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小児性愛を差別するな

先日「性的同意年齢」についての法改正についての議論が起こり、一人の男の発言を受けてここぞとばかりに多くの人がそれを批判した。

その内容は「おっさんと子供がセックスしたら捕まるのはおかしい」という内容であり、「性的同意年齢」の話を抜きにしても他の法律や条例において罰則が設けられていることなので批判は当然である。

しかし、批判だけならまだしも、彼の人格を否定するような発言を重ねて誹謗中傷しても良いものなのだろうか?

私は「ロリコンは病気だ」「精神病院にぶち込め」「犯罪者予備軍だ」のような言葉をたくさん見かけた。以前の小児型ラブドールの件でも同様の言葉をたくさん見かけた。

それについて「小児性愛障害という病気があるのだから事実であるため問題ない」というロジックを振りかざす人が多くいる。

その障害があることは事実であるが、そのロジックは間違っている。それについて今回は書いていきたい。

いつもは感想文だのなんだのであったが、今回は医療関係者の端くれとして、差別に立ち向かうものとして「解説」と「願い」という形で進めていきたいと思う。

ではスタート




1.病気?障害?

みなさんは「病気」って何か考えたことがあるでしょうか?この言葉って人によって範囲がかなり違ってくると思います。

いわゆる「内科的疾患」のみを病気とイメージする人もいれば、「骨折」を病気に含める人もいますし、「メタボ」を病気に含める人がいたりいなかったりします。医学的には「疾病(しっぺい)」「疾患」という言葉を用います。

「疾病・疾患」は「外傷」(ケガのこと)を除いた「体が悪い状態」を指すとでも思ってもらったら良いと思います。

その中で「原因がはっきりしているもの」は「〇〇病」「〇〇性疾患」等の名前がつき、「原因はわからないけどこれこれの症状が出るよねーってもの」には「〇〇症候群」という名前がつきます。

要するに「原因がわからないんだから疾病・疾患かどうかはわからんねんからその名前は付けられへんよな」という科学的に潔い分け方になっているわけです。当然「症候群」から「疾病・疾患」になったものもあります。

では「障害」はどうでしょうか?

「障害」は英語で「disorder」と表現されます(「disability」や他の表現もある)。色んな訳し方ができますが「乱れている」「整っていない」くらいの意味で良いと思います。

そのため、例えば「手が動かない」場合は「運動障害」という表現になり、症状のひとつになります。

身体においては大きなくくりとして「疾病・疾患」「外傷」「症候群」があり、それらの「症状」のひとつとして「障害」があるというイメージでしょうか。

もちろん「障害」が単体で出現する場合もあり、その場合は「〇〇障害」と表現されることになります。

では「精神」においてはどうでしょう?

「こころ」って目に見えませんし、手に触れることもできません。だから「原因がはっきりしているもの」はあり得ません。そのため精神における病は「症候群」「症」「障害」という名前になります。




2.障害って何?


この項では「障害」をもう少しつきつめて考えていきます。「障害」って言葉もおおざっぱで核心をつきにくいと思います。

医学的には「機能」「能力」「参加」と分けて考えることがあり、それぞれの言葉に「障害」がつくと内容が変わってきます。

例を挙げると「指が動かない」とすると「指の機能障害」になり、それが原因で「字が書けない」となると「書字能力障害」になります。さらに字が書けないことで「学校で授業を受けられない」となると「参加制約(障害)」になります。

では指が正常に動く子で「字を覚えていない」ならどうでしょうか?「機能障害」はないけれど「能力障害」があることになりますね。

では指が正常に動いていて字もしっかり書けるけれど、家にお金がなくて親が働かせようとしていて「学校に行けない」としても「参加制約」になりますね。

ひとことに「障害」といっても「できない」といった意味で、何が原因で「できない」のかはわかりません。

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出典:冨樫義博 『HUNTER×HUNTER 33』

そのために「障害」を説明する時「生きづらさ」と表現したり、言い換えたりすることが多いです。

では次に障害に対してどのようなアプローチをするか見ていきましょう。



3.個人モデル、社会モデル


障害を、生きづらさを取り除くためにはどのようにすればいいでしょうか?

