二人はともだち(グロスマンとプラトーノフ)


グロスマン『トレブリンカの地獄』、赤尾光春さんの解説より


唐突に、しかもこういう形で、自分の担当している作家と出会うことは嬉しい。『黒書』というのは、グロスマンらソ連のユダヤ人作家たちが中心となって、ナチ・ドイツがユダヤ人に対して犯した犯罪をまとめた本(当時は結局出版できなかった)。ソ連でも反ユダヤ主義は根深かったから、非ユダヤ人作家は危うきに近寄らない人が多かった中で、アンドレイ・プラトーノフただ一人がこのプロジェクトへの協力を快諾したという。

それが「正しいと思ったから」というだけではないだろう、たぶんグロスマンの友人だったから「当然」協力したに違いない。「グロスマンに言われたら断れないよ」、と。それは輝くような美質だと思う。リスクを考慮した上で「でも、やる」よりも、リスクはあるかもしれないが「やるのが当たり前だし…」ははるかに強い。そもそもやらないという選択肢さえないかもしれない。鶴見俊輔はこのことを「やくざの仁義」と言っている。損得勘定を越えて、この人に頼まれたらやらざるを得ないという巻き込まれ方のことである。

自分が打ち込んでいる対象の人の、こういうささやかなエピソードを知ることは嬉しい。信頼に足る人であった、偉大な作家である以前にすぐれた人間であったことがわかるから。

自分もこのような人でありたいものだけれど、いつも立ち止まって損得勘定してしまっている。このような人の自然な振る舞いに勝てるわけがないのだ、計算をしてしまうわたしのような人間が。

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