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クラブ設立20周年記念OBマッチ出場選手の在籍時の記録を見てみよう


序文

2024年でクラブ設立20周年を迎える徳島ヴォルティス。
それに伴い設立日である9月10日の前後3試合を20周年記念試合と銘打ち様々な企画が計画されている。
そのうちの一つとして、8月31日の清水エスパルス戦の前座としてOBマッチが開催されることになった。

20年の歴史の中で徳島ヴォルティスを応援し始めた人も様々で、アマチュア時代やJリーグ参入初期から長く応援を続けている人も入れば、最近応援をし始めた人もいれば、徳島ヴォルティスがJリーグに参入した時にはまだ生まれていなかったというような人もいるだろう。

そこで、より多くの人にOB戦を楽しんでもらいたいということで本記事でOB戦に出場する選手の現役時代のスタッツをまとめOB戦の予習をしていきたいと思う。

それでは始めていこう。

※以下敬称略

OB戦出場選手戦績

まずはOB戦に出場する選手監督を確認しておこう。


プロフィール

このうちJFL時代から所属していたのが5人
片岡功二
大場啓
石川裕司
林威宏
大島康明

このうち新卒で徳島に加入したのが6人
天羽良輔
佐藤晃大
藤原広太朗
佐々木一輝
木下淑晶
吹ヶ徳喜
JFL時代も含めれば片岡功二、大場啓、林威宏も新卒加入。


所属時期

各選手の所属時期がこちら

参加する28名で2005年~2023年の19年間全てのシーズンを網羅しており、バランス良くメンバーが集まってくれた。
Bチームは全員が2013年に所属していた選手となっており、Aチームがそれ以外の期間のメンバーで構成されている。

挽地祐哉は2005年のオリジナルメンバーで一度も移籍せず最も長く在籍した選手。
途中移籍を挟んだのも含めれば羽地登志晃がオリジナルメンバーで一番最後まで所属していた。

参考として柿谷曜一朗、長谷川徹、岩尾憲の所属時期を記載しているが、
柿谷曜一朗と一緒にプレーしたのが27人中11人
長谷川徹と一緒にプレーしたのが27人中19人
岩尾憲と一緒にプレーしたのが27人中9人
となっている。


年齢

青背景が在籍時

表一番右が2024年の年齢

最年長は1976年生まれの大場啓と林威宏で今年48歳
最年少は1997年生まれの吹ヶ徳喜で今年27歳
したがって最年長と最年少の年の差は21歳となる

片岡功二と大場啓は吹ヶ徳喜が生まれる1年前に徳島ヴォルティス(大塚製薬)に入団している。

青山隼と島屋八徳は岩尾憲、永木亮太と同い年(同学年)
藤原広太朗は柿谷曜一朗と同い年。

以下は徳島ヴォルティスでリーグ戦に初出場した年齢と最後に出場した年齢。

所属時の年齢が一番高いのは石井秀典の38歳(2023年)
一番若い年齢で所属していたのが青山隼の21歳(2009年)
JFL時代も含めれば片岡功二の19歳(1996年)が最も若い。

初出場から最終出場までの期間が最も長いのが佐藤晃大で13年4ヶ月27日。
記録を見つけられなかったので大塚製薬時代の片岡功二の初出場が何月何日かは分からなかったが、1996年の開幕戦が4月21日なので仮にその日だとして最終出場までの期間は13年7ヵ月8日。

徳島ヴォルティスでJリーグ初出場を果たしたのが11名
徳島ヴォルティスでの出場がJリーグ最後の試合だったのが15名
となっている。


背番号

所属時の背番号がこちら
同じ背番号は同じ色をつけている。

18番は2008年(高橋健史)と2023年~(エウシーニョ)以外の17年間を付けてきた3人が同じピッチで同じ18番をつけてプレーすることになる。

徳島ヴォルティスのエースナンバー11の像を作り上げてきた片岡功二、津田知宏、島屋八徳や、16番の11年間を2人で背負った挽地祐哉と斉藤大介の競演も見どころだ。


キャプテン

OB戦のメンバーには歴代キャプテン12人のうち5人が名を連ねている。
岩尾憲と永木亮太は現所属のため、この日は7人の歴代キャプテンがポカリスエットスタジアムのピッチに立つ可能性がある。