先ほどの例で言うと「指を動かせる」ようにすれば良いですね。

ではそれができなければどうしましょう?それなら「手首に固定できる鉛筆」などを用いて指が動かなくても字が書ける道具を使いましょう。

では腕も動かなくて、字も覚えられなければどうしましょう?それなら音声認識ができる文字入力ソフトを使いましょう。

このように生きづらさの原因、理由とその解決を「障害がある人」に求めていく方法を「個人モデル」と呼びます。「医学モデル」とも言います。

ではさらに静かにしなければいけなくて、音声入力が不可能ならどうしましょう?これは困りましたね。この解決法はそれを使ってもよいように変えていかなくちゃならない。

そもそも論で言うと、学校に行くためには「文字を書けなければいけない」のでしょうか?別に書けなくても問題ないですよね。今時タブレットなりなんなりありますし。

学校は勉強に行く場であり、それが「目的」なのでその「手段」のひとつが使えなくても別の手段を用いればよい。

このように生きづらさの原因、解決を「環境」や「社会」に求めていく考え方を「社会モデル」と言います。

この考え方は発達障害を考えていく上ではとても重要で、社会モデルを理解せずに発達障害は理解できません。

例えば「ASD」はこだわりが強く、多くの人とのコミュニケーションを苦手としています。(説明は簡略化しているのでちゃんと調べて正確な知識を身につけてください)

全世界の人々がこだわりが強くて、コミュニケーションを必要としなければどうでしょうか?なんの「生きづらさ」も「障害」もありません。

「LD(学習障害)」ではどうでしょう。これは知的障害を伴わない計算や書字、読字が苦手な障害です。

全世界の誰一人として計算も文字も使えなければ問題ないですね。

要するに「他人とは違う」「レアケース」が理由となり「生きづらさ」があれば「障害」になるという話です。

これらを治すことはできないし、治すものでもない。ただ生きづらさを解消するために社会や環境を変えていこうという事になります。もちろんそれによって多くの人が生きづらくなるべきものでもありません。

このような考えが「合理的配慮」となるわけですね。

よって改善が可能な、改善すべき「障害」であれば「個人モデル」に基づいて治療しましょう。しかしそれと同時に「社会モデル」の視点も持ってその人の「生きづらさ」自体へのアプローチも考えるべきです。

とってもいい加減な言い方をすると「ハッピーならそれでいい」になります。

これは医療や福祉に携わる人であれば、現代においては当たり前の話となっています。

4.小児性愛障害って何?

「障害」とはどういうものかイメージができてきたと思います。では「小児性愛障害」について見ていきましょう。

「明確な定義」というものはないので、ここでは「診断基準」を見ていきたいと思います。

当然ながら「診断」ができるのは医師だけであり、素人が勝手に判断して良いものではありません。大前提です。

「どのような材料を持って判断しているのか」を少し見て、正解に近いイメージを沸かせましょう。

MSDマニュアルにはこう記載されています(DSM-5に基づく)

・思春期前の小児(通常13歳以下)を対象とする性的興奮をもたらす反復的な強い空想,衝動,または行動が6カ月以上にわたり認められる。

・本人が衝動を行動化しているか,その衝動および空想によって著しい苦痛または機能障害が生じている。そのような衝動または行動に関わる苦痛の経験は診断の要件とされていない。

・本人が16歳以上で,かつ空想または行動の対象である小児より5歳以上年長である(ただし,12~13歳の小児と持続的関係をもっている年長の青年は除く)。

(引用:MSDマニュアルプロフェッショナル版,小児性愛障害.)

これら3つが揃って初めて診断されることになります。

これらをよく読んでどのような人が診断されるかそれぞれ考えて欲しいのですが、あえて簡単に言うと「少年少女を性的対象とした大人がその妄想や衝動によって苦しんでいる、または行動に移してしまう」ことで診断されると思われます。

ここから考えられるのは「行動にうつさない」また「小児性愛に苦しんでいない」場合は「小児性愛障害ではない」ということです。

要するに「小児性愛=小児性愛障害」ではないということです。

さらに言うなら「小児性犯罪者(チャイルドマレスター)」は「小児性愛障害」になり得る「小児性犯罪者=小児性愛障害」ではないということにもなります。

「小児性犯罪者」、「小児性愛障害」、「小児性愛」これら全ては違うものであり、「小児性愛」とひとくくりにして混同して良いものではないということが分かったと思います。



5.どのようにアプローチしよう?

