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石井秀典が教えてくれたこと


序文

2023年11月1日午後5時55分、石井秀典の現役引退が発表された。

チャンさんの愛称で親しまれた石井秀典。
プレーだけでなく人柄やプロとしての姿勢はサポーターに愛され、多くの若手選手にとって素晴らしい手本であり続けた。

本記事ではそんなチャンさんが徳島ヴォルティスに残した功績を辿っていきたい。

※この先に出てくるデータは全て2023シーズン終了時点のものになります

徳島ヴォルティスでの出場記録

まずは徳島ヴォルティスでの出場記録を見ていこう
主な出場記録をまとめたのが下表

ここから各数字の徳島ヴォルティスにおける順位を見ていきたい。

【在籍年数】
徳島ヴォルティスの在籍年数ランキングがこちら

※実在籍年数とはレンタルで出て徳島に所属していない年を除く在籍年数

石井秀典は歴代3位の9年間徳島ヴォルティスに在籍

【出場試合数】
出場試合数ランキングがこちら

公式戦通算204試合出場が歴代5位
Jリーグ通算192試合出場が歴代4位

・出場試合数
スタメン出場試合数ランキングがこちら

公式戦通算178試合スタメンが歴代4位
Jリーグ通算169試合スタメンも歴代4位

【出場時間】
出場時間ランキングがこちら

公式戦通算16,160分出場が歴代4位
Jリーグ通算15,288分出場も歴代4位

【勝利数】
出場した試合の勝利数ランキングがこちら

公式戦通算94勝が歴代2位
Jリーグ通算88勝も歴代2位


このように数字で見ても徳島ヴォルティスの歴史において石井秀典は非常に重要な選手であることが分かる。

ここからは石井秀典の功績を加入時から順に辿っていきたいと思う。


山形から徳島へ

明治大学から2008年に大卒で加入したモンテディオ山形では、1年目からリーグ戦36試合に出場するなど主力として7年間プレー。

2015年、30歳のシーズンに徳島ヴォルティスへと加入。
きっかけは当時徳島の監督だった小林伸二氏である。
小林伸二氏は石井の入団と同じ2008年からモンテディオ山形を4年間指揮し、J1昇格も成し遂げている。
プロ1年目から主力として起用してきた教え子をJ2降格から再起を図る徳島へと呼び寄せた格好だ。

自身をよく知る指揮官のもと、徳島1年目はリーグ戦31試合出場。
2年目は小林監督が退任したものの、監督に就任した長島裕明氏のもとでリーグ戦33試合出場。

小林伸二氏はまず組織的な守備を構築してからというスタイルであり、カバーリングやライン統率に長けた石井への信頼は高かったことは間違いない。
主力として徳島の守備を支えた2年間だったが、翌年から転機が訪れる。


クラブの方向転換

2017年、徳島ヴォルティスはスペイン人のリカルド・ロドリゲスを監督に迎えた。

昨年までの守備的なスタイルを捨て、ボールを保持してビルドアップするためGKやDFにも足元の技術やキックの質、ドリブルが求められる。

山形時代は詳しく知らないが少なくとも小林長島体制でプレーした6年間、プロ入り後多くの時間でそういった足元の技術を求められるチームではプレーしていないだろう。
そうなると自然に32歳ベテラン石井の立場は難しくなる。

2017年は足元の技術に優れる大﨑玲央などにポジションを明け渡し、リーグ戦わずか11試合の出場にとどまる。

筆者もこの時点で監督の求めるタイプではない石井はシーズン終了後に放出されてしまうのではないかと考えていた。


息づく経験

2018年もクラブは保持志向の色を強めていく。

しかしクラブも順風満帆とは行かない。
主力CBだった大﨑玲央が夏にJ1神戸へ移籍
新たに獲得したブエノは安定性を欠きレギュラー落ちなど不測の事態が相次ぐ。
SBの不足も相まってチームは3CBに変更。

不安定な最終ラインを立て直すべく買われたのが33歳石井秀典の統率力と経験値。
石井に加え藤原広太朗と井筒陸也というそれまで出場機会の少なかった3人による3CBは誰が呼び始めたのかは知らないがサポーターの間で鉄壁三銃士と呼ばれ、チームの守備は安定感を取り戻し19試合無敗というクラブ新記録を樹立した。

ヴォルスタのインタビューの中で
「"何かがすごいわけではないけど、こいつがいたら勝てる" そんな風に思ってもらえるようなプレーをピッチで表現したい。」
と語っているが、鉄壁三銃士とはまさにそういう存在だった。

