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傷心保険

繊細な性格の男がいた。
ある日、男のスマートフォンに彼が加入している保険会社からセールスの電話がかかってきた。
男は繊細な性格であったから、すでに生命保険、医療保険、積立年金などには加入済みだった。しかし男は思いやりのある性格でもあったので、営業であってもわざわざ電話をかけてきてくれたセールスレディの心づかいに感謝し、勧められた通りに現在のプランの見直しをすることにした。

今回はお客様に最適の保険ができましたので、そのご案内に。


待ち合わせた喫茶店で向かい合うなり、セールスレディは自分の鞄からいくつものパンフレットを取り出しテーブルに広げた。


お客様はこれまでの人生で、うまくいかなかったり、がっかりした経験はございませんか?
心が傷つけられて辛いと思ったことはございませんか?
ございますか?ございますでしょうとも。


ええ、ええ。このストレス社会、お客様のような繊細な方には、きっと多くのご苦労があるはずです。
傷つくのは身体だけではありませんよね。心だって傷つけば痛いはずです。
その心の傷をケアするのが、私どもがこのたび販売を開始した傷心(ハートエイク)保険なのです。


ご覧ください。
こちらはお客様がご契約くださった場合の掛け金のシミュレーションになります。
繊細な心をお持ちの方ほど、月々お支払いいただく金額は多少お高くはなりますが、心の傷を癒すためには必要不可欠なものだと言えるでしょう。


シミュレーションされた月々の支払い額は確かに安いものではなかったが、あらゆる傷心に対応する保険であるというのは間違いないようだ。
繊細で傷つきやすい自分にはぴったりの保険かもしれない。
そう判断した男は、その場で傷心保険への加入を決めた。


電車が遅れたとき、雨の日に傘を忘れたとき、財布を落としたとき。楽しみにしていたドラマの録画を忘れてしまったとき、好きなアイドルのコンサートチケットが取れなかったとき、数量限定のゲーム機が目の前で売り切れてしまったとき。ズボンにコーヒーをこぼしてしみを作ってしまったとき、仕事でミスをして上司に叱られたとき、最近頭髪が薄くなってきて何だか不安なとき・・・・・・


心が傷つくたびに、男は担当のセールスレディに連絡し保険金の支払いを申請した。傷ついた男に彼女はいつも優しい慰めの言葉をかけ、即座に保険金の請求手続きを進めてくれた。審査により男の受けた心の傷は測られ、数値化され、その数字のランクによって定められた金額が毎回男の銀行口座に振り込まれた。支払われた金額は、大抵の場合男が想像していたよりも多かった。
男は自分がこれまでいかに多くの傷を抱えて生きてきたのかと思い、そんな自分を振り返ることでまた傷ついた。それはまた傷心保険金として男の銀行口座に振り込まれた。


ある日男は気がついた。
どうやら自分は恋をしているようだと。
相手はもちろん、彼を担当している保険会社のセールスレディだ。
男は初めて保険金請求以外の目的で、彼女に直接つながる専用ダイヤルの番号に電話をかけた。
手続きで確認したいことがある、そう偽って彼女をふたりが初めて出会った喫茶店に呼び出した。
現れた彼女に、男は自分の思いの丈を伝えた。男にとっては初めての愛の告白だった。
彼女は優しさに満ちたまなざしで男を見つめ、笑顔や喜びの表情を浮かべながら男の告白にじっと耳を傾けていた。


そして、ひとこと。

ごめんなさい。


悲しみの涙を流す男の肩に手を置いて、セールスレディは優しく声をかけた。


お客様、このたびの失恋における傷心保険の請求手続きを申請なさいますか?

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