個人モデルで考えると「行動に移す」ことと「苦しみ」を取り除けば良く、社会モデルで考えると「小児性愛を法的に認める」というわけにはいかないため「小児性愛者の苦しみが軽減される社会をつくる」ことが回復になります。

要するに「小児性愛者でなくす」ことが回復ではありません。本人がそれを望むのであればもちろんその限りではないでしょうが。

ところで、精神障害に対する画期的な治療法として過去にノーベル賞をとったものがあるんですが皆さんはご存じでしょうか?

「ロボトミー手術」と言います。

これは額に穴を開けて脳(前頭葉)の一部を切り取る外科的手術を行うことで、妄想や幻覚、不安、興奮状態といった症状を抑えることが可能になりました。

しかし、無気力になったり、意欲が低下したり、感情を表さなくなった人もたくさんいたそうです。当然現在ではこの手術は禁止されています。

これを用いれば小児性愛者じゃなくすことができるかもしれませんね。それをあなたは望みますか?

話を戻すと、個人モデルで具体的には「性欲を抑える働きのある薬を飲む」や「衝動をコントロールする訓練」を行ったりすると思います。

社会モデルでは「差別しない」ことや「その性的嗜好を違ったかたちで発散させる」ことが生きづらさの解消につながるかもしれません。

「ロリコンは病気だ」「精神病院にぶち込め」「犯罪者予備軍だ」といった言葉を投げかけることはどうでしょうか?生きづらさの解消に繋がるでしょうか?



6.あなたは差別しますか?

ここまで読んで、一般レベルの賢さと倫理観を持ち合わせている人ならば「小児性愛者」を差別することはないと思います。

それを理解できずに「気持ち悪い」と思ってしまうことがあっても、それを汚い言葉に変換して投げかけるようなことはあり得ないと思います。

では「小児性愛障害がある人」に対してはどうでしょうか?

それは病気ではありませんし、小児性犯罪者である場合を除けば生きづらいというだけです。

当たり前ですけど、全てが平均的で生きづらさを全く感じない人間なんてほとんどいませんよね?

別のnoteで書きましたが、私は常にコミュニケーションに違和感を抱えており、それがとてもストレスになっています。それも程度に差はあれど普通の事ですよね?

さらに小児性犯罪者なら誹謗中傷しても良いのでしょうか?

法律は多くの人の生きやすさのために罪と罰を決めているものであって、その行いが悪というわけではありません。そして法治国家において私刑は認められていません。

「理解できないから」といって不安になったり、恐れてしまったり、その結果攻撃的になったりすることは理解できます。

それでは「他人を理解する」事は可能でしょうか?私はできないと思っています。

たまたま大部分を理解できる人間(仲の良い親兄弟や家族、気がとても合う友人)がいたりいなかったりするだけで、本質的には理解できないことが普通です。

ではどうしましょうか。それは「理解できない事を理解する」ことが必要ですし、またそれだけで大丈夫だと私は思っています。

そうすれば、少なくとも「理解できない」事を理由にして他者を攻撃することはなくせると思います。

一見、これは難しいようでとても簡単な話だと私は思っています。

自分が生きづらさを抱えているように、他人もみんな生きづらさを抱えている。

自分が幸せになりたいように、他人もみんな幸せになりたい。

だから自分を含めた他人が、他人を含めた自分たちがお互いに幸せになれるような行動をする。

そのために「理解できないことを理解する」「理解しようと努力する」「理解するために正しい知識を身に着ける」それだけのことだと思います。

最初に書いたようなひどい言葉を投げかけた人のプロフィールには「平等」や「差別反対」と書かれている事が多かったです。

心が破けてしまいそうな気持ちになりました。

それでも私は多くの人が幸せになれるような世界を構築できるよう願っていますし、努力していきたいと思います。

相も変わらず長文を読んでいただきありがとうございました。

それではまたいつか。愛をこめて。

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