ルッキズムと良い差別/悪い差別
どうもどうも。ポ・キールでございます。
前回のnoteで好評いただきと書いた後にさらにたくさんの方に読んでいただき、好評も頂き本当に感謝感激でございます。
さっそく本題ですが私は以前差別についてこのように言いました。
簡単に言うと「その人の何かによって扱いを変えるのはよくないよ。でも人は能力や実績によって扱いを変えるもんだよね。うーん。よくわからん!」だと思います。
なんやそれって思いませんか?
「良い差別」と「悪い差別」があるんだよ!って言う人もいますけど、「じゃあその違いは?」と聞くと口をつぐむか、「私が決める(神の領域)」という人しかいません。
まあ悪い差別は確かによくないんですけど、まさに屏風の虎なんですよね。困った。
こんなことを言いながらも実は私の中では「良い差別」「悪い差別」についてほとんど答えのようなものをもっていて、今回はそれを整理しつつ皆様に聞いて頂きたいと思っています。
要は「屏風から虎を出します」
その上で、フェミニストが大嫌いな(大好きな)「ルッキズム」は、「良い/悪い」が混在している好例(悪例?)だと思うので、それを引き合いに出して考察していきます。
今回はの内容は「考察」で行きましょうか。私も底の底まで考え抜けている話ではありませんし、批判や反論が湧く方もたくさんいらっしゃるかと思います。なのでそれをがっぷり四つで受け止めたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。
ではスタート
1.差別って何?
もはやおなじみの流れですがググります
差別(さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。
定義の難しさ
ある事柄を差別と判定する場合、告発する者の伝達能力・表現力と受け手の感性に因るところが大きく、客観的事実として差別の存在を証明するのは実際にはそれほど簡単ではない。なぜなら、差別として疑われるとある待遇について、その待遇が正当か不当かについては、時と場合によって様々な解釈ができ、議論の余地があるためである。例えば、最終学歴が高卒程度の者に対して、大卒程度の者を優遇すること(学歴差別)は正当か不当かといった価値命題は、科学的に論定することができない。差別は普遍的な実体とし存在するものの、その定義付けは困難であり、定義不能とする研究者も少なくない。
ウィキペディア:差別
『差別(さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。』
これが定義となりますね。
これを踏まえて、上記の文から必要な言葉をいくつか抽出していきましょうか。
まずは「特定の集団、属性、特性、等の理由」といった言葉が度々出てくると思われ、毎回これを書くと長くなるので「属性」という表記に統一します。
次に「正当」か「不当」かという話ですね。「正当に特別な扱いを受ける=良い差別」とし、「不当に特別な扱いを受ける=悪い差別」とします。
さらに「優遇」「冷遇」という言葉も大事ですね。
ここから先は「属性」「正当」「不当」「優遇」「冷遇」という言葉を使っていくので混同しないように気を付けて下さい。
特に「正当」と「優遇」、「不当」と「冷遇」はしっかり分けていくと読みやすい思います。
言葉の定義や意味はこのへんにして次に進めていきます。
2.正当/不当はなんで決まる?