誰がキャプテンマークを巻くのかというところも注目である。


出場試合数

リーグ戦出場試合数がこちら
最も多く出場しているのが佐藤晃大で205試合
木下淑晶はリーグ戦の出場は0だがカップ戦を含めれば4試合に出場している。

佐藤晃大が出場試合数歴代3位
石井秀典が4位
藤原広太朗が5位
津田知宏が6位
羽地登志晃が7位
アレックスは外国籍選手の中で現在の最多出場選手である。

羽地登志晃は2005年、2006年、2009年の3シーズンでチーム内最多出場、うち2009年は全試合出場
上野秀章は2009年にチーム内最多出場&全試合出場
衛藤裕は2011年のチーム内最多出場
藤原広太朗は2013年のチーム内最多出場&全試合出場

羽地登志晃は2006年の最多スタメン選手
上野秀章は2009年の最多スタメン選手&全試合スタメン出場
三木隆司は2011年の最多スタメン選手
藤原広太朗は2013年の最多スタメン選手&全試合スタメン出場
藤原広太朗は大卒ルーキーにしてJ1初昇格を果たしたシーズンに全試合スタメン出場を果たしている。

大島康明は途中出場数が2006年の17試合と2008年の19試合で各年のチーム最多。


出場時間

クラブ歴代出場時間で
藤原広太朗が3位
石井秀典が4位
羽地登志晃が5位
津田知宏が7位
三木隆司が8位
福元洋平が10位
となっている。

上野秀章は徳島ヴォルティスの歴史で未だ2人のみの全試合フルタイム出場を果たした選手のうちの1人であり、GKでは唯一の選手である。
他にも2006年は羽地登志晃が、2013年は藤原広太朗がチーム内最長出場選手となっている。


得点数

リーグ戦得点数がこちら
高崎寛之は9得点中7得点が2014年J1での得点。
これは2021年の宮代と同じ数字であり、初のJ1での戦いに大きな力となった。

津田知宏のリーグ戦48点は得点数歴代1位
カップ戦を含めた公式戦通算では54得点。
羽地登志晃が歴代3位
佐藤晃大が歴代4位

羽地登志晃は2005年~2007年と2009年の4回チーム内最多得点。
津田知宏は2010年、2012年、2013年の3回チーム内最多得点
うち2010年はJ2得点ランク2位タイであり、日本人選手トップ。
佐藤晃大は2011年のチーム内最多得点。
高崎寛之は初のJ1だった2014年にチーム内最多得点。

2010年の津田知宏は16得点で1年間でのリーグ戦得点数歴代3位
出場90分あたりの得点数0.59は歴代1位の2017年渡大生と同じ数字である。

佐藤晃大の得点を挙げたシーズンが6年というのは岩尾憲と並びクラブ歴代最多タイ。

徳島ヴォルティスのJリーグファーストゴールを挙げたのが大島康明。
徳島ヴォルティスのJ1ファーストゴールを挙げたのが高崎寛之。

徳島ヴォルティスの公式戦通算300ゴール目は2010年第27節東京ヴェルディの津田知宏。

徳島ヴォルティス所属後に徳島ヴォルティス戦で得点を挙げた選手がこちら

やはり最も注目すべきは2010年当時ギラヴァンツ北九州に所属していた大島康明のハットトリックだろう。
この試合は筆者もスタジアムで見ていたが、相手選手のハットトリックにサポーターから拍手が起こるというのは後にも先にももうないだろうと思う。


アシスト

transfer markt参照

衛藤裕は2011年の5アシストがチーム内トップ。
高崎寛之、津田知宏、アレックスは2013年の4アシストがチーム内トップタイ。
佐々木一輝は2014年の3アシストがチーム内トップタイ。
藤田征也は2020年の9アシストがチーム内トップで、1年間のアシスト数でクラブ歴代5位。
島屋八徳は2017年の8アシストが1年間のアシスト数でクラブ歴代6位タイ。

