれど、あー怖かったね、今の揺れはすごかったね、と社内のみんなと口々に言い合って、そのまま仕事を再開し、夜遅くまで会社に残っていた。忙しくてネットも見ていなかったから、帰宅後部屋でテレビをつけるまで、あれほど大きなことになっていたとは知らなかった。その後、日を追うごとにネットやニュースで見る映像や情報はより深刻なものとなり、これから東北は、日本はどうなるんだろうという不安が膨らんでいった。

こんな時に、旅行なんて不謹慎じゃないだろうか。
日本中を包んでいた自粛ムードに気持ちが盛り上がらず、キャンセルした方がいいのではと何度も考えた。準備もちっとも進まなかった。
でも、でも。迷ううちに日は過ぎて、結局私は当日台北行きの飛行機に乗った。
キャンセル代がもったいない。なかなか休みが取れない。私ひとりが自粛したって何も変わら。そんな言い訳じみた、どこかもやもやした気持ちを抱えながら。

降りたい駅を乗り過ごさないように、私はドアの前に立ち頭上の駅表示を懸命に確かめていた。
リュックを背負い、マップを手に必死で駅名を確認している私はどこから見ても台湾にやって来たばかりの日本人観光客だった。
すぐ近くに学生風の男の子が立っていた。彼は突然持っていた携帯電話を私の目の前に付きつけてきた。
驚いた私はまず彼の顔を見た。何か彼を怒らせることをしてしまったのかと思ったのだ。
彼は何も言わず、ただ強い目で携帯の画面を見ろと訴えてくる。私は戸惑いながら、彼が手に持った携帯に視線を移した。
そこにはメール画面が表示されており、彼が打ったメッセージが書かれていた。

「今回の災害に、とても心を痛めています。日本、頑張って。」
中国語で、本当はもう少し長い文章だった。

学生時代に中国語を勉強していたとはいえ、私の分かる範囲で正しく理解できたのはそれだけだった。
せめて正確な言葉をメモでもしておけば後で辞書をひくこともできたのだけれど、残念ながら無理だった。まともに覚えているのは「日本加油」の文字だけ。
彼は当然、私が中国語を理解できるとは思っていなかったに違いない。それでも漢字なら伝わるかもしれない。そう考えて、わざわざメール画面に文字を打ち込み見せてくれたのだろう。たまたま隣りに立っていた、それだけの、日本から来た私に。
私はとっさに言葉が出てこず、ただ「謝謝」としか言えなかった。何度も何度も、ただひたすら「謝謝」と繰り返した。
やがて私の降りる駅に着いた。私はもう一度「謝謝」と言って、地下鉄を降りた。

私はただの観光客に過ぎなかった。
来るまでは迷っていたけれど、いざ着いてからは名所をあちこちまわり、食べ歩き、買い物をして、後ろめたい気持ちを持ちながらも旅を楽しんだ。国が大変な時に、呑気に海外に観光に来ているお気楽な日本人だと思われても仕方なかった。実際そうだったから。
そんな私に託された「日本、頑張って」の言葉は、みやげ物でぱんぱんになったキャリーバッグよりも、ずっと重かった。

旅から戻った後、正直なところ、私の中で何かが「大きく変わった」などということはない。日常はあっという間に私を取り囲み、ごくごく普通の毎日に私は再び身を置いている。
あの後も、各地で災害が起こるたびに、心はとても痛むけれど。早く平穏が戻りますように、と祈るけれど。でもやっぱり、私は普段通りの生活からはみ出さず、はみ出ることも出来ず、ただ平凡に生きている。

あのとき彼が私に伝えようとした気持ちを、私はちゃんと受けとめられただろうか。見知らぬ外国人の私に、通じない言葉で頑張れと励ましてくれた彼の思いを、なくさず日本に持ち帰ることができただろうか。これからも、大事に持ち続けていられるだろうか。
彼が示してくれたことを忘れないでいるために、私ができることは、すべきことは何だろうと、時々考える。

「表現とこころ」この言葉を見かけて、決めた。
言葉が通じなくても、気持ちを伝える努力を怠らないように。言葉が通じても、そのことだけに甘えないように。不用意な表現や態度で、誰かを傷付けないように。
文字で、文章で、歌で、絵やイラストで。さまざまな方法で、さまざまな人が表す気持ちを受けとめる、やわらかい心を持ち続けること。持ち続けようと努力すること。
今の私は、それを目標にしたい。今、自分にできる表現を、せいいっぱい続けていきたいと思う。


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梟さんの表現とこころ賞への参加作品です。

ずっと書きたいと思っていたできごとです。なかなか形にできなかった気持ちをやっとまとめられた!嬉しいです。

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