まずは差別の具体例を挙げて、それらの共通点を探り、抽象化・一般化すれば誰でも「正当/不当」を判断できるようになるのでやっていきましょう。
・女性という理由で会社を落とされた
・黒人だという理由で捕まった
・賢いからと殴られた(実話)
このへんは明らかに不当だと感じますね。一般的に言われる「差別」はこのようなものでしょうか。共通点を見てみると「ある属性によって冷遇されている」というところでしょうか。
では次に同じ共通点を持った具体例を他に挙げて見てみましょう。
・勉強ができなかったので大学に落ちた
・犯罪者という理由で捕まった
・ボクサーだからと試合で殴られた
これらはどうでしょうか?正当であると私は感じます。こちらも先ほどと同じ「ある属性によって冷遇されている」という共通点がありますね。
要するに「冷遇」は「正当/不当」に関与しないという事がわかります。
では他の例を挙げましょう。
・可愛いから運動系部活でレギュラーになれた
・金持ちだから絵画コンクールに入選した
・イケメンやから大盛にしとくわ!(関西)
これらは不当ですよね。共通点は「属性によって優遇」ですね。
・良い成果を上げたので昇進した
・資格を持っているので手当がついた
・人助けをしたら賞賛された
これらは正当です。こちらも共通点は「属性によって優遇」です。
では次に「優遇/不遇」を混ぜて不当と思われる具体例を並べましょうか。
・女性という理由で会社を落とされた
・黒人だという理由で捕まった
・賢いからと殴られた(実話)
・可愛いから運動系部活でレギュラーになれた
・金持ちだから絵画コンクールに入選した
・イケメンやから大盛にしとくわ!(関西)
これらが不当ですね。正当も並べます。
・勉強ができなかったので大学に落ちた
・犯罪者という理由で捕まった
・ボクサーだからと試合で殴られた
・良い成果を上げたので昇進した
・資格を持っているので手当がついた
・人助けをしたら賞賛された
これらを並べて比較してみるとふたつの考察が浮かび上がってきました。
ひとつめは「属性」についてです
「不当」なものは人種や性別、才能といった「先天的な属性」もしくは誰かが主観的に評価を下したあいまいな「明確でない属性」であり
「正当」なものは行動によって得た「後天的な属性」もしくは客観的に定められた一定の基準を満たしたという「明確な属性」です。
もうひとつは「過程」についてです
「女性」だから「落ちた」、「黒人」だから「捕まった」、「イケメン」やから「大盛」と「関係ないやんけ!」と言いたくなるような過程でつながっていますね。
要するに『「属性=根拠」と「待遇=結果」との「過程」に論理的整合性があるかどうか』で「正当/不当」が決まるということです。
・勉強ができなかった(根拠)ので合格基準点に達せず(過程)大学に落ちた(結果)
・女性なので(根拠)体力が男性に比べて低い可能性が高く(過程)採用しなかった。
前者は論理的整合性があり、後者は「可能性が高いだけでその個人の体力を評価していない」ため論理的整合性に欠けます。
よって前者は「正当(良い差別)」であり、後者は「不当(悪い差別)」であるということですね。
これですっきりと考えられるようになったのではないでしょうか?
では次に行きましょう
3.スティグマとは
スティグマ(stigma)とは烙印、汚名、不名誉といった訳があります。
烙印とは、家畜や奴隷、犯罪者に熱した鉄のハンコを押して「所属や経歴や地位などを解るようにする」ものですね。
ここから生まれた比喩表現で、先ほどの説明に合せると「属性から論理をすっ飛ばして能力や扱いを決めてしまう」といったところでしょうか。
これは差別においてとても問題視されるものであります。
肩に「盗人の烙印」が押されていれば「こいつは窃盗の過去」があったんだとなるわけです。そして「盗人であるから悪人だ」だから「自分のものを盗まれるかもしれないから仲良くはしない」なんて考えますよね。
しかし例えば、「その盗人は真面目で働き者だけれど、高齢で体力がなく大金は稼げない。自分の子は病気で死んだが、残された孫もまた病気のため、栄養をつけるために卵を1つだけ盗んで食べさせて、孫は元気になった。そしてそれ以降は盗みを行っていない」となるとどうでしょう?「良い人だ」と思う人もいるし、「支援しよう」と思う人もいるかもしれません。
まあこんな事は例外の例外で「どんな人にも理由があって良い人かもしれない」みたいな事が言いたいわけではありません。
しかしスティグマによって「属性」から「論理」をすっ飛ばして「偏見」で決めつけてしまって「差別」するのは良くないことですね。
要するに「偏見」や「思考停止」で楽をしてしまうのではなく、「論理」をもって「倫理」を添えて考えるべきだという話なのです。
もう「正当/不当」をみなさん振り分ける事ができますよね?では本題の「ルッキズム」の話をしましょうか。
4.ルッキズムとは
ルッキズムの意味は「look=見る」、見た目による差別のことです。これは不当な差別の臭いがしますし、多分ダメですよね。
でもちょっと考えて欲しいんです。
・太っているから会社に受からなかった
という例があったとします。これは悪い差別でしょうか?
その会社が工場で基本的に誰とも会話することなく、ベルトコンベアを流れる機会に部品をひとつ組み込む、これを繰り返す。という仕事である。
これなら明らかに不当ですね。見た目は全く関係ありません。
次に、その会社は配管工事を行っていて、床下や壁の隙間に潜り込んで様々な作業を行う。太っていては作業以前にそこに入れないので仕事にならない。
これならどうでしょう?正当ですよね。仕事ができない人を雇うわけにはいかない。
実際には見た目で会社を落とされたり、学校の成績を下げられたり、部活でレギュラーになれなかったり、いじめられたり、ルッキズムによる悪い差別は山ほどあります。
しかし「美しさ」をもって「美しさ」を競う「ミスコン」は差別でしょうか?「美しさ」が主観でしか測れないものなので「明確」ではありません。
そのため多くの人に投票をしてもらうといった方法を用いて正当性を上げる努力をします。それにそれは内容の質の問題であって、「ミスコン自体が正当か」という事には関わりません。
他にも「筋肉美」をもって「筋肉美」を競う「ボディビル」は差別でしょうか?
「バレエ」はどうでしょうか?「体操」は?「シンクロナイズドスイミング」は?それを言い出したら全ての採点競技は「差別」になります。
「ルッキズム」という名前がついてしまえば思考停止して「正当な評価」までをも差別として扱う、そんな危険がそこには含まれていると私は思います。
むしろ「ルッキズムは差別でだめなんだから見た目によって扱いを変える事は全てだめ」ってのはまさに「論理的整合性」を無視することであり「スティグマ」です。
もちろん競技や大会では、参加者自らが評価・品評されることに同意しているのは言うまでもありません。
さらにこんな恐ろしい事を言う人までいるんですよ。
個人の好み、「思想の自由」までをも奪おうと言うのです。「ルッキズム」が後ろ盾にあればなんでもありです。本当に恐ろしい。
5.混同される正当/不当な差別
ここまで話すと皆さんの中で「正当」と「不当」が分かれてきたものだと思います。
しかしツイッターで「差別反対」を謳う人を観察してみて下さい。恐らく私の言った基準で「良い差別」と「悪い差別」に分けてはいないと思います。
おそらく多くの人は「冷遇=悪い差別」「優遇=良い差別」と語っている場合が多いのではないでしょうか?
おそらくは自分の不遇な状況を「冷遇」としてとらえ、それが「不当か正当か」に目をつむって、「差別」というパワーワードを用いれば鬱憤を晴らすことができるというような思考の人もいると思います。
しかし、当然ながらそれが「正当な評価」であれば悪い差別とは言えず、むしろ批判や反論の嵐が襲ってきてしまうだけです。
見た目においても、異常な遺伝子を避けるため、健康な異性を選ぶため、病気が疑われる人を避けるため、といった生物学的に合理的な理由で「見た目の良さ」を人は判断していると言われています。
医学においても「視診」という言葉があり、健康状態を見極める際の重要な材料になっています。
余談ですが「トライポフォビア(集合体恐怖症)」というものをご存じでしょうか?蜂の巣とか蓮の実とかの小さな穴が集まったものに嫌悪を示すものですが、多くの人が苦手ですよね。
あれは天然痘などの皮膚にブツブツやボコボコができる感染症を持つ人に近寄らないために、本能的に避けることが理由と言われています。
このように「見た目の好み」や「美しさ」にはそれなりの理由がありますし、文化的背景も含めればその価値観を変える事は難しいです。
これに「差別」と叫んで攻撃しても、自分が「優遇」されることはまずありません。
見た目以外の事を努力して評価を得られるようにしたり、その能力を見た目と関係なく発揮できることを示して偏見を解いたりすることが大切です。
また、自分が短絡的な思考で、スティグマを振りまいてしまうことは、知らない間に誰かを不当に冷遇してしまっている可能性は高いです。しっかりと考えてスティグマをこの世からなくしていく事が大切でしょう。
6.優遇ならいいんじゃない?
私は不当であることを問題にし、スティグマを排除すべきと言ってきました。
でも「不当であれ優遇されるならそれは良いのではないか?」と思う人もいるかもしれません。
私はこれを許しません。なぜなら日本の衰退の原因のウェイトの多くをこれが占めていると考えているからです。
「不当な優遇」はその個人で見ると世の中においてプラスをもたらします。しかし、どんなものにも枠や上限があり、パイを「不当に奪う」ことと言い換える事ができます。
それは「不当な冷遇」をそれ以外の人にもたらすということです。
「私はしてないから大丈夫」と思っていますか?
しかしこの世には「ハロー効果」という恐ろしい心理学的効果があります。
ある対象を評価する時に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる(認知バイアス)現象のこと。
簡単に言うと「お医者さんが言ってるから信用できる」「流行ってるんだから良い商品だ」「歴代最高の興行収入を得た作品なんだから最も面白い漫画だ」「イケメンだから歌がうまい」「ジャ〇ーズなんだからイケメンだ」こんなような事を無意識に思ってしまうわけですね。怖い怖い。
このようにして「不当に優遇」されたものたちの裏にどれだけたくさんの「正当な評価を得られなかった」ものがあるのでしょうか?
それらが日の目を浴びていれば、どれだけ多くの喜びをたくさんの人に与えられたのでしょうか?もっと幸せな世の中になっていたかもしれませんね。
ルッキズムでも同様ですよ。
「そこそこに美しい人」が「太っている」という理由で「不当に優遇」されて仕事が増えたとします。そうすると「本当に美しい中肉中背の人」の仕事がなくなって困っているかもしれません。
「本当に美しい太っている人」を使えばいいんです。美しさじゃなくて「面白さ」や「キャラクター」や「特異な顔つき、骨格」やなんでも他の理由で評価されてる人でもいいんです。
「正当に評価」されることが重要だというだけなんです。
引用:日本橋ヨヲコ 「G戦場ヘヴンズドア 3」
「マンガをマンガ以外に使ってはいけない」し「マンガをマンガ以外で評価してはいけない」ということですね。
言葉にすれば実に簡単な話です。
自分たちに「正当に評価」する力が本当にあるのでしょうか?まずそれを疑って欲しい。
私は誰にもそれは備わっていないと思っています。そのため「正当な評価」を下すために努力し、自分を疑うことで相手の意見を聞き入れる事もできる。
7.最後に
医療従事者にとって現代では「EBM(evidence-based medicine)」という価値観が重要視されています。
これの意味するところは「科学的根拠に基づいた医療」であり、そのため最も大切にされていることのひとつは「評価」と私は考えています。
「評価」さえ正しく行う事ができれば、患者さんにとって何が必要か、何をどうすればいいか、この先どうなるかが解ります。「評価が全て」と言ってしまっても過言ではありません。過言ですけど。
先ほどのよう「不当に優遇」したらどうでしょう?「元気そうやから大丈夫やね!(診断)」これが原因で死ぬこともあるでしょう。
しかし「痛みの有無」「痛みの程度」「痛みの種類」や「感覚」、「気持ち」、「幸福度」といった様々な「主観的情報でしかないもの」をもって「正しい評価」を下さなければならない場面があります。
そのためそれらを測るために様々な方法が考えられて、見た瞬間感動すら覚えたものもたくさんあります。先人たちは本当に素晴らしいし、私も歯車のひとつとしてでも新しい「評価法」を作らなければならないと日々考えています。
なんだか私の医療関係者としての自分語りになってしまいましたが、本当に伝えたいことはこうです。
〇まとめ
「属性」を目にしたときに「論理」を用いずに短絡的に「不当な評価」を行い「差別」してはいけない。
曇りなき眼でその人自身を見つめて「正当な評価」を下し、「正当な対応」をする。そのための努力をすべきである。
前回のnoteでも書いた内容ですが、あれからそれほど時間が経っていないのにも関わらず「小児性愛者は犯罪者予備軍やから怖い。そんな奴に人権を与える必要なんかない。とりあえず病院に遅れ」みたいなことを見て、またひとつ心が痛みました。
もう20年くらい「僕たちが目指した素晴らしい世界まであとどのくらいなのだろう」と思いながら生きています。
そこにたどり着くことは決してないかもしれません。
しかし、そんな世界を作る意思を持って、周りの人を少しでも幸せにして、自分も少しでも幸せになって、一歩ずつ近づけたらと踏みしめながら歩いています。
青臭いことを言って恥ずかしくなったのでこのへんで。相も変わらず長文失礼しました。
ではまたいつか。
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