津田知宏のクラブ通算15アシストはクラブ通算アシストランキングで5位。
藤田征也のクラブ通算13アシストはクラブ通算アシストランキングで8位。


勝利数

出場した試合のリーグ戦勝利数がこちら
最も勝利した試合に出場しているのは石井秀典で88勝、勝率は45.8%。

クラブ歴代勝利数で
石井秀典が2位
佐藤晃大が3位
藤原広太朗が5位
津田知宏が6位
三木隆司が9位
となっている。


ゴールキーパー

GKのシーズン別スタッツがこちら

最初期を支えた島津虎史とその後を継いだ上野秀章、出場こそなかったものの6シーズンにわたりクラブの勝利のため共に戦った阿部一樹の3人がOB戦に出場する。

特筆すべきは2009年の上野秀章だろう。
20年の歴史で最多の試合数だった51試合を全試合フルタイム出場し595本ものシュートを浴び、被シュート数あたりの失点数8.7%はそのシーズン20試合以上出場したGKのなかでは2011年のオスンフンに次ぐ歴代2番目に少ない記録。
クリーンシート19試合も1年間で記録したクリーンシート数としては歴代1位。
ビッグセーブで幾度となくピンチを救った姿が鮮明に焼き付いているサポータも少なくないだろう。

各GK累計記録がこちら

島津虎史の被シュート数936、失点数130はどちらも長谷川徹に次ぐ歴代2位。
クラブがJリーグに参入して最初の4年、暗黒期とも言える時代を支えた功労者の苦労が見える。


その他

毎年サポーターが選ぶMIP
今回のOB戦に出場するメンバーでは2005年の初代MIPが片岡功二
津田知宏は2010年と2013年の2度MIPを受賞している。

同じくサポーター投票で選出されるベストゴールアワード
津田知宏が2度受賞しており、
2011年第21節東京ヴェルディ戦の後半アディショナルタイムの得点
2013年第32節栃木SC戦31分の得点

他にもアレックスが2019年にJリーグ功労選手賞を受賞している。


まとめ

得点関与数は得点とアシストの合計

総監督

徳島ヴォルティスをJリーグに昇格させた監督でありJリーグでの初代監督である田中真二がOB戦の総監督を務める。
1年9ヶ月の任期で18勝24敗41敗。
Jリーグ初年度で9位は大健闘であると言えるし、2年目である2006年は途中解任されたとはいえ平均勝点0.67で、以後の2007年と美濃部体制1年目の2008年はともに平均勝点0.69とほぼ変わらない数字のため、クラブ規模的に難しい時代のなかで十分に健闘してくれた監督である。


結文

明確な記憶ではないため定かではないが、筆者が一番最初にサインをもらった選手は挽地祐哉だったと思う。
貰ったと言っても直接書いてもらったわけではなく、昔は試合前にスタンドへサインボールを投げ入れていて、バックスタンド芝生席の端っこで座ってたら周囲に誰も居なかったので自分めがけて投げてくれたのを記憶している。

こういった選手たちがOB戦という企画に集まってくれることが嬉しいし、もう一度徳島ヴォルティスのユニフォームを着てプレーしてくれることがとても嬉しい。

なかなか昔の試合映像を見る方法がないこともあり、最近応援し始めたサポーターたちにとっては知らない選手もいることだろう。
ぶっちゃけ筆者も最初の4,5年は年間数試合程度しか見ておらず、明確に各選手のプレースタイルやチームのことを覚えている訳ではない。
大場啓や石川裕司ってどんな選手だった?と聞かれても困る。
なんとなく試合に出てた記憶があるくらいのレベルである。
筆者より詳しい人はいくらでもいるだろうと思う。
なので知っておく必要なんて全くないのだが、彼らの活躍がなければ間違いなく今の徳島ヴォルティスはないし、彼らが繋いできたバトンの現在の走者が今の徳島ヴォルティスの選手たちである。
だからこそぜひ今回のOB戦で徳島ヴォルティスの歴史を作ってきた選手たちのプレーを多くの人に見てほしいと思う。

そして将来またOB戦をする機会があったとして、こうやって選手たちが集まってくれるクラブであってほしいと願う。


佐藤晃大についてはこちら

石井秀典についてはこちら



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