最終的に石井は3CBの中央としてこの年リーグ戦28試合に出場し、昨年よりも出場試合数を大きく伸ばした。
全く異なるスタイルの中でも石井秀典がこれまでのキャリアで培ってきた経験値が無駄ではないことを証明する。


石井秀典の真価

スタメンへと返り咲いた石井であったが、2019年はヨルディ・バイスの補強やCBへコンバートされた内田航平の台頭により、序盤戦は再びスタメンから外れる。

しかし石井秀典はここから自らの真価を証明する。

先述した通り、2018年は主力の移籍やチーム状況の中でこれまで培ってきた経験値を活かしチームを救った。
とはいえ元々備えていた能力が活きる状況がやってきたことはラッキーでもあり、それが通用しない状況になれば競争に敗れ、去るしかない。
ベテランによくある末路と言えよう。

しかし石井は違った。

2019年、石井秀典のプレーは昨年までと比べて誰が見ても明らかなくらい違った。

積極的に縦パスを刺し、前が空けばドリブルで持ち上がる。
そういったプレーをかなり効果的に行えていたのだ。

思い返せば2018年にもそういったプレーにチャレンジする場面は見られた。
しかし成功率はそれほど高くはなく、岩尾やシシーニョがサポートするシーンが多かった。

正直なところ筆者も、チャンさんはそういうのいいから井筒か岩尾に預けておいた方がいいと思っていた。
ベテランだから、得意じゃないから、出来ないことはやらなくていい、その方がいいと決めつけていた。

石井ほどの選手なら、34歳にもなって新しいことにチャレンジなんかしなくても必要としてくれるクラブはあるだろうし、引退して次のキャリアのことを考える方が得策だとも考えられる。

でも違ったのだ。

石井はクラブが方向転換しリカルドがやってきてからの2年間、いままで経験してこなかった戦術、足りない技術、そういったものを若手のように吸収し、誰よりも成長していった。

そして2019年、34歳にして新たな花を開花させたのだ。

リカルド・ロドリゲス監督はそんな石井を元ブラジル代表のカフーに例え称賛した。

昨年までの中央ではなく3CBの右として、中央のバイスや左の内田裕斗が前線まで上がって行った時のカバーリングを主な仕事とし、時には自らパスを刺し、前線まで駆け上がって攻撃に参加する。
元々持っていた経験値と、新たに手に入れた攻撃面のハイブリッドにより石井秀典はその価値を高めた。

例えばホーム金沢戦28分のシーン

中央でボールをカットした石井はそのままペナルティエリア内へ侵入し、クロスに飛び込む。
昨年までの石井なら奪ってそのまま前線へ駆け上がるなんてプレーは想像もできなかった。

結果的にこの年は昨年よりも多いリーグ戦31試合(スタメン30試合)に出場
昇格プレーオフ、入れ替え戦も計3試合フルタイム出場を果たした。

どの試合かは定かではないが、この年どこかの試合で石井がヨルディ・バイスのように対角へロングフィードを蹴った。
結果は全然惜しくもなく通らなかった。
2018年の筆者なら、チャンさんはそんなの蹴らなくていいよと思っていただろう。
でもこの時の感情ははっきり覚えている。
チャンさんならきっと、あのロングフィードもそのうち通せるようになるんだろう、と。


祝福

石井秀典の何歳になっても成長し続ける姿勢は間違いなくクラブを強くしてきた。

驚くべきことに、2020年はリーグ戦39試合(スタメン29試合)に出場。
2017年に一度出場機会を失ったベテランが移籍することなく2018年以降毎年出場試合数を伸ばし、山形時代プロ1年目に記録していた出場36試合のキャリアハイを35歳にして更新した。

年度別の出場試合数がこちら

2018年も2019年も、ポジションを失ってからのスタートで、主力の怪我や移籍、システム変更の中で出場機会を得てチャンスをつかんだ。
しかし2020年はシーズン序盤から終盤までコンスタントにスタメン出場を果たし、自身の評価を確固たるものにした。

クラブは2度目のJ1昇格、初のJ2優勝と、この上ない結果を残す。

石井秀典があの時クラブの方向転換について行くのを諦めていれば
2018年の19戦無敗はあっただろうか?
2019年の入れ替え戦進出はあっただろうか?
そして2020年の優勝はあっただろうか?

