見出し画像

教養のエチュード賞 1/118の参加者として

第二回教養のエチュード賞の結果発表がありました。

この作品が選ばれるだろうな、と思っていた方の受賞もいくつかありました。受賞された方、本当におめでとうございます。

第一回の開催時は、私はnoteを始めたばかりでこのことを知らなくて、嶋津さんのお名前もまだ存じ上げなくて。
フォローしている方が書かれた結果発表の記事を読み、初めて「こんな大きなコンテストがあったんだ」と気づいた程度。まったく遠い世界のお話でした。

ただ何となく気になって。リンクをたどり、受賞作品を順番に読み始めたんです。まずはフォローしている方の作品から、そして初めての方の作品を。
びっくりした!どれもに圧倒されました。もしかして、みんなエッセイや小説を書くことを仕事にしているの?プロばかりなの?
1つの記事を読み終えるたび、私はフォローボタンを押していきました。フォローする方の数がまたたくまに増えました。スキ、スキ!まるで恋のよう。心地よい文章に触れたくて、もっと読みたくて、逃したくなくて。
そこにはもちろん、自分の文章力を磨くお手本にもなれば、という気持ちもありました。
読んでもらえる文章を書くこと、読みたいと思ってもらえる文章を書くことを、私が強く意識するようになったのも、この頃だったかと思います。

それから間もなく、第二回教養のエチュード賞の開催が告知されました。私は早々にTwitterで「参加してみようかな」というような呟きを書きこみました。実はこの時にはもう応募したい作品は決まっていて、ほぼ書き上がっていたんです。

創作ではあるけれど、私が父方の祖母に聞いた話がモチーフのこの短編。我が子(父)の顔を見ることなく、遠いニューギニアで短い人生を終えたのは、私の祖父。私は祖父のことをモノクロのたった1枚の写真でしか知りません。母方の祖母も似た状況だったので、私は生まれたときからおじいちゃんがいませんでした。
祖母は一度だけニューギニアに行ったことがありました。まだ幼かった私はその時の話を聞きながら、一度も見たことのない、行ったことのない暑い国、空気、頭の上に広がる青い空を思い浮かべていました。そのイメージはずっと私の頭の中から離れず、ずいぶんと長い時間をかけて、やっと1つのお話になりました。

嶋津さんは、応募作品のひとつひとつにTwitterでコメントを書いて下さっていました。私の作品にも。

お忙しいのに!
もしかしたら、私以上にこのお話を深く読んでくださったのではないかしら。いや、絶対にそう。
さらに嶋津さんは、「とても大事な作品なんだろうなぁということが伝わってきました」とも書いてくださいました。そのコメントに私は思わず泣いてしまいました。私の作品が砂だとすれば、その中からたった一粒あったキラキラを、嶋津さんが迷わずに拾い上げてくれた。そして私に「ほら、ここにキラキラがあったよ」と差し出してくれた。そんな気がしました。そのキラキラは、暖かくて、力強い言葉でした。嶋津さんにいただいたコメントと書評は、私の大切な宝物になりました。

この賞に応募したことで、私のこの作品は多くの方に読んでいただくことができました。ねえ、会ったことないけどおじいちゃん!孫は頑張ったよ。スキってたくさん言ってもらえたよ!

参加して良かった、楽しかった。この気持ちは本当です。心から思っています。
でも一晩たって、さらにもう1つの気持ちが沸き上がってきました。

もっと書きたい。
書くことの楽しさを改めて教えてくれて、本当にありがとうございました。
そして、もっと読みたい。
読むことの楽しさも教えてくれて、本当にありがとうございました。

いただいたサポートを使って、他の誰かのもっとステキな記事を応援したいと思います。