掲げたトロフィーは紛れもなく自分自身の努力への祝福だった。

キャプテン岩尾憲の隣には、副キャプテン石井秀典がいたことをここに記録しておきたい。


プロフェッショナル

ここまで成長を続けてきた石井もさすがに年齢には逆らえず、パワーやスピードで相手に押し負けるシーンが増えてきた。
とはいえ身につけた経験値や技術は錆びることはない。
安定感をもたらす経験値、そしてビルドアップの技術は台頭する若手選手と比べても明確に違いを生み出していた。

出場試合数としては2021年(36歳)がリーグ戦12試合、2022年(37歳)がリーグ戦4試合と、前年と比べ大きく落とす。
しかしクラブにとって出場機会が減ったくらいで石井秀典の価値が下がることはない。
それくらいピッチ外での貢献度も大きいのだ。

ヴォルスタのインタビューに書いてあったが、引退まで残り2試合、残りの試合にもう何も掛かっていない状態においてもなお、監督と戦術について話し合う。
そういう所がどこまでもプロフェッショナルである。

後輩にもプロとして良い見本であり、若手とも積極的にコミュニケーションを取り、チームビルディングへの貢献度はあまりにも大きい。

18歳下のオリオラ・サンデーがチャンさんをとても慕っているのは以下の動画を見ても明らかで、ナイジェリアから10代で文化も何もかも違う海外へ来てプロになったサンデーにとって、チャンさんの存在がどれほど大きかったことだろう。

中野桂太も「チーム始動当初、なかなかチームに溶け込めなかったのですが、チャンさんがいたから自分のキャラを出せるようになりました。」
と語っている。

さらに人間的な魅力として語らざるを得ないのが2021年のアウェイ仙台戦だろう

9月25日に行われたこの試合、石井は試合終了間際CKのこぼれ球を詰めて決勝点を上げた。
試合後インタビューで、2日前が誕生日だったことについての問いに対する答えがこちら

その他にも、会報誌VOL.45のインタビューの中ではこう答えている。

出場していない時の振る舞いで損している選手も多いと思います。
僕は常に変わりません。
練習で明らかにテンションが落ちてしまっていてはチームにとって本当に良くありませんから。
-中略-
暗い雰囲気で練習しても試合の為になっているのかどうかわかりません。
試合中は声を出さなければいけないですが、練習から自然とそういったことを出来ることが大切だと思っています。

2022年と2023年の最後の2年間はキャプテンも務めた。
前キャプテンの岩尾憲はラジオ内で先輩の石井についてベテランの鏡と称し、チーム内における重要性を語っている。


このようにチャンさんのプロフェッショナルは間違いなく徳島ヴォルティスを強くしてきた。
試合に出なくてもチームに居て欲しいくらいだが、ヴォルスタのインタビューでも毎年の目標をフル出場にしていると語っている通り、サッカー選手としてプレーで表現することを本人は何よりも大切にしている。
だからこそ石井秀典は最高のサッカー選手だったのだろう。


有終の美

2023シーズンのホーム最終戦である藤枝MYFC戦後、石井秀典の引退セレモニーが行われた。

この試合石井はフル出場でCBとしてクリーンシートに貢献。
NHKの解説で来ていた小澤一郎氏も、引退するのが勿体ないのではないかと思うほどのパフォーマンスだったと最大の賛辞を送り
それに対し石井は、惜しまれるくらいがちょうどいいという言葉を残している。


結文

徳島ヴォルティスは選手を育てることを軸に大きくなっていく成長型クラブを標榜している。
その中でベテランは若手に経験や技術を伝える指導者側として考えられがちだ。
しかし石井秀典は若手の成長に貢献しつつも、自らが選手として誰よりも成長することで、それが価値となり結果を引き寄せるという事を証明してみせた。

石井秀典は我々に、人は何歳になっても成長できるし、いつからでも新しいことにチャレンジできるし、何も諦める必要なんてないのだということを教えてくれた。
そういう人間性、プロとしての姿勢、チームのため自分のためにどこまでも努力が出来ること、それこそが石井秀典という人の真価である。
人を育てていく徳島ヴォルティスというクラブにとって石井秀典という人は理想であり、象徴であり、目標である。

これは個人的な希望だが、チャンさんには徳島ヴォルティスでアカデミーの指導者をやって欲しい。
人柄はもちろんだが、最初から技術があった人、最初からセンスや感覚でビルドアップが上手い人とは違い、チャンさんはそういったものを後から(しかもキャリア晩年で)努力によって身に着けた人だと思う。
そういった人の方が指導者に向いているのではないだろうか。

それはさておき、チャンさんの今後のキャリアがどんな形であろうとも応援している。
ひとまずはお疲れ様でした。
そしてまた会いましょう。

それでは最後に皆さんご一緒に!

いっしーい! いっしーい! いっしーい! いっしーい! いっしーい!

ありがとう石井秀典!
チャンさんありがとう!


――追記――

2023年12月25日、石井秀典のクラブフロント入りが発表された。

クラブの事業部に所属し、昨シーズン引退した佐藤晃大に続き2人目のクラブコミュニケーションオフィサー(CCO)として